#86 黒板に○を「100個」みんなで書いてみよう
小学一年生。数字について学ぶ授業。数え棒やサイコロのようなお道具箱もある。
黒板に、一人ひとつづつ、○をチョークで100個描く。最後に黒板にいっぱいにたくさんの様々な形の○が並ぶ。
高いところに小学の手は届かない。背伸びしたり椅子にのって描く。
前に出てチョークではじめて黒板に○を描く。
この授業の優れていたことを今何十年後たって振り返るとなんだろうか。
○がすべてことなった形をしていること。
一人ひとりことなった○であること。
半分落書きの要素とともに百という限定があること。
自由絵画療法にちかいスクイッグルの要素があること。
遊びがあること。
授業に皆が参加し協働していること。
そして、課題が共通認識されていること。
百の○を全員で描くこと。
それを可視化したこと。
具体的な数と抽象的な数がそこにはあった。
理論としてピアジェのいう前操作期の授業方法論がある。担任はまだ新任にちかい若い女性のN先生。授業はまさにその時の一瞬であるが一生残っていく。
ただそれだけの授業であるにもかかわらず印象に残っている。いや、ひょっとしてこの若い女性教師はその最先端の理論を知っていたかもしれない。
のちに、その先生に出会ったとき、彼女は神戸大学の教育学部を苦学して卒業し新任2年目程度ということだった。
昭和38年ごろの授業。