雨あがりのアゲハ蝶
多分私は最近、かなり神経質になっているのだろう。
心配事がひとつあって、解決策が見つからない。起きた出来事は私ごとでは無いが、放っておけないので私はあれこれ相手に考えを伝える。しかし、それによってかえって相手が不機嫌になる。言うことは言った。解決するのは当の本人、本人次第だと思う。私はもうこれ以上、相手を動かそうとするのはやめて、不機嫌でいるのはやめよう。
雨上がりに、久しぶりに山道を歩いてきた。
その山は先日にも話した藤の花が咲く公園にある。朝方、多くの年配の方が健康づくりに歩いている。山といっても、舗装された道と山道がいい具合に混在していて、気軽に自然の彩り豊かな表情を見られるのが人気の理由だ。
その日は、山肌から流れ込む水で、アスファルトが湿っていた。
犬の肉球も、すっかり濡れてしまった。
水が苦手なうちの犬にとっては多少歩きにくいかもしれない。それがわかっていたから迷ったけれども、やっぱり来て良かったと思う。雨上がりの朝の山は、空気が違うからだ。
八重桜が散って、藤の花も咲き始めた。
どんな時でも、自然は自身のサイクルを乱すことはない。人間と違って、感情に乱されるようなこともない。
自然界の命には、感情が無い。それなのに、あたかも人間を理解しているかのような姿を見せる時がある。優しさと言ったらよいだろうか。だから、傷ついた人は、ただそこにいるだけで、その優しさに触れて、エネルギーが戻ってきたように感じられる。
目の前をひらひらと、アゲハが舞った。
ハッとして歩みを止める。そっと近づいて眺めていると、羽を真っ平らに広げて動かなくなった。
そこには太陽の木漏れ日が当たっていた。
久しぶりの陽射しに、蝶も日光浴か。
全く警戒しない無防備な姿を見ながら私は、気づくと呼吸がゆったりとなっていた。次第に肩から胸のあたりの強張りが緩むのを感じた。
リラックスしなさい。とお手本をみせてくれたのかもしれない。
心の緊張を緩め、無防備になる。それが心を開くということなのだろう。この蝶のように羽を広げ、太陽の温かさを思う存分に受け止めればよいのだ。
緩く解放的になると本人が気持ちいいだけでなく、その姿形は、それを見る人に伝染する。相手の警戒心を解き、いつのまにか相手をリラックスさせている。
イライラして、暗い表情をしていた私は、どれほどそれを撒き散らし、頑なな世界を作っていたのだろう。
蝶の姿を見ながら私は、深呼吸をした。私の心地よさが私の心地よい世界を作り、私の不機嫌さが私の不機嫌な世界を作っている。
羽を広げた蝶を、私は脳裏に焼き付けた。もう一度戻ろう、機嫌よい私に。そう誓った。
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