#39 この国は好きだけど、日本は嫌い?
同じ回の前の文字起こしの記事はこちら。
(公務員志望という大学生本人の話から…)
宮沢
ひょっとしたら公務員になる人の秘めたる想いってそこにあるのかなって思ったりして。
髙松
ええ、どういうこと?
宮沢
公務員って、他の職業と違って、っていう言い方が合ってるか分からないですけど、仕事に就くことを、就職とかじゃなくて拝命するっていう言い方しますよね多分。任命権者から拝命する、みたいな?
髙松
全体の奉仕者だから、国家のためにやる、みたいな。
宮沢
そうです。そこで拝命した以上、この国に尽くすってことになるわけじゃないですか。
髙松
まあ、そうです。
宮沢
だから僕がもし公務員になった時に、僕が尽くすべきはこの国だけど、逆に僕の敵もこの国なのかなって思って。
髙松
あ、その通りですよ。
宮沢
この国を変えたいって思ってるし、何ならこの国が嫌いだから公務員になろうとしてるのかなとか思って。
髙松
それはとってもよく分かりますね。
宮沢
暴力で変えるって誰でもできるけど、ジャイアンみたいに殴り続けてれば良いわけだから。小学生でも誰でもできるけど、そうじゃない方法で国変えるっていったらどうするかっていったら、公務員になって内側から変えていくしかないから。そういう風な方向性でもってやってるのかなって最近ちょっと思ったりしてましたね。
髙松
ちょっと巻き戻してもう一回聞くけど、この国が好きとか嫌いとか言ったじゃないですか。そこもう一回きちんと喋ってみて。
宮沢
うわあ、難しいですね。
髙松
つまり、なんで公務員になろうとしてるかっていうと?
宮沢
してるかっていうと、結局は好きの裏返しなのかもしれないけど…。どっかで見捨てきれてない自分がいるのかもしれないけど…。
国に尽くして、そのうえで変えるっていう意味での公務員になりたいから…。何て言うんでしょう?好きがゆえに嫌い、みたいな感じなんですかね?答えになってるかな?
髙松
いやあの、そこは僕も言語化が非常に難しいんですけど、ちょっと今思い出した言葉で「忠義を尽くす」っていうのがあって。国に対して忠義を尽くすっていう。まあ、国が好きとか、自己犠牲のところもあるかもしれないけど。何でそれをしようと思うかというと、今現状がヤバいと思ってるからでしょう多分。これじゃダメだと。
確かにそう思うな。自分でも。自分も何で学校行ってるのって、前言ったことあると思うけど、学校は嫌いだけど授業は好きです、みたいな。
宮沢
そうそう、そんな感じかなって思って。
髙松
ああそうか。
宮沢
多分、僕はちょっと違うけど…。雰囲気似てるかなっていう。
髙松
それじゃあさ、「学校は嫌いだけど授業は好きです」っていうのを、(宮沢)佳成の方の文章題でカッコに適語を入れるとどうなるの笑?
宮沢
何になるんだろう?
髙松
ニッポンは好きだけど笑…?
宮沢
「この国は好きだけど、日本は嫌い」ですかね?
髙松
ああ!上手い。座布団2枚ですね(笑)。
宮沢
上手いですね(笑)。
髙松
それ良いなあ。日本の精神論で、明治以来の日本の現代政治の丸山眞男論までいっちゃいそうな(笑)。それメモっといた方が良いよ。
宮沢
この国好きじゃなかったら公務員なりたいなんて思ってないから…。
髙松
もっと言うと、日本っていう訳の分からない政治体制とか経済体制とか、政治システムとか、そういうものだよね多分。システム的なところで。
宮沢
そうですね、うん。
髙松
国を愛する心っていうのは、本当はそうだと思うんですよ。
宮沢
そう、何でも受け入れるってことじゃなくて、ちゃんとクリティカルにも考えられるっていうのが本当に愛してるってことなのかなっていう。
髙松
国が好きっていうのは、何だろう、例えば佳成だったら(出身の)信州っていう郷土が好きっていうのもあるかもしれないし、そういう情愛みたいなもんで。
日本っていうのは、国を作っているある意味の政治システムの問題でしょう。組織的なもんで。そこはやっぱり(郷土やふるさと、とは)違うと思うんだよね。
郷土は好きだけど、そういう意味では郷土が嫌いっていうアンビバレントでやっぱ動いてますもん。何やってんだよとか言うわけね。郷土が日本という大きな枠組みに浸食されていいく、生活が壊されていく。
今日、佳成ホームランじゃないこれ?
宮沢
ありがとうございます(笑)。
髙松
それは確かにあるね。国家としての日本の問題として。そこは漱石も悩んだし、近代日本の悩みだよねそれ。
カントが出てきた以降に、カントは認識していることが本当に正しいのか、そこを疑った方が良いと言ってきたわけだけど。その後にキルケゴールが出てきて、自分のことに悩むじゃんあの人。で、自分のことに悩んだ人たちが実存主義的にいくんですけど、一方でマルクスなんかは社会を解明しようとして、商品経済って何かっていうのを見て社会構造を変えようとしていて。こう見方が二つに分かれちゃうんだよね。で、両方とも一緒に本当はやらなくちゃいけないんだけど、結局自分と社会とか世の中との関わりのグラデーションのなかのどの程度のポジションで取るかっていう話だと思うんですよ。
この記事は2022年11月5日実施『宮沢・髙松の道草談義 第15回「大学生の日本語と途中下車」』より一部抜粋、編集し作成しました。