2024年共通テスト:日本史B 大問4

大問4:近世の輸出品と社会・経済との関係についての会話文
対外関係史からの出題なので一見すると見慣れない問題だったかもしれないが、江戸時代の対外情勢の理解(江戸時代に入る前も含めた)が解答への鍵になる。
小問数:5 ※適語選択 年代並替え 正誤問題 資料読み取りなど
解答 問1:2 問2:5 問3:3 問4:4 問5:3
難易度:標準 ※背景知識があれば易。
≪解説など≫
問1 空欄に入る語句の組み合わせを選ぶ問題。
背景知識として、麻よりも木綿が高価(高級)な品物であること、当時の世界の通貨として銀が使われていたことが理解できていればそれほど難しい問題ではなかったと感じる。
・朝鮮半島から多く輸入されていたのはもめん。綿花・綿糸・綿布の総称。
・14世紀末の日朝貿易まで遡る。輸入品として大量にもたらされる。のち、庶民にも衣服の原料として普及していく。
 →三河:綿花の栽培が始まる 近世以降の主要産地でもある
・中世の貿易では、中国などへの輸出品の中心は銅で銀は輸入品だったが、灰吹法が伝わったことにより、石見銀山などに導入され、近世に入り貿易の輸出品となっていく。
 ★17世紀初頭の日本の銀の生産量は当時の世界総生産の3分の1にあたる。
 ★金に関しては、奥州藤原氏など、東北地方で産出したことを抑えておこう!

問2:下線部a(江戸幕府がポルトガル線の来航を禁止した)に関する問題。
 Ⅰ:江戸幕府は、ヨーロッパ船の寄港地を平戸と長崎に限定した。
 Ⅱ:かつてキリシタン大名の領地であった島原・天草地域で、牢人・百姓による
  大規模な一揆が起きた(←1637年の島原の乱/島原・天草一揆のこと)
 Ⅲ:江戸幕府は、キリスト教を禁止し、宣教師や信徒を迫害し始めた。
  (1612年 幕僚に禁教令 翌年、全国に禁教令)
→下線部にあるポルトガル線の来航の禁止に関しては、「鎖国」体制構築の一環と
 して捉えられる。なお、「鎖国」という言葉そのものはこの頃ではなく、1800
 年代に入ってから使われ始める。
→1637年の島原の乱の鎮圧後、ポルトガル線の来航を禁止したことによって、来
 航する船に関しては、オランダと朝鮮、中国(明→清)となる。
→鎖国体制構築の一環と考えていくと、Ⅰに関しては、Ⅲでキリスト教が国内で布教
 しないようにした後に、布教と貿易をしている国(スペインなど)の来航を禁止
 していく、と考えれば順番としてもⅢ→Ⅰとなる。
→キリスト教関連、鎖国体制構築関連を考えるときに、布教関連の最後と体制構築
 の完成が島原の乱前後と考えるとこの問いに関してはさほど難しくないといえ
 る。

問3 下線部b(俵物の輸出が促進されるようになった)に関連する問題
 X:俵物の輸出が促進された背景には、17世紀末に中国からの来航線が減り、貿
  易額も減少したため、幕府が輸出増加策をとったことが挙げられる。
  →1685年 オランダ船・清船からの輸入額を制限しているので、増加策とは
   ならない。
 Y:俵物の輸出が促進されたため、蝦夷地で干し鮑・いりこなどの生産が活発に
  なった。
  →正文。特に、田沼意次の頃には、俵物の輸出は奨励されていた。
よって正解は③となる。

問4 下線部c(輸入に頼っていた砂糖は国産化が進む)に関連する問題。
 史料1:「守貞謾稿」
  →おそらく初見の受験生が多かったと思う。今回のように初見(あるいは教科
   書には掲載されていないような)史料に関しては、リード文や注釈を確認し
   て、時代を判別し、当時の政治情勢や生活状況などを考えていくことが求め
   られる。
  →今回は、リード文に「江戸時代後期」とあるので、おおよそ18世紀後半以降
   であり、「当時の風俗を記した書物」とあることからも化政文化の頃ではな
   いか、と推測することもできる。
  →当時の江戸時代だが、専売制も始まっている頃であり、特に砂糖に関して
   は、薩摩藩が琉球経由で専売していた背景がある。薩摩藩が琉球経由で手に
   入れることができる背景は、17世紀初頭の島津氏による琉球への侵攻があ
   る。
内容に関して
 「今、白糖は讃岐を第一、阿波これに次ぎ、駿河・遠江・三河・和泉等またこれ
 に次ぐ。黒糖、それ以前は薩摩より琉球産を渡すのみ(←薩摩の専売制/選択肢
 ③は逆になっているため誤文)。創製以来、紀伊・土佐を第一とし、和泉・駿
 河・遠江・三河その他もこれを産す」と記述があるため、一部の藩領でも白砂糖
 や黒砂糖が生産されていたことがわかる。
  →選択肢①に関しては、史料より、「長崎入舶の蘭、一種を持ち帰る。(中
   略)その糖を〜」とあるため、オランダ戦から砂糖がもたらされたことがわ
   かる。そのため、薩摩藩の琉球への侵攻が17世紀初頭であることを考える
   と、誤文となる。
 →選択肢②に関しては、史料から「自由な取引を容認していた」ことが読み取れ
  ないため、誤文となる。
よって、正解は④となる。

問5 下線部d(生糸や絹織物が国内で生産されるようになったことは人々の暮らし
   にも大きな影響を及ぼした)に関する問題。
背景知識として、群馬県が生糸の産地であることが必要。
※群馬県はかつて養蚕業が盛んだったが、現在は自動車関連工業が盛んになってい
 る。知識レベルとしては、中学受験・中学地理レベルのことではあるが、意外と
 盲点となる内容でもある。
史料2:『群馬県史』
 個人的には、特定の都道府県の都道府県史からの出題のため受験生はどのような
 印象だったのか気になる(特定の地域の受験生が有利不利になる、といったこと
 ではなく)
設問からのヒント
 →1835年に制作された上野国桐生および下野国足利周辺の機織り屋に関する文
  書、とあるので時期の特定も可能である。ここを間違うと時代背景がずれてく
  るので気をつけよう。
a:誤文
 「これらの地域では約50年前から織物業が繁盛」とあるが、江戸初期から織物を
 専業とするものが集住していた、とあるため誤文。
b:正文
 「これらの地域〜他国(←ここでは「地域外から」という意味)からも糸を買い
 入れ、糸問屋がたくさん出来、機織り屋はそれぞれ機織り女などを大勢抱えて生
 業としている〜自然と農業はなおざりになっている」は正しいと言える。また、
 「これらの地域では、19世紀に織物業の専業化が進んでいたと考えられる」とい
 う部分も正しい。
c:正文
 「これらの地域で織物業が盛んになった時期」といのは、約50年前に当たる18
 世紀後半であり、「商品生産や流通の担い手となる豪農が経済的に成長した」時
 期と重なるため正しい。なお、時期的には田沼意次の政治の時期であるため、重
 商主義による政治の立て直しの頃で、株仲間の奨励もこの頃である。
  また、一部教科書には、織物業などで豪農がマニュファクチュア(工場制手工
 業)を展開してことも記述がある。
d:誤文
 「幕府領では幕政改革により、新たに定免法による年貢増徴策が採用された」と
 あるが、この幕府改革の内容は、18世紀前半の享保の改革によるものであるた
 め、誤文。
よって、正解は③となる。

背景知識があれば比較的容易に解ける問題だった印象だが、初見の資料が多いのもあり、少し戸惑った受験生もいるのではないだろうか。
今回のような初見の史料、あるいは教科書や模試でもなかなか見ないような史料の時は、ヒントとなるものをリード文や設問からしっかりと読み取る必要がある。また、この大問に限らず時代背景はしっかりと学習しておくことで、限られた時間内により正解に近づく(正解と自信がもてる)ことにもつながる。

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