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いつだって始まりはゼロから

歴史的な変革の最中、

オーダーの仕事の依頼がゼロになったけれど

7年前も当然ながらゼロからの出発だった。


そもそもこの仕事を仕事として選んだのは、

元はと言えば『エゴ』からだった。


当時夢中になっていたアーティストがいて

彼が選んで着るシャツがいつもとても素敵で

それが、彼の友人のブランドのシャツだと知った。


当時、洋裁を学び始め、

その魅力と可能性に気付き始めていた私は

その時 初めて

この技術を介して人と繋がる、という《方法》があることを知った。



(いつか彼のシャツを作れるようになりたい。)

(彼からオーダーが入るくらいになるんだ。)


「好きなアーティストの服を作りたい。」

この技術によって憧れの人と繋がりたいという、エゴまみれのスタートだった。



ひとつ、何かを決めた瞬間、自動的に

二つの可能性が生まれるという。



例えば、「A校を受験しよう」

と決めた瞬間に、

「合格するか」

「不合格か」

という可能性が生まれるような。


私の場合もご多分に漏れず

「好きなアーティストの服を作りたい」という願いを宇宙に投げた瞬間に、


「彼の服を仕立てる」

「彼の服を仕立てない」

という二つの可能性が生まれ、


そこへ向かって色々なことが起こり始めた。


結局、

「彼の服を仕立てる」

という可能性はなくなった。


そもそも興味がなくなってしまったのだ。


けれど

「彼の服を仕立てない」という方を選んでから

すぐそばにいる方々との繋がりが強く濃くなっていった。礎が築かれるように。



『好きなアーティスト』への興味が薄れるにつれて、


『好きなアーティストのため』

から次第に周りの

『好きな人のため』に変わり

最後には『ご縁ある方のため』に、と

エゴが昇華されていった。



この技術で喜んでいただけるならば

何でもしよう。


いつしかそんな気持ちに変わっていた。



セーターの虫喰いを直す事や

長袖シャツを半袖に直したり、と

『頼まれごとは試されごと』を地で行くやり方だった。



こうして、

「『何か』私にできることを通じて社会と繋がりたい」

という願いはいつの間にか叶っていった。


不思議なことに

『オーダーメイドの洋服を作りませんか?』という言葉を一度も使うことがないまま

ポツポツと仕立ての依頼さえも頂くようになっていた。


魂が望むところを宇宙は人を介して

プレゼントし続けてくれたのだ。







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