#49 宮沢、弔辞を読まれる
以前にも別の記事で触れましたが、僕と髙松さんとの出会いは今からもう少し遡って、2020年の春のことでした。ちょうどコロナ禍で、色々な人が色々な辛い思いをしていた時期です。僕は高校が休校になり、自宅から授業を受けたりしていました。そんな時に、カクカクシカジカありまして髙松さんと知り合うことになったわけです。
当時の僕たちの活動の場は道草談義ではなく、日本SDGs協会学生局という別の団体でした。ありがたいことに僕はその組織の局長を務めさせていただき、髙松さんには顧問として携わっていただいていました。局長という立場である以上、自分の局長としての終わり、言ってしまえば「寿命」というものは局長に就任した当初から考え続けていました。
そして、局長に就任して丸1年、ちょうど僕が18歳の誕生日を迎えた日に、僕は局長を退任しました。
それから約10日後、学生局が運営していたnoteに1つの記事が上がりました。髙松さんが僕の退任に寄せて書いてくれた記事でした。当時の僕にはとても嬉しい記事で、あまりの嬉しさに母にまで報告したことを覚えています。
その時は、その嬉しさを髙松さんに伝えることはありませんでした。「協会に関わっていた人とは暫く連絡を取らない。少なくとも僕の受験が終わるまでは。」これが、当時の僕のルールでした。なので、遵法精神に満ち満ちている佳成くんは歯を食いしばって連絡をしなかったのです。
さてさて、時は流れて僕も無事大学生になり、当時のことを懐かしく思い返していた折、ふと思いつきました。あの記事がとても嬉しかった理由、それはあの記事が局長としての僕が、局長を退任し、局からも去るという、言わば死に対する「弔辞」だったからではないかと。僕には訳あって「死」というものを真剣に考える癖があります。そういう意味では、死んだ後には聞くことのできない弔辞を、生きているうちに聞かせてもらえたのが、とても嬉しかったのかもしれません。
僕の死アンテナは正しかったらしく、あの記事のタイトルはとある季刊誌の河合隼雄先生のご逝去に際して組まれた特集のタイトルから髙松さんが持ってきたようです。
ちょっと話は飛びますが、そんなわけで僕も自分の両親には生きてるうちに(かつ、彼らがピンピンしてるうちに)、弔辞は縁起が悪いので避けておきますが、何かしらのコメントは寄せておきたいなと思ったりしました。今のところ生前葬に興味はありませんが、死ぬ前に言っておきたいことの一つや二つはあるので、元気に笑いあっていられるうちに伝えておこうかなと。
言える感謝と言える謝罪は、言えるうちに。僕の座右の銘というか、モットーです。
*この記事の執筆に際し、知らぬ間に死に際に追いやられ、文脈によっては勝手に殺されてしまった僕の両親に、ごめんなさい。
追記 この記事を読んだ髙松が書いた弔辞(?)がこれです。お別れの挨拶のつもりで書いたことは今覚えています。
この弔辞(?)の題名は、個人的になじんでいたユング心理学の河合隼雄先生のお別れの雑誌からひらめきました。私にとっては、かなるくんは河合先生とおなじくらいの意味を無意識にもっていたのかもしれません。