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ウリ坊VS鳥猟犬 林道上の闘い

  「ワン、ワン、ワン!」「ワン、ワン、ワン!」
  朝の散歩に出かけた高知県須崎市内の林道。元気よく走っていたマイヤーが、見通しの悪いカーブの向こうで突然鳴き始めた。
 マイヤーは鳥専門の猟犬ブリタニー・スパニエルで、普段はめったに鳴かない。もしかして、猛毒のハメ(マムシ)でも現れたのか。
 慌てて駆け寄ると、何やら小さな生き物が走り回っている。体長30㌢足らずで、ずんぐりした体形。最初はタヌキかと思ったが、背中にはっきりとした縞模様が見える。
 なんとイノシシの子どもの「ウリ坊」だ!

バトルの舞台となった林道


にらみ合うウリ坊とマイヤー

 驚いた。この林道では何度かイノシシの痕跡を確認していたものの、実際に姿を見るのは初めて。しかも、ウリ坊は1頭しかいない。
 もしかしたら、近くに親が隠れているのではないか。そうなれば、子どもの危機を黙って見逃すはずがない。襲われたら、マイヤーは無事ではすまない。下手をすれば、殺されてしまう。
 私も猟師のはしくれだから、イノシシの突進力と鋭い牙の恐怖は身に染みている。今日は6月23日。もちろん猟期ではなく、猟銃もナイフも手にしていない。親が出て来たら、自分だって危ない。
 「マイヤー、戻れ!」と叫びながら、距離を詰める。
 林道の片側は険しい山。もう片側は渓谷。どこにも逃げ場がない場所で、ウリ坊はマイヤーと向かい合っている。
 「ワン、ワン」と激しく吠えるマイヤーは、ウリ坊の周囲をくるくる回る。見たところ、攻撃しようとする様子はない。なんだか、遊んでいるようにさえ思える。今まで1度も遭遇したことがないイノシシを前に、興奮しているのだろうか。

マイヤーに突進するウリ坊

 しかし、ウリ坊は必死である。相手は自分よりはるかに大きな犬なのだ。
身を守るために突進を繰り返し、一歩も引かない。
 「こいつは何者だ?」
 マイヤーはその度に、早足で後退する。これだけの体格差がありながら、互角の闘いを繰り広げている。小さいといっても、さすがにイノシシだ。
闘争心にあふれている。
 偶発的な出会いにしても、マイヤーがウリ坊にけがをさせたら大変なことになる。猟期以外にイノシシを捕獲するには、有害鳥獣駆除などの許可が必要になる。しかも、猟犬に獲物を噛みつかせることだけで捕獲する行為は許されていない。要するに、マイヤーがウリ坊を倒したら違法行為になってしまうのだ。
  幸い、近くに親がいる気配はない。
 「やめろ、やめろ!」
 2頭の間に割り込み、やっとの思いでマイヤーの首輪をつかんだ。


疲れた様子のウリ坊

 私との距離、わずか1㍍足らず。ウリ坊は林道上で立ち止まり、小さな体を震わせている。私がマイヤーの動きを抑えたことで、危険が去ったと分かったのだろう。やがて、早足でトコトコと歩き、シダが茂る林道わきの山に入っていった。双方とも無事で、恐れていた親イノシシの逆襲もなかった。
 

バトルを終えたマイヤー。渓流で体を冷やした
 

 「ウリ坊なんかにかまったらダメだろう」。きつく叱ってみたが、マイヤーは「親方。何を怒っとるの」と、きょとんとしている。何しろ猟犬だから、出てきたものはとりあえず追いかけてみたいらしい。
 だが、イノシシは体重100㌔にも達する。ウリ坊と追いかけっこをした経験だけで「イノシシは怖くない」と、思いこまれたら大事である。
 私が岐阜県で勤務していた時、庭でごみを焼いていた男性がイノシシに襲われ、出血多量で死亡する事故があった。イノシシは上向きに生えた牙を刃物のように使い、低い位置から人間の股関節の動脈を狙ってくる。訓練された獣猟犬でも、死傷することが珍しくない。
 大物猟の猟師たちは、猟犬に防牙ベストを着けさせているほどだ。

イノシシが地面を掘り返した痕跡


地面に残った足跡

 騒ぎの後で付近を調べてみたら、イノシシがえさを探して土を掘り返した痕跡と、新しい足跡が見つかった。どうやら、ウリ坊は1頭だけで行動しているようだ。
 イノシシは群れで移動し、幼い子どもは親のそばを離れない。マイヤーと闘ったウリ坊は、何かの原因で親とはぐれてしまったようだ。
 林道は地中の虫やサワガニといったえさが豊富で、寝床となるシダの茂みもある。ウリ坊は自分の力だけで生きのび、雨風に耐えているのだろう。マイヤーが獣猟犬だったら、どうなったか分からない。とにかく、ウリ坊が無事でよかった。

多くの命を育む森

 国内では2018年、豚熱(豚コレラ)が26年ぶりに発生し、各地でイノシシの感染が広がっている。豚熱が初めて確認された岐阜県の大学の調査では、イノシシの生息数は感染拡大で3分の1にまで激減したと推測されている。
 高知県でも豚熱で死ぬイノシシが後を絶たず、狩猟や有害鳥獣駆除の捕獲数は大きく落ち込んでいる。
 林道に現れたウリ坊の親たちが、豚熱で倒れた可能性もある。もともと、豚熱の原因となるウイルスは、海外の豚肉に付着していたものが国内に持ち込まれて広がった。
 人間が引き起こした豚熱騒動なのに、イノシシは「養豚施設にウイルスを運ぶ原因になる」とされ、全国で駆除が強化されている。
 本来なら、イノシシの数が減り始めた時点で、絶滅を防ぐための方策が議論されるべきではないのか。「悪いイノシシは殺し尽くせばいい」という、無慈悲な思想があるとすれば、許されることではない。家畜を守るためなら、野生動物はいくら殺してもいいという考えは通らない。
 マイヤーと闘った勇敢なウリ坊は、この山で無事に大きくなってくれるのだろうか。立派に成長して再会しても、マイヤーを追い回すのだけはやめてほしいものだ。その時には、おまえの方がずっと強いのだから。

 


 

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