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#69 一問一答完全版(とみんver.)宮沢・高松(とみん)に会いに行く    on the radio

第2回ふりかけラジオ(FM805たんば)で行った、宮沢から髙松(R.N. とみん)さんへの、一問一答の当日放送内容の完全版です。放送時間の都合で紹介しきれなかった部分もノーカットで掲載していますので、ぜひご覧ください。

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第2回ふりかけラジオの放送後記はこちらから。



川の堰堤にある渋柿の木。昔の青年団の人が植えたらしい。今はだれも見向きもしない。今年は干し柿にしてみよう。暖冬なのでうまくできるかどうか。(とみん)

Q. (宮沢から)名前はなんですか?


A. とみんです。もちろん、ラジオネーム。「地元民・じも:とみん」ということからつけました。「東京都民」の友達の「とみん」さんからは了承済みです。(笑)

Q. 出身はどこですか?
A. 地元、兵庫県の丹波市ですね。旧称。氷上郡(ひかみぐん)。昔はここも地方色あったけど、最近はあんまりないかも。栗・松茸・黒豆。丹波ってど田舎、という印象がかつてはありました。いまは大阪まで高速で一時間ですよ。

Q. 行ってみたい場所はありますか?
A. それが、ないんです。なんかどこ行っても同じような気がしてます。特にここってないですね。あえていうなら、過去の小学生初期の頃の風景に会いたい気がしてるのは、年のせいかも。日常生活の中に場をみつけるほうがいいです。

ただ、先日、地元で教えた子が沖縄の大学に進学したんですが、この度、就職きまった、って連絡ありまして、久々に沖縄行こうかなーと思ってるくらいかな。うーん、温泉もいいかもですが。

Q. 大学で何を勉強していたの?専攻とか

A. もともと社会科が好きだったんで、社会学というわけわからない分野ですね。広く浅く。ただ、音楽も好きでしたけど。お金と能力と助言の問題で社会学ですね。大学進学で高校時代の音楽の先生に、音楽は楽しんだ方がいいよ、という、妙に説得性のある言葉をお聞きして、それに担任が今から思うと若かったでしょうが、後に神戸大の社会系の教授になったような人だから、うまく進路指導してもらったと、今にして思いますね。大学では、もっと勉強しておけばよかった、が正直なところです。

Q. 学部生時代に何のバイトをしていたんですか?
A. とにかく、学費は自分で払ってたので、京都の学生食堂でほぼ常勤のようにバイトしてました。当時時給470円かな。ネットない時代で、募集の「張り紙」みて。時給500円あればいい方でした。盛り付け・注文・ホール・仕込み・お勘定まで全部やってましたね。ほかにバイトの学生もいたので、仲良くなったりとか。

ある時、急に時給が上がっていて、ご主人から「よくやってくれるから」、といわれました。バイトのおかげで大学に行けたようなもので、いまでもキャベツを切ると当時を思いましますね。感謝しています。その分、結局大事な勉強してなかった気がします。ただ、なぜか、土曜一時間目の教育原理とかでていて、なんとなく教職課程はとってました。

Q. 職業は?

A. 教育職です。いまはもう退職してるけど、週三日の非常勤。

Q. 大学院いかれて、なにを専攻しましたか?
A. 院試の前には、教員をやりつつも疑問もたくさんあって研究会があるとよく顔をだしていて、その時に、ある人の勧めもあり現職のまま受験したわけで。

現場で心理学とか箱庭とかやってましたんで、結局、大学院もその流れで、臨床心理学です。というか、学校心理学・臨床教育学、とかの分野ですかね。

当時は河合隼雄先生の影響かカウンセリングがブームで、同期の人はのちに臨床心理士なってますね。個人的には、授業の中の臨床というか、教師とカウンセラーは違うだろう、という意識がどこかにあった気がしてます。そういう本をたまたま図書館でみつけました。修士論文書くこと自体知らないままだったんですが、

その本の著者が東京大の人で、どうしようかと困ってたら、別のゼミの先生が、「(東大に)行って来ればいいじゃん」って。「えっ、行っていいんですか?」と返すと、「研究者はそういうの(学生の訪問)があると喜ぶよ」と、いわれて。それで東大に行って5時間くらい話をしました。しかも、あとで統計わからないのでご自宅まで電話でしたら、丁寧にお教えいただきました。立派な先生でしたね。

Q. 現在のご職業を志したきっかけは?
A. 今みたいにインターンとかないし、キャリア教育もないし、高度成長の余波で大学でればいい、という風潮がありましたし。他に自分にできそうなことあるか?というと、なかったという消極的理由ですね。それともっと勉強したいというのは、ありましたね。教員だと時間取れて本読めそう、って思って。

カナル君が、自分は利潤出す人間ではない、っていうようなのと似てるかも。それに、父親が、高校卒業したら、田舎だから役場か農協って考えてたような人です。高校の合格通知を、母親と親せきが珍しそうにみていましたから、周りの人間は、全部、高等小学校卒っていう感じです。あと父親がPTA役員だったので、当時、わりと家に先生が来てたことも影響していたかもしれないです。

中学校時代に小学校の音楽の恩師の先生が、当時のクラシック全集の最新版でまだご本人も未開封のレコードを、わざわざ自宅にもってきてくれて、それをステレオできいてました。いまでもすごい指揮者とか名演ばっかりでした。振り返ると、私が音楽好きだけど、これきくといいだろうって、それこそ教育的配慮があったんじゃないかおまにして思います。

Q. 最近のマイブームは?


A. マイペースです。仕事から離れて、ようやく、夕暮れの空の変化見て金木犀の香り感じるとか、畑の野菜の育ち見るとか、そういう時間でしょうかね。長らく教育やってきて、「ちょいと休みたい」というのがあるんですが。これがなかなかできない体というか精神になってますね。そこを外したいんですが。温泉とかいくとか。ただ、いまも、多少現場にかかわってるので、休む体質にはなってないです。

ところで、最近、よく考えるとわかってきたんですが、教育って人を育てることなんで、人の育ちを見よう、と今までしてきたでしょう?。それって発達ともいいますが、なんか、最近は早期教育とか、進学とか、発達を無理に促すような教育になってきて、見守るというか自然に育つことをないがしろにしている気がしませんか?だから、ルソーではないけど、自然に帰れ、アンチ管理教育ってあるのかな。そのあたりの現場との葛藤はいつも抱えてたんでしょうね。だからしんどかった。

そういえば、ぼちぼちバイオリンも再開ししょうかな?。これも、バイオリンって、ピアノとちがって弾けば音が出るわけじゃないんですよね。調弦して、弓使って音出すという意味では、きわめて原始的で自然な感じなんですかね。そこも、なにか育てるようなことと似ている感じがしてます。

Q. 尊敬する人は?


A. 尊敬という意味が難しいんですけど。自分が影響を受けた人、という意味でいうと、ユング心理学の河合隼雄先生・大阪フィルの指揮者の朝比奈隆先生・大阪フィルでビオラを演奏されて、地元の篠山市の田園公共ホールの設立に寄与された前川澄夫さん、の3人ですかね。すでにみなさん鬼籍に入られている人ですが。

で、3人の共通項をあえて言うと、皆さん、その道の専門教育を受けてないというか、ある意味では自前・素人というか、つまり地面にしっかり足がついている。そのうえで、アカデミズムや奏法などを自前で獲得されたってことです。

受験秀才ではないですよ。河合先生も数学専攻で、一番にはなれなくて、最初は高校の数学の先生ですよね。まさか自分がユング心理学やるとは思われてなかったそうです。前川先生も高校の社会科です。オーデイションで東京芸大の連中ではなくて、大フィルのメンバーに選ばれた。その選んだ朝比奈先生は京大でて、もとは阪急の社員やって辞めて、また再度、京大で哲学という建前でじつはオーケストラをやっていた。

実は、3人ばらばらというわけでなくて、地元の丹波でなんとなく共通項があるんですね。ご存じのように、河合先生はユング心理学の大家ですが、お生まれは篠山です。前川先生も篠山で、大阪フィルビオラを弾いておられて、その大フィルの指揮者が朝比奈先生。個人的に第九を当時のフェスティバルホールで歌ったことがあるんですが、この時は前川先生は知りませんでした。

のちに、前川先生にバイオリンを私が教えてもらうんですが、バイオリンのレッスンが終わると、話がはじまるんですね。河合先生と前川先生は年齢が近かったらしくて、よく河合家に出入りされていて、その時の話とか、河合先生の兄弟がピアノとかされてカルテットされていたり。大フィルが初めてヨーロッパ公演したときに前川先生が団長をされて、朝比奈先生との裏話とかたくさん聞きました。ブルックナーのお墓のある聖フローリアン教会での演奏会の様子とか。

朝比奈先生は晩年、ブルックナー演奏で世界的に名声を博されて、シカゴ交響楽団を80歳で指揮されてます。前川先生が、田園公共ホールの名誉館長を朝比奈先生に頼まれて、のちに引き受けておられます。篠山城で花見をしたともいわれてました。

昭和40年代に兵庫県芸術祭というので、地元柏原高校の体育館で秋になると演奏会をされてました。当時私は中学生くらいだったですが、曲目覚えてます。ウェーバー魔弾の射手序曲、息子さんの朝比奈足さんでMozartのクラリネット協奏曲、ベートーベンの7番。ちなみに、最晩年の7番の三楽章スケルツォをきいて、あ、あの時の演奏とテンポから全部同じなんで驚きました。

Q. 好きな本は?


A. 影響うけたのは、高校時代の漱石、大学時代には大江健三郎。あと、最近だと、村上春樹の1Q84。仕事柄で言うと、「学習科学」という教育心理学系の最新分野があるんですが、その一連の関連本は、処分しにくいですね。四コマ漫画もすきです。古いけど、朝日新聞のサトウサンペイ。もう鬼籍ですけど、

Q. 好きな言葉は?
A. これは難しいな。とくにないかな。老子のいう「上善は水のごとし」くらい?
自分を反省するためにもですが。

Q. 嫌いなことは?
A. 並ぶこと。おいしいもの食べるために並ぶってしない。それと集団行動できない。というか、同調行動が苦手。大勢であつまってお酒飲んだりとかですね。あれは本当に嫌い。そうなると、当然、生きにくい。

それと話せばわかるは大嘘、って養老孟司さんが言っている文脈でですけど、人と話すことかな。つまり通じないこと。これは、正義とか公正とかには反することと関係しますね。まあまあ、とか、仕方ないとか、いい加減にごまかすのがいやですかね。だから、話すということの表裏の関係でいうと、通じないということでラジオやっているのは、かなり矛盾ですけど、伝わらないことがあるという前提がまずあって、その上で、話すことが大事なのかな。でも、誰かに通じるはずだ、と思っている節はある。その誰かというのは、この一番最後に書いてます。

Q. 自分の性格を一言で表すと?


A. もうわかるでしょう。だから、わがまま、ってことですね。
正確にいえば、心理学的な自己中心的というのはとはまた別だと個人的には判断してますけど。あくまで他者から見ての話ではあります。

Q. これからの世代に期待していることは?
A. 実はいい方では期待しにくい現状です。SDGsも関連してます。変える・変化・innovationが必要で、いままでのやり方をガラッと変える。それって若い人の特権でしょ。若い時には、失敗しても大丈夫ですよね。ただ、あまりにその失敗要請の声が大きすぎては、若い人が委縮したり、諦めたりしてるんが気になるんです。だから大人はきちんと壁になって立ちはだかる、抵抗できるようにしてあげることを最近わすれているんじゃないか。物江分かりの大人ばかりだと、若い人もやる気なくしますよ。

Q. 今の中学生、高校生にアドバイスを。
A. やはり、学ぶということを、作法もふくめてやってほしいのと、ほんまもんの芸術とか文学とか、人に出会ってほしい。本は読んだ方がいいです。そこらあたりに、学校教育がどこまで関与していいかも考えてます。できるだけいろいろな立場の人にであっていくのがいいと思います。世界が狭いのはけないですね。

Q. 今の大学生にアドバイスを。
A. 大学生ですか?。さっきの中高生の拡張バージョンでしょうけど。むしろ自由度があるとは思うので、人と出会ってなにかやってみる、そのリンクを広げる。このラジオもカナル君が丹波でやってるように、閉鎖的に生活するんじゃなくて、前回いったようにわずかなるカルチャーショックをうける、そのうえで、アカデミズムの学問体系に習熟すること。社会人になると、まったく未知の問題に出会うのですが、その時に解決する能力が学力だと思ってます。

Q. 今の教職に関わる方へアドバイスを。
A. めざすのは、教職専門性の確立です。いままでやってきたなかで、何を目指してきたのかというと、あらためてなんですけど、「教職専門性」の確立です。先生という仕事は、複雑で高度な専門性がいる分野なのに、そのような待遇を受けているわけではありません。同時に、アップデートが求められ、学術書を読む時間もいります。事実上これらは反故にされています。であるならば、それをねん出するしかないと思います。最初は個人レベルですが。アドバイスというか、そういう組織をつくって活動もしてきました。コロナで一時的に休止してますけど。優れた研究者と連携してきましたし。第一線の現場こそが大事だと思います。組織だってというよりゲリラ戦っていってます。

偉そうにいえないけど、忙しいけど、だから、逃げないで嘘も方便でやるつつ、教育の本質にせまる。本読むこと、サークルでもなんでもいいからでかける、こと。これも近年は難しいかな。責任ある専門家をめざせです。

Q. 今の目標は?

A. なんだろう。教育現場に援護射撃というか、背後から支援・貢献することかな。先生方の応援というかアップデートを支援するような仕事ですね。すこし、離れるけど、カナル君に必要なことを支援することもふくみますね。そういう個人レベルの問題って実は普遍性に拡張されていきます。カウンセリングの個人の問題というのは、実は根源的な共通する普遍的問題とかかわる、というユングの考え方です。

それとうまく死ぬことです。これが一番むずかしい。もう少し、家族にも貢献しないとですね。

Q.とみんさんにとって学ぶって何ですか?

A. 学びの定義は専門的に5つくらいあります。でも自分なりの答えだと、自己成長するために反省を促す対話が学びだと思います。学んで、目からうろこ、ってそうそうないですけど。ひょっとすると、あるんですよね。

学びということには、ある種の罪深さを感じます。というのは、知ること、知識を得られることの背後で、知識を得る機会のない排除されている人もいるわけです。学ぶ自分になにか罪も感じますね。学びが学校でしか実現できない、ということが、そのことと関係します。そうではなく、学びを広く深くとらえると、だれだって学んでいる。ただ、その学びに必要な知識、ある種の武器ですが、これを手っとり早く手に入れられるのは、体系化された学校ではある。

でも学校はどこかで政治的に権力持ちますから、権力はどこかで経済的・社会的に排除性も持ち合わせる。だから学びは、功罪二重の意味で罪深い気がする。つまり難治性の病です。でもそれを引き受けることで学びが成立する。となると、学びというのは、最終的に謙虚な祈りになっていく気がします。


【インタビューをされて感じたこと】byとみん

若いカナル君からの一問一答。あらためて、「私」という人間に興味・関心をもっていただいたことは嬉しいです。自分を、他者の視点から考えてみる、というのも、なかなか大事なことだと感じました。


アイデンティティといことばがありますが、「自分は自分だと思っている自分」という意味で、これもまた、自分の中の他者です。漱石が、かつての小説「草枕」の冒頭で、«山道を登りながら考えた≫、ように、あくまで他者との関係性のなかでしか自分はない、ということです。

そう考えると、関係性ということがますます大事になってきます。人生最後のほうになると、関係のある人はごく少数になっていくでしょう。現実の関係は現実から仮想の中に再編成され意味を与えられていくのでしょうか。その意味から現実の関係を超えた関係のない関係の世界を自分の中でうまくつくることが、なぜか大事と感じます。もちろん、そのためには、人生の前半でしっかり現実の関係を作っているという前提があります。そう考えると結局ラジオをはじめてみたのも、ひそかに気づくのは、どこかの遠いただ一人の他者との関係を築くためかもしれない、ということです。それはかつての自分かもしれないし、これからの自分かもしれないし。


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