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本当の自分になるためのレッスン②

なるようになる、心配するな
【命が宿ると書いて、宿命】

東方は龍高星、
激しく破壊と創造を繰り返しては
昇っていく龍の如く、
知性は体験する欲求に駆られて
今味わう痛みすら、

きっと何かこの先に新しい自分が待っている
と信じて疑わない。

肉体的破壊と創造も
精神的破壊と創造も
物理的破壊と創造も
その時々に起きたこと全て必要なのだと思う。

頭痛と目眩と吐き気は
小学生からの付き合い。
私の深層が見たくないと
暴れている証拠だというのは、
もう随分長く、
お師匠様のところに来る前から
扱ってきたことだった。

私は、愛するものが壊れていくのを観たくない、
自分が一番観たくないものに目が反応する。


1回目は2012年、
独立した時、望まない独立だったが
いろんな人の思いを全て真に受けてその選択をした。

「私さえ我慢すれば」
そんな言語が子供の頃からずっとある。

それを超えると、

「みんなが幸せなら、私はそれでいい、私がいない方がいい」


そうして、
邪魔者は姿を消すという選択をしてきました。


私は自分の存在を認めてなかったんだ、、、、
と先日とても強く理解した。
が、その時はそのようには思えなかった。

ただ悲しくて苦しくて、
でも誰にも言いたくなくて平気な顔して、


「わかりました。」


そして


自分の目が

網膜剥離を起こした。

黒目を切り取って、
網膜に開いた2つの穴を液体窒素で焼いて、
剥がれた網膜は戻りきらないので
眼球の周りの筋肉を3箇所切って、
そこにベルトを通して、眼球を縛る、
黒目は十針塗って留めた、という手術を、
部分麻酔で記憶でも1時間半くらいだったと思う。


見える方の目は
「しっかり前見ててね!眼球が裏に行ってしまうから」と、
被せられたブルーのシートしか見えないのに
ずっと、前だけを見た。


当然手術中の右目は真っ暗闇。
見えなくなったらこうなる。
出血多め、血圧低め、
と執刀医が看護師に伝えてる傍で
手術室の補助の医師たちは
忘年会の相談をしていた。

子供の頃喉の手術をした時も、この時も、


本当に頑張らないといけない時はいつも誰もいない。
という世界を見て生きていました。

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2018年、
もう壊れてるのに修復しようと努力したけど、
その執着を手放す時、
愛する人たちの見たくないものを見た。


その時も、ある朝、
起きてコンタクトを入れようと鏡を見たら、
右目の白目がイチゴジャムみたいになってた。
たった一晩で。


今も右目にはベルトが入っていて、
疲れると右目が痙攣する。
肉体で味わう変転変化。


7月4日、
お師匠様の声が遠くなっていく、
両眼が握り潰されるような痛みと吐き気、
薬が効かない。床に転がりながら、


「何かを思い出して捨てようとしている、今観ないと、
逃げたくない、今観ないと。。。」

そうして誰も来ない広い部屋に
夕方のオレンジの光のなか、
天井を見ながら時計の音だけ


あの頃に戻った。

そして


畳の上に転がって、誰も居なくて、涙が髪の毛に溜まって、4歳の私、


「誰も助けてくれない」

ハッとした。

意識が今に戻る、
なんで私大阪にいるんだろう、
わからないけど、
でも、あの時、決めてしまったんだ、とわかった。

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私はとても無口な子供だった。
と言うか表現がわからなかった。
厳しく愛されていて正しく教えられて、
何も疑ってなかった。


ただ、誰からも理解されていないことはわかっていた。
決めつけられていくことの
スピードについていけてなかった。
大人からしたらほんの小さなことで、
強烈な悲しみを刻んでしまうのね。

保育園の帰りのバスが
あのオレンジの光で
前が見えない時のことだけ覚えてたのは、
このせいかとも思った。

1週経っても鮮明に覚えてる。
脳は目で見たものと体験を
リンクさせて記憶するっていうのを
昨日本で読んで納得した。

痛みと開放はその日から3日間、
和らぎながらも
感情の揺れと一緒に押し寄せてきた。

私を救い出してくれたのは、
そんな私の状況も
今の環境も知っている上で、
私が痛みを訴えなくても
心配して回復を願って、何度も
「ゆっくり休んで、今は休んで」
と連絡をくださった先輩たちだった。

そしてその方々にとって私は、
私のエゴの強さからきっと理解し合えないと
思われているだろうと
私が思っていた方々だった。
数日間、仕事の引き継ぎと一緒に、
私のことを心から労ってくださった。


体験の書き換え。

何も持ってなくても、
たとえ私の我が強くても、
時に分かり合えなくても、
家族のようにずっと寄り添い続けてくれる人たちがいる。

人生にこんなことが思い当たらない。

いつもそうだった、
肉体的だろうと精神的だろうと、
一人でやり過ごすしかなかったから

「ほらね。」

と、捻くれた私の心を何度も肯定するかの如く


「やっぱりそう、私はこれからもきっとこうやって一人で乗り越えていく」

「頑張れみっちゃん、大丈夫」

そうやって、殻に閉じこもって来た。

恋愛もそう、


最後にお付き合いした人を
心から大切に思っていて、
でも離婚を経験したすぐ後に支えてくれた
その人は結婚がしたかったから、

「あなたが幸せならそれでいい」と身を引いた。


それから私は自分に恋愛禁止令を出して、
一人でも生きていけるように仕事に打ち込んだ。

まだ31歳。
お洒落もやめて、髪も一つに結んで
友人が

「そんなの美知じゃない」

って泣いてくれたけど、
話したところできっと誰にも
理解されないと思っただけでした。
口ではありがとね、と言うけど、
心の中では、好き勝手言いやがってと思っていました。


自分には普通の女の子のような
幸せは無理なんだと思ったから
いっそ父が言うように強くならないと、と思って、
どうせ実らない恋愛に気と時間を取られるくらいだったら
そんなにも役にも立たない不毛な時間を
今費やしている暇はない、
一人でも生きていけるようにならないと。

と思った時のことを先日思い出した。


出来事は覚えていたけど、
生々しく自分がその時の自分とオーバーラップするんです。
自分が過去の自分に憑依するような感覚。

気軽に「そんなに仕事ばっかりしているからヒステリックになるんだよ、彼氏でも作れば?」という人がいました。

仕事とそのことを一緒にされたのが屈辱だった。


「みんなは家族がいて、
パートナーがいて、帰るところがあるけど、
私にはこれしかない」


と訴えるように泣いたことがあったのを思い出しました。
独立より2年ほど前だったと思う。

”私が愛するといなくなる、家族も、恋愛も、愛するスタッフたちも”
”ちょうどいいがわからない、仕方ない、このようにしか生きれない”
”お客様のために生きていけばいい”


その言葉があるのは知ってたけど、
そう思った場面を、先日思い出した。


それは10年前、ちょうど大運が


己未に変わる時、


今思えば、


大運天中殺の入れ替わりの
大きな破壊現象が離婚と
その後の精神的な負荷


新たな創造は、


「育成を1から学び直します」と
マネジメントを当時の恩師の直下でやり直した頃でした。

その後、8年に渡り、
「美しい人を創るのが私の仕事です」
とたくさんのお客様やスタッフたちの受賞と、
3年連続No.1サロン賞。
それは加盟店舗全ての中で、
年間チームマネジメントの最高の受賞でした。

そしてその頃から10年ぶりに
私自身もNo.1を取り続けたのでした。

宿命を知らなかったけど、
ちゃんと、激しく壊れて、


ちゃんと宿命通りに動いていたんだ。。。


そしてちゃんと、
その組織も栄光もめちゃめちゃに壊れた。
2016年申酉天中殺に入る頃、
大運の切り替わりより早く、
激しく異常なことが起き続けたのも

その陰陽の激しさが故にこの学問や、
今支えてきてくださっている
この学び以外での友人や恩師、
仲間たちや新しい人たちとの出会いがあって、


そして古いものたちとのご縁が終わっていったのでした。

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学び始めて1年経つ頃、
この全ての激しいアップダウンの人生の出来事が
あまりにも恐ろしく宿命に当てはまるから


私が宿命を信じ始めた。


幼少期に苦悩って書いてるし、
家庭が壊れてるって書いてるし、
激しい葛藤の人生って書いてる。


トンデモナイ奇跡が起きた数々の信じ難い事象も、
全て、書いてあった。

自信がなくて誰にも言えなかった。
だって、もし宿命通りになるのなら、
素晴らしい人生になっていくはずだから


私はその時、自分の中にある

「私には無理」

が自分を苦しめていました。


本当のことがわかってなかったと思います。

あれから


10年ごとに、大運が切り替わる昨年は、
自分が意図して大切なものを手放したことに対して痛みはなかったから
このままでいいのかな、、、、とは思っていたけど、


やっぱり来たwww

と言うか、おそらく、
私のためにこの環境を
与えてくださったのだと思えてならない。

そうでもなければ、仕事に打ち込んで、
自分の人生を省みる時間も生まず、
生き方がおかしいことはわかっていても
どうしていいかもわからず、
頭で考える正しさの応酬に疲れ果てて
埋もれていってしまっただろうと今思うし、

実際、自分でももうブレーキが
かからないでいることに少し気がついていて、
どうにかしなくっちゃと思っていたから、


痛みと一緒に訪れたのは、


「身から出た錆」

と言う一言と一緒に、
あー良かった。壊してしまうところだったと思った。

実際には私ごときで壊れはしないから
壊れるのは私で、そして姿を消すのでしょう。。。


と思ったら、なんと有難いことか。。。と思った。
だから、しっかりと、私の中の誠実さを使って


この三週間、
自分の痛みの原因に出逢い直すために向き合った。


いつぶりだろうか。。。めちゃくちゃ力使った気がする(笑)


こんな体験を味わうことができてちょっと嬉しい。
いや、かなり嬉しい。


過去を今の自分と切り離して、
箱に入れて川に流す灯篭のような感じ。
けっして悲しくなくて、


有難う。私。


て言う感じ。


悲しいことの証拠づくりを
たくさんたくさんしてきてしまった人生に
バイバイした感じ。

破壊するってすごいことだと思った!!!!!!

一回全部更地にしてしまうってすごいことだ!!

龍高ってすごいパワフル。


と思った。

2020年2月末に、お師匠様が


「中原ちゃんはブログを書きなさい」

って仰った。
北方玉堂だから、
と安易に脳内処理した。

けど、私はまだ本当のことを知らない。


今思えば、
お師匠様には全部わかっていたのかもしれない。


私は「お師匠様が仰るからやる」
と言う理由が単純だし、
飽きっぽいし、続かないし、


けど、


私の体験を言葉にすることで、


これを読んでくれたどなたかの人生の


何かのきっかけになったらいいなと思っていて


だから、つらつらと

目には見えないことの書くことだけ決めた。

鏡花水月〜私の中の帝王学〜


鏡に映る花も、水に浮かぶ月も
目で見ることはできても手に触れることはできない


Wikiに書いてることが言いたいのではなくて、


私が言いたいのは、


見るひとの生き方で、その鏡の花は美しく、
水に浮かぶ月はなんと恋しいことか、
見るひとの生き方で、その花はなんと悲しく、
その月はなんと神々しいことか。
手に入ったと思ったらするすると
指の隙間を抜けて通っていく。
その境目を味わうことができないかと何度も何度も掬いなおす。
本当のことが何なのか、けして確信できることはないけれど、
知りたくて知りたくて、水面に手を浸けてみる。
きっと答えは出ないけど、私の人生はそんな手にはとれない、
心の目が見るものの連続。


私の心の中にだけある、
この心が映し出す世界をただ、
忘れたくなくて書いているだけ。

自己満足、ね(笑)

2021.7.13

辛丑
乙未
壬戌


あら、今日は私のハッピーデイだった。
どうりで、素敵な景色に巡り逢えました。
続きは③へ。

美知子


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