#38 宮沢・髙松のポジションは独特?
*記事中に出てくる区切り線の位置で会話の内容を大きく省略しています。お読みになる際はご注意ください。
髙松
(宮沢は)コーヒー飲まないじゃん。で、友達と喫茶店行こうかってなってもコーヒー飲まないし。で、お酒もちょっと付き合えよってなっても飲まない。もうなんか、宮沢らしいよね(笑)。独自のポジションを取ってるよね。そういうの貴重なんじゃない?迎合していないという。
宮沢
どうなんですかね…?
髙松
いやあ、だと思うよ。
あの、僕もどちらかというとそういうポジションで…。あのね、これ喩えなんだけど、自分の立ち位置みたいなのを考えた時に、僕、学校改革とかいって、何やってきたんだろうかと思ったら、剣道で言うと、構えてるんですよとにかく。でも、攻撃もするんだけど、もう巨大な相手でしょう、教育業界って、学校から教委から最終文科省から日本政府までという(笑)。
宮沢
うん。
髙松
だから、相手を攻撃しても無駄だって、大きすぎる。最初は攻撃してたんだけど。もうちょっと厳しいと思って。とりあえず、でも、戦う姿勢は見せてるっていうのがあって。それで向こうが攻めてきたときには、一本取るっていうよりも、キチっと防ぐ、防戦する、みたいなポジションでやってきたなって、この間ふと思ったんですけど。防戦も攻撃かもしれない。
宮沢
うんうん。
髙松
今さ、(宮沢)佳成の場合は戦う相手みたいなのがまだはっきり見えてないんじゃないかな、と思った。
宮沢
笑笑笑笑。
髙松
何で笑ってるの(笑)。
宮沢
いやあ、戦わなくて良いなあ…って。
髙松
ああ、それもありますよね。絶対大学時代はそれ思います。さんざんわからない試験や受験で良くも悪くも戦ったからね。それをたたきというかどうか別にしても。
高松
高校までの授業と違って、大学に行ったらかなり自由度高まっちゃうから、その時に皆困るんじゃないかと思ったんですよ。それまで形式に従っていれば何とかなるんだけど、大学はそうでもないわけで。それはサルトルが「自由の刑に処せられている」とか言ってるんですけど。自由ほど扱いにくいものはないんですよ逆に言うと。
宮沢
自由は本当にめんどくさい。
髙松
だからみんな自由から逃走してフロムみたいに「やっぱファシズムいっちゃおう」とか。今の日本見てたらそんな感じするんですけど。「俺めんどくせえから良いや」とか言って。思考停止というか。
この記事は、2022年11月5日実施『宮沢・髙松の道草談義 第15回「大学生の日本語と途中下車」』より一部抜粋、編集し作成しました。
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