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クジラとサーフィンの海 土佐入野松原で黒潮の魅力を知る

 高知県西部の黒潮町大方地区。古くから漁業が盛んなこの地には、海に向かって美しい松林が広がる「入野松原」がある。松は戦国時代、長宗我部元親の重臣が囚人を使役して植えたと伝えられ、砂浜は長さ4㌔、幅200㍍にも及ぶ。太平洋の荒々しい波と、南国ならではの強い陽ざし。波打ち際には多くのサーファーが集まり、近くの道の駅「ビオスおおがた」では珍しいクジラの骨格標本が展示されている。有名な観光地ではない。しかし、高知を旅する機会があったら、絶対見逃してはいけないスポットだ。


右手奥に松林を望む。

サーファーに人気の砂浜 キャンプ場も

 四万十町から足摺岬に続く国道56号を走り、黒潮町に入る。海沿いの道路が緩い左カーブにさしかかると、遠くに「入野松原」が見えた。
 海岸への入り口は道の駅「ビオスおおがた」の案内標識が目印となる。一帯は土佐西南大規模公園になっていて、松林と砂浜の中央部に続く道が整備されている。時間がなければ、道の駅の駐車場から砂浜に下りられる。

松林の中を通る道。
砂浜の入り口に立つ。想像以上に広い。

 高知県は山が海に落ちこんだようなリアス式の海岸が多く、大規模な砂浜は案外珍しい。観光地なら高知市の景勝地「桂浜」が有名だが、入野松原は比較にならないスケール感がある。
 砂浜はサーフィンの名所でもある。海が荒れれば高い波が寄せるし、一般の観光客は少ない。松原の一角にはキャンプ場があり、トイレやシャワーを備えた設備も整備されている。
 サーフボードを抱えた人たちは波打ち際まで歩き、沖に泳いでいく。適当な波が来ると、ボードの上に立つ。何度落ちてもあきらめない。大人にまじり、小学校低学年の男の子もいた。この日は波が低かったものの、みんなとても楽しそうだ。

サーフィンを楽しむ人たち。親子連れもいた。


砂浜に咲くハマヒルガオ。太陽を追っている。

 私は残念ながらサーフィンの経験がなく、ただ泳ぐのさえ危なっかしい。仕方なく、サーファーを遠目に眺めながら、砂浜を歩いていく。
 足元では、ハマヒルガオがピンク色の花を付けている。遊びに来た子どもが置き忘れたのだろうか。ゾウの形をした青いじょうごが、寂しそうに私を見上げている。
 海以外は何もない。この海岸は潮流が速いため、一般の遊泳は禁止されている。それでも、サーフィンは認めているところが、いかにも高知らしいおおらかさだ。

小さな子どもの忘れ物。

海を眺めるだけで安らげる。そんな海岸。


道の駅でクジラと対面。ここにしかないグッズも。

 観光客やサーファーを迎える道の駅「ビオスおおがた」は、地元の名産品を販売する物産館と情報館を備えている。けっして大きな施設ではないものの、情報館には貴重なミンククジラマッコウクジラの骨格標本が展示されている。
  

ミンククジラの骨格標本。

 情報館に入った瞬間、天井からつるされたミンククジラに度肝を抜かれた。全長10㍍。巨大な頭部は恐竜を思わせ、とてつもない迫力がある。こんな大きな生き物が泳いでいるのだ。やはり海は底知れない。
 展示説明によると、このクジラは水産庁の調査捕鯨で捕獲されたものを譲り受け、入野松原の海岸に埋めた。完全に白骨化するまで6年待ち、2003年3月に掘り起こしたという。
 高知は昔から、クジラとは深い縁のある土地柄だ。江戸時代初期には網取り式の土佐古式捕鯨が始まり、黒潮町も捕鯨地として活気づいた。体一つでクジラに挑み、とどめをさす男は「刃刺し」と呼ばれて尊敬された。
 黒潮町では現在、ニタリクジラやイルカを船上から観察する「ホエール・ウォッチング」が人気を集めている。

マッコウクジラの骨格標本。

  マッコウクジラの骨格標本は、施設中央の大きな台と床の上に並べられている。こちらはさらに大きく、体の全長は15㍍もあった。もともとは高知県土佐清水市の海岸に死んで漂着した固体で、やはり砂浜に埋めて標本にしたそうだ。
 東西に長い海岸線が広がる高知は、太平洋を流れる黒潮から多くの恵みを受けてきた。クジラはかつて、さまざまな魚介類と並ぶ大切な生活の糧だったのだ。 
 県東部の室戸市には今も、捕獲したクジラの霊を慰める墓が残っている。二つの骨格標本は、切っても切れないクジラと人間の関係を物語っているようで興味深い。

クジラの尾びれをデザインしたTシャツ


さまざまなグッズが並ぶ

 情報館と物産館には、クジラの尾びれをデザインに取り入れたTシャツや帽子、バッグなどがたくさん並んでいた。商品には「iSa」というロゴが使われている。
 クジラは昔、勇魚(いさな)と呼ばれていた。ロゴもその故事にならっているのだろう。

地域を守った松原。東南海トラフ地震への備えは?


海を隔てる松原の内側に造られたラッキョウ畑

 入野松原に植えられた松は、海から吹き付ける強風や砂の害から地域の人々を守る役割があった。松原の裏手では現在、砂地に適したラッキョウが大規模に栽培され、見渡す限り畑が広がっている。この場所にいると、すぐ近くに海があることを忘れてしまうほどだ。
 だが、東南海トラフ地震が発生し、津波が押し寄せたらどうなるか。黒潮町の津波は最大35㍍にも達すると予想される。砂浜の入り口には、注意看板が立っていた。
 それによると、津波は地震が起きてから、5~10分以内に到達するという。「直ちに海岸を離れて、山側の高台を目指して避難してください」と言われても、果たして間に合うのか。いつ襲ってくるか分からない地震を思うと、不安が募るばかりだ。

津波への注意を呼び掛ける看板。

 私はこれまで、東日本大震災で大きな被害を受けた東北の三陸海岸を何度か訪ねている。岩手県釜石市や気仙沼市。被災地は復興が進んでいるというものの、かつての面影はどこにもない。
 陸前高田市の海岸では、津波で壊滅した「高田松原」で、たった1本生き残った「奇跡の一本松」がレプリカになって立っているのを見た。
 東南海地震は今、起きるかもしれない。無力な人間としては、入野松原がいつまでも残るよう祈るしかない。
  浜ですくった砂は、指の間をさらさらと滑り落ちた。道の駅の展望台からは海岸の全容が見え、初夏の風が木々の葉を揺らしていた。

松原海岸の砂。頼りなくこぼれ落ちる。
海岸の眺めを楽しむ人たち。



 



 


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