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漁師町の隠れた名店。谷岡食堂の究極「中華そば」にはまる
遠い昔の思い出がよみがえる料理がある。高知県須崎市浜町にある「谷岡食堂」。高校時代、悪友とともに食べた中華そばの味は、卒業から47年たった今も全く変わらない。長い旅の末にUターンした故郷で、この店に再び出会えたことが奇跡のように思える。
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変わらない味が客を魅了
人口約1万9000人。須崎市は土佐湾に面した小さな町だ。目立った産業はなく、人口減少と高齢化が著しい。谷岡食堂は魚市場近くの路地でひっそりと営業し、地元の人たちに愛されてきた。
古びた看板と白いのれんが目印だが、うっかりしていると通り過ぎてしまう。高校生だった私は、仲間と一緒にバイクで乗り付けたものだ。
店内は狭く、細長いテーブルが二つあるだけ。どんなに詰めても、10人までしか入れない。壁には手書きのメニューが貼ってある。中華そば700円、うどん500円。須崎名物の鍋焼きラーメンも提供している。
出入口にはガラス張りのケースが置かれ、鯖ずしや稲荷ずしが並ぶ。客は自分ですしを取り出し、後で清算するシステムだ。
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店の一番人気は中華そばである。鶏ガラベースの醤油味で、コシの強い麺の上にチャーシューと須崎産かまぼこ、タケノコ、細かく刻んだネギがあしらわれている。見たところ、どこにでもある一品だ。
しかし、味は飛びぬけている。透明感のあるスープはひと口目から客を魅了し、最後まであきさせることがない。舌にガツンとくるような強さではないのに、深く上品な味わいが広がる。濃くもなく、薄くもない。何を使ったら、こんなにおいしいスープができるのだろう。
魚のうまみが凝縮されたかまぼこ。丁寧に煮込まれたチャーシュー。タケノコの歯ごたえ。すべての素材が一体となり、客を夢中にさせる。私はこれまで、一度も中華そばを残した人を見たことがない。だれもがスープをきれいに飲み干している。
北海道の旭川ラーメン、広島の尾道ラーメン、福島県の喜多方ラーメンと、全国には有名なブランドがたくさんある。私も各地で多くの店を訪ねたが、谷岡食堂を超える味を知らない。
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見逃してはいけない鯖寿司
この店の名物は中華そばだけではない。パック入りの鯖ずしがあったら、迷うことなく手を伸ばすべきだ。一個350円。須崎の港に揚がった鯖を朝のうちに調理し、そのまま店で売っている。午前11時過ぎに開店すると、たいていは30分足らずで売り切れてしまう。
こうなると、客同士の競争のようなものだ。野良猫のように素早く鯖ずしをゲットし、席に座ったら悠然と中華そばを注文する。これが正しい作法である。
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鯖ずしといえば、酢でしめたサバの切り身の酸っぱさを想像する。だが、谷岡食堂の鯖ずしは、口にした瞬間に甘さを感じる。新鮮な魚だからこそ、最低限の調味料で手早く仕上げているのだろう。
身はやわらかく、舌の上でマシュマロのように溶ける。酢飯は高知名物のユズ酢で整え、少しもとんがったところがない。この鯖ずしを知ったら、スーパーで売っているような品はとても食べられない。
一度だけ、谷岡食堂の鯖ずしを家に持ち帰ったことがある。わずか2時間ほど冷蔵庫に入れただけなのに、食べた時には酸味が強くなり、あきらかに味が変わっていた。この店の鯖ずしは、店内で食べてこそ本来の味を確かめることができる。
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人情豊かな接客。常連客の心をつかむ
谷岡食堂は年配の女性2人が切り盛りしている。客を迎えると、どんなに忙しくても気配りを欠かさない。
暑い日には「クーラーがのうてすまんねぇ。もうちょっと出口に近い方が涼しいきね」と声をかけ、混んだ時には「窮屈で悪かったねぇ。また来てや」と送り出す。冷たい水をコップについだり、お茶を出したり。2人は休む間もなく働いている。
こんな調子だから、常連客は店が突然休みになっても文句を言わない。
「気ままにやりゆう店やきねぇ。怒らんといてよ」
「かまんぜ。うちらぁも気ままな客やきね」
どこかのんびりしていて、とても和やか。世間には客の方が緊張するえらそうなラーメン店もあるが、そんなところとは別格の存在だ。
初めて谷岡食堂に来た友人は「料理も接客もきちんとしている。ここまで居心地がいい店はない」と絶賛した。
営業時間は午前11時過ぎから3時間ほどしかない。店の狭さを考えたら、日々の儲けはささやかなものだろう。そんな店が長く続いていることに、感動を覚える。
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思い出を呼び覚ます店
私は50年近くも前に、高校の同級生に谷岡食堂を教えられた。当時も年配の店主が客を迎え、中華そばを出していた。そのころは、一杯300円ほどしかしなかったはずだ。金のない高校生にとって、店はたまり場でもあった。
みんなでテーブルを囲み、ああだこうだと、つまらない話をした。夏は扇風機が首を振り、冬は石油ストーブが燃えていた。中華そばを食べる度、どんぶりの中に同級生の顔が浮かんでくる。
私が通った学校には、漁師の子弟が多かった。漁が忙しくなると「親父の船に乗るき」と言って、平気で学校を休んだ。生徒数は1000人を超えていた。田舎の学校だが、活気だけはあった。
当時、約3万1000人だった須崎市の人口は、現在2万人を下回っている。母校は隣の工業高校と統合したが、生徒は300人足らずしかいない。須崎は近い将来に自治体として成り立たなくなり、消滅するとされる。そんな町で、小さな谷岡食堂が生き残っているのだ。
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今年1月、長い新聞記者生活を終えて須崎市に戻り、47年ぶりに谷岡食堂に行った。
中華そばを平らげた私に、店のおばちゃんが「どこから来てくれたが」と問いかけた。
私が「これでも須崎出身です。高校時代にはよく来ました」と答えると、おばちゃんは「まぁ、昔からの常連さんやねぇ」と笑顔になった。
高校を出て大学に入り、記者として4県で13回の転勤を重ねた。気が遠くなるほどの時間がたったのに、この店は何も変わらない。私が土佐弁を話せなくなっても、客は独特のアクセントで語り合うのだ。
谷岡食堂が残っていてくれたことに、私は深く感謝している。店で中華そばを食べていたら、いつか時の流れの底に沈んだ大切な記憶を取り戻せるのではないか。最近、そんなことを考えている。
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