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『孤独か、それに等しいもの』

ぼくは双子で、ひとりぼっちって感じたことないんだ。
双子の片割れはもう一人の自分なんかじゃなくて、二人で一つ。
双子の片割れは鏡に映った自分なんかじゃなくて、二人で一つ。

ぼくらを例えるなら、コーヒーカップとソーサー。
それぞれ別のもの。だけど、一緒にいて、初めて一つの機能を果たす。
そんな感じ。

カップだけでも、一応は成り立つし、
ソーサーだけでも、一応は成り立つ。

だけど、やっぱり、カップとソーサー、
二つが揃って初めて本来の姿がわかる。
コーヒーカップとそのソーサーなんだと、
初めてその役目がわかる。
そんな感じ。

片割れがカップ、
ぼくがソーサー。

ぼくはそう感じてた。

ぼくはいなくても、とりあえず、なんとかなる。
だけど、やっぱり、ソーサーがないと“コーヒーカップ”ではない。
どちらか片方だけだと、きっと、意味を取り違える。
そんな感じ。

だけど、片割れよりもぼくが片割れを必要としてた。

だって、ぼくはソーサー。

ぼくが“コーヒーカップ”なのだとわかってもらうには、必ず、カップが必要だから。ぼくだけだったら、きっと、ぼくという存在の根本を間違えられたままだった。
そんな感じ。

******

高校生の図書室にあった 『孤独か、それに等しいもの』。
それを初めて読んだ時の気持ちはどんなものであったか、もうはっきりとしない。だけど、内容だけは心に焼きついて、また読み返したいと思っていた。

でも、タイトルを忘れてしまって探すこともできなかった。
それを再び手に取ることができたのは、高校を卒業して10年も経った後のこと。

神保町を歩いていて見かけた本に惹かれて、中身も開かず持ち帰った。
その本があの本だと気づいたのはその日の夜。
一ページ目を読み始めてすぐのこと。
その時の気持ちは、今でもはっきり覚えている。

 “孤独か、それに等しいもの”

 それはきっと、双子にしかわからないもの。

******

 ぼくはようやく、ぼくひとりで耐えてきたものに気がついた。
 同じように育ち、同じように考え、同じように感じてきたそのものが…いや、初めから、そもそもが違う、それはわかっていたんだ。
 ぼくと片割れは違う。
 そんなの初めから、わかってた。

 ぼくらは双子だけど、二卵性。全く同一のものではない。
 ただ、限りになく共有しているものが多かった。膝の形、橈骨と尺骨がわかるほどの腕の細さ、美術の時間の絵の発想、「良い天気だね」そう言われても「そうだね」で会話が終了しちゃう会話力のなさ…ほとんど重なり合っていた。けれども、微妙にずれている。他の人からしたら、“同じようなもの”だったらしいけど、ぼくらからしたら、そもそもが別の存在。どうして周りがその違いの区別がつかないのか、本当に不思議だった。
 だって、全然違う。

 片割れの方が素直で、ぼくは意地っ張り。
 片割れの方が鈍感で、ぼくは気にしすぎ。
 片割れの方が寛容で、ぼくはケチんぼ。
 片割れの方が几帳面で、ぼくは大雑把。

 片割れは素直に「あっ!あれ美味しそう!」って口に出し、ぼくは「気のせいでしょ」って自分の気持ちを置いてきた。
 片割れは一度眠ったら何があっても起きなくて、ぼくはちょっとでも物音がしたら目が覚めた。片割れは寝るのが上手。勉強も何時間もぶっ続けで取り組める。ぼくはだめ。途中ですぐに眠くなっちゃう。ぼくの成績はいつも片割れよりちょっと下。ぼくのできることは、片割れの方がずっとちゃんとできた。ぼくは、片割れが“できる人” だ か ら、ぼくも“そうだろう”って思われてただけ。ぼくは見掛け倒しのぽんこつ。
 片割れは例え普通の格好をしていても“何だか変”で、その存在はわかりやすいくらい独特。片割れは黒いコートを着ても何だか間抜けで、ぼくが黒いコートを着ると、まるでマフィアみたいでカッコ良い!って言われた。
 本当、そう見えるだけ。
 中身はあやふや。

 でも、片割れとぼくの根本的な違いはそこじゃない。

片割れはそもそも自分が“何か”、わかっていた。
ぼくは自分が“何か”、全くわかっていなかった。
片割れは素直に自分は“こうだ”ってわかってた。
ぼくは理屈で考え“そもそも”を勘違いしていた。

ぼくは、自分の気持ちがなぜ悲しんでいるのか、
はなから自分の声を聴くつもりなんてなかった。
聞いたところで、どうしようもないことだから。
そう勝手に決めつけて置いてけぼりにしてきた。

 だから、片割れには手を取ってくれる人が現れたけど、ぼくにはいない。
 だけど、別にそれで良かった。別にぼくは要らないから。ぼくは、手を掴まれたら、掴んだやつ、きらいになるから。絶対に。ぼくの手を掴もうとする行為そのものが迷惑だったから。

 けど、片割れには手を掴んでくれる人が必要だった。ぼくはその手を掴んでた。掴んでいるために一緒に生まれたから。だから、片割れに相方ができた時、もうぼくは要らないなって思った。ぼくは自由。ふらふらと、どこへでも行けるようになった。

 片割れは、相変わらずぼくの片割れのままだったけど、『カップさえあれば、とりあえず大丈夫だよね!』って、ソーサーのぼくは勝手に勘違いして、ソーサーの別の使い道を探し歩いてた。

 だけど、どれも違和感しかなくて、『何かをそもそも勘違いしてる』って、はっきりと気がついた時、カップが言ったんだ。

 「ソーサー、必要なんだけど」

 本当、ぼくはあほうだった。
 最初から、ぼくはちゃんと“コーヒーカップ”のソーサーで、カップの“ついで”なんかじゃなかった。
 ただただぼくは、ちゃんと“コーヒーカップ”の“対”だったんだ。

 片割れの相方もあきれてた。
 「えっ?これ、レイちゃんの分だよ?一緒に食べるでしょ?」

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 ぼくらは、本来「孤独」ではないものに「孤独」という名前をつけているだけなのかもしれない…

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