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#25 制服廃止に感じるちょっとした違和感

注意!
この記事は、人生で3年間しか制服だった時期がなく、高校も私服で、校則も緩かったという背景を持った人が書いています。人によっては不快に感じることもあるかもしれません。


最近、制服をなくしたり、規制を大幅に緩和しようとしたりする動きをチラホラ見かけます。男女関係なくスラックスを選べるように、とか、自分で好きな服装を選べるように幅を広げる、とか、いっそのことなくしちゃう、とかとか。
そして、今回はこの動きについての僕の個人的な意見を書いていきます。

まず、僕は制服の規制緩和・撤廃について基本的に賛成派です。しかし、その動きを進めていくにあたって、個人的に注意すべきと思う点は2つあります。

一つ目。規制の緩和・撤廃は、両者の信頼があってこそ成り立つということ。
こちらの記事でも扱った通り、信用と信頼は全くの別物です。そして、今回大切なのは、規制を緩和したり、撤廃したりするときには「信頼」が必須であるということ。自分たちに被害が出るかもしれないけれど、それでも自分たちはあなたたちを信じますよ。という意味合いでの規制緩和・撤廃であることを、生徒(学生)だけでなく、教員にも共通認識として持ってもらわなければならないと思っています。これは僕の経験則ですが、生徒に基礎的な精神を理解してもらうのはもちろんのこと、教員にもある程度の共通認識を持ってもらわないと、結局のところ、どちらかが約束を反故にして規制前に逆戻り…、みたいなことになりかねません。

二つ目。その改革は持続可能かという視点を持つということ。
ちょっとトゲのある言い方になりますが、規制緩和や撤廃なんてのは誰だってできます。極論、赤ちゃんにだってできます。改革をした世代が卒業したり、離任したりしても精神が受け継がれ、機能していくかどうかが本当の勝負どころだと思っています。なので、制服の改革それ自体を目的化することには、ある程度のリスクが潜んでいると睨んでいます。
制服がなくなれば、とても大きな裁量を生徒一人ひとりが担うことになります。その裁量に見合うだけの行動を、今の世代だけでなく、これからの世代にも受け継いでいくことができるのかどうかが重要だと思います。
ここに、改革に携わる人たちの手腕が問われるということを、僕は高校時代の経験から学びました。

というわけで、ここまで制服の規制緩和・撤廃に関する動きに思う違和感についてまとめました。やはり、どうしても制服の改革それ自体に重きが置かれて、他の部分がなあなあになっている感が否めません。目的を見据えた時、どうしてもその目標に集中してしまいがちですが、その周りに潜む重要なポイントを逃さないようにしていきたいものです。
もしこれが、制服の規制を緩めたり、なくそうとしたりしている人や、これからしたいと思っている人の活動に役に立つのならば嬉しいです。
これからも、個人的な経験を踏まえた僕の考えをまとめていこうと思います。

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