慌てない朝の理由は自分への信頼

40分でなんとか送り出さなきゃ!

今朝も寝坊してしまった
 
お弁当を用意するために
5時に目覚ましがなり
5:10に起床がルーティン
 
が、アラームが鳴らず
(設定していなかった・・・ガーン)

子どもたちのアラームで
6:00に慌てて起きる
 
娘たちは6:40に家をでる
 
「40分でなんとか送り出さなきゃ!」

~コントロールしようとしていた過去~

以前の私は
慌てて、イライラして
子どもたちを不機嫌に送り出していた

時間通りに送り出すには
慌てることしか選択肢がなかったから
 
バタバタして
大変アピールして
ママ頑張っているアピールをしていたんだろうな
 
自分ひとりで頑張らなきゃいと思っていた過去
(そういう現実を創っていた過去)
 
 
目標は6:40に送り出すこと
子どもを信頼して協力を求められる今の私
 
子どものアラームで
目を覚まし飛び起きてもなんとかなる
 
こういう時に限って冷凍ご飯はない・・・ガーン
 
急いで鍋に火をかけご飯を炊く
(ご飯は鍋なら最短20分で炊ける)
(うどんでもいいのだが、腹持ちしないらしい)
頭の中で色々考えている
 
でも
いまやることは
子どもたちは時間通りに送り出すこと
 
手段1
お弁当はどう考えても間に合わないから
注文弁当をお願いする
(お弁当会社さまさまです♡)
 
以前の私は
注文弁当を頼むことに対しても
さぼっているとか
つくらなきゃダメじゃんとか
どこか罪悪感があった記憶があったような・・・(笑)
 
時間に間に合いさえすれば手段は関係ない!
 
手段2
ベッドでまどろんでいる子どもたちに
 
「おはよう
ママ寝坊しちゃった
ご飯炊いているから先に準備して
ご飯にしてもらってもいい?」
と、お願いする
 
不機嫌でお願いしたら
絶対に不機嫌は返ってくる
 
困っているから「協力」を依頼する
(お願いだからYes/Noは子どもに選択権がある)

子どもたちは
身支度をして、ご飯が用意できたころ
椅子に座りご飯を食べてくれている
 
子どもたちは
いつもよりご機嫌で
いつもよりスムーズな朝を過ごせている
 
そして
私は罪悪感もなく
慌てず淡々と送りだす準備ができ
無事に子どもたちを40分に見送ることができた
 
 

時間に間に合いさえすれば手段は関係ない!

なぜ寝坊しても
私も子どももバタバタしない
朝を送れたかというと
 
自分のことも子どものことも
信頼しているということがベースにある
 
寝坊してしまった自分
お弁当づくりができなかった自分
お弁当を注文する自分
完璧なママであることをやめてみたし
 
不完全な私を受け容れ認め許可できたから
 
子どもたちは
私がイライラとう感情を使わなくても
(コントロールしなくても)
特別な声掛けをしなくても
時間通りに家をでることができる

学校が大好きな場所だということを
私が知っているから

 子どもへ信頼が私の根底にあると
 
イライラして子どもをコントロールしなくても
子どもを信頼して協力を求めながら
生活していくことができる
 
親と子どもであっても対等な関係だ
 
アドラー心理学の勇気づけが
ベースにあるだけで
肩の力をぬいて子育てができるし

なにより
自分が安心して生きるている実感がある