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「私」


「わたし」

それは、絶対に言うことのできなかった一人称。

それは、子どもの時は “女の子” だけが使うもの。


「私」

それは、「公」に対して、「私的領域」を指す言葉。

それは、個人を示さない、誰でもない者を指す言葉。


「私」

それは、社会の中で軋轢を生じさせないために、使った言葉。

それは、理性でもって無理矢理にでも言えるようにした言葉。


「私」

それは、公な場面で、男女ともに使用する言葉なのは知っている。

でも、それは、ぼくにとってはただ“建前の仮面”でしかなかった。


「私」

それは、女性が使えばただ単に、“女の人”であると思われるだろう。

でも、それは、ぼくにとっては観察と推測で構築した仮面でしかない。


「私」

これを使う時は、裏声だった。

“女の真似”をするために。

如何にも優しそうな“それらしい”人物を演じるために。


「私」

大人の男性がただ使うように、

最初は、“女の真似”なんてしないで、

ただ大人として使えるように身につけたものなのに、

なんでか、“女のふり”する羽目になっちゃった。


「私」って「何」?

周りの言うことが “何” なのか、それがずっとわからなかった。


「私」って「何」?

男とか女とか、それが一体 “何” なのか、それがずっとわからなかった。


「私」って「誰」?

大人は誰だって、「私」で自分を言い表せるのに、

どうして、当然、男性は “男” であると

どうして、当然、女性は “女” であると

どうして、当然のように、思い込んでしまうの?


「私」って「誰」?

大人は誰だって、「私」で自分を言い表せるのに、

どうして、必ず、あなたは “男” なのか

どうして、必ず、あなたは “女” なのか

どうして、必ず、どっちなのか確認するの?


「私」って「誰」?

大人は誰だって、「私」で自分を言い表せるのに、

どうして、当然、男性は “男” と一括り

どうして、当然、女性は “女” と一括り

どうして、当然のように、二つに区別するの?


「私」って「誰」?

大人は誰だって、「私」で自分を言い表せるのに、

どうして、必ず、あなたは “男” と当てはめて

どうして、必ず、あなたは “女” と当てはめて

どうして、必ず、どちらかに振り分けるの?


「私」って「誰」?

それはつまり、“どんな人” なの?


「私」って「誰」?

それはつまり、“その人” だよね?


「私」

それは、「今ここに、確かに存在する一人の人間」として使う言葉。

I’m a human.

それは、何の色もなく、純粋に「I am」の “I” として使う言葉。


※※※※※※


ぼくは、物心ついた時から自分を「ぼく」と言い表してきたんだ。

だって、それが最もしっくりきたんだ。

そして、それが当たり前だったんだ。


中学生の頃、『やっぱり、おかしいのかな?変に思われるかな…』そう思って、「ぼく」と言うのをやめようとしたこともあった。


だけど、無理だった。


だって、ぼくは “ぼく” なんだもん。


別に、身体に違和感なんてないよ。

だけど、ぼくの存在は

やっぱり “ぼく” だから、

当然のこととして、

「ぼく」と言おう。

 そう決めたんだ。

  社会に出る、

   その時までは。


でも、それも無理だった。


社会に出ても、やっぱり、ぼくは相変わらず “ぼく” のままで、それ以外の何者でもなかった。 “ぼく” が何か、説明なんてできなかったけど、そうだった。


周囲は「私」と言うぼくに違和感なんてなかっただろうけど、
ぼくにとっては、常に勘違いされ続けるのが、いやだった。


自分ではない“もの” として認識されることが、いやだった。


それを、『大人になれていない』と言うのかもしれないけど、ぼくは『“大人”になること』より、『“ぼく” でいること』を選んだんだ。


 そうしてやっと普通に「私」も使えるようになった。
 まだ勘違いされるからあんまり使いたくないけどね。


 だって、ぼくは “ぼく” なんだもん。


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