木畑洋一『20世紀の歴史』(岩波新書)

 ずっと前にかいたもの。
 
20世紀は「世界戦争の時代」といわれた。これを考える場合には、二度の世界大戦はかってない破壊的なもので、しかもそれ以外にも20世紀の歴史はおそろしいものであることをもう一度くわしく記憶しなおさなければならない。
 木畑洋一『20世紀の歴史』(岩波新書) は、20世紀の歴史がジェノサイドと大量迫害殺人、戦争の歴史に満ちていることを示している。この本を読んでいると、これらの戦争・抑圧・内戦にともなう死者の数を数えることは歴史家にとってもっとも大事な作業なのだということを実感する。現代史家の視線は確実なもので、これは基礎的な歴史知識であり、歴史像の基礎であると思う。

 たとえば、私は、第二次大戦後に「二度目の植民地征服」といわれるイギリス・フランス・オランダなどのヨーロッパ列強を中心とした植民地体制の再建の動きがあったこと、その中で大量迫害死があったことを系統的な知識としてはもっていなかった。木畑によって紹介すると、インドネシア独立戦争では、オランダ側がインドネシアのナショナリストに極端な暴力をもってのぞみ、インドネシア側で戦闘員が4万5千から10万人、非戦闘員が2万5千から10万人死んだ。インドシナ独立戦争ではベトナム側の死者が20万人とも40万人ともいわれ、フランス側では、フランス人2万、外人部隊(アフリカ人をふくむ)1万5千、(ラオスなどをふくむ)現地召集が4万6千人の死者である。インド独立は平和的な権力移譲であったといわれるが(私もそう習った)、現実にはこの時のインド・パキスタン分離のなかで暴力事件が多発し、その過程での死者は50万から100万と推定されている。インパ分離がイギリスの植民地支配維持の思惑に一因があったことはよく知られている。アルジェリアでは、フランスのアルジェリア民族解放戦線の動きと悪名高いフランスのOASの攻撃によってアルジェリアの側の死者数は30万から40万に達したという。そして、アフリカのケニヤにおけるマウマウに対するイギリスの攻撃は10万から30万のキクユ族の死をもたらした。これに1948年のイスラエル建国にともなう「大破局・ナクバ」と第一次中東戦争による死者が加わるのである。

 もちろん、ソビエトによる東欧に対する社会帝国主義支配によっても多くの死がもたらされ、さらにスターリン・毛沢東の指示によって発生した朝鮮戦争も、第二次世界大戦後の戦後体制における陣地確保としては、同じ文脈で理解できる(シベリア抑留も同じ要素をもつ)。

 植民地体制からの開放と独立が、この「二度目の植民地征服」を乗り越えることによってようやく実現されたということを忘れることはできない。私は、1948年生まれで、いわゆるベビーブーム世代であって、第二次世界大戦、アジア太平洋戦争の実態的な記憶はないが、しかし、この「二度目の植民地征服」に関わる記憶は、自然に自分のなかに入っていることを確認した。インドシナのディエン・ビエンフーの戦いの写真や、映画『アルジェの戦い』の記憶は、やや遅れながらも、我々の世代の記憶のなかに根付いているのである。我々の世代は、その延長線上でベトナム戦争をうけとめたのであろうと思う。

 話がずれたが、この意味では、木畑が、20世紀がどれだけの犠牲をもって19世紀、1880年代からの「帝国主義の時代」を乗り越えたかを強調することの意味は重大である。木畑はホブズボームが1914年以降、ソビエトの崩壊までを「短い20世紀」=異様なる時代として総括するのに反対し、1880年代からの「長い20世紀」のもたらしたものを、ともかくも肯定的に考えなければならないという論調を展開する。ホブズモームの理解は端的にいってヨーロッパしかみていないという批判は正しい。世界全体をみて、巨大な犠牲と巨大な変化を確認したうえで議論を展開する木畑の意見を「楽観主義」であるということはできないと思う。私にはまだまだ20世紀におけるジェノサイドと大量迫害殺人、戦争の歴史の詳細を実感するだけの体系的な知識はないが、木畑のいう意味での帝国主義と植民地体制の時代を乗り越えたのだという指摘の意味は重いと思う。

 しかし、その上で、木畑の指摘をこえて考えなければならないことも多いと思う。

 それは第一に、歴史をみるスパンの長さに関わっている。つまり20世紀を人間の異様なる大量死の時代として考える場合には、それが16世紀の世界資本主義の原始的蓄積の時代におけるアンデスとアフリカにおける大量虐殺以来の歴史の到達点であったということを考えなければならないと思う。16世紀以降、人類の歴史は大量死という異常事態がいつ起こるかわからない。それが日常の風景である時代に入ったのである。そして、それは1945年における「核時代」の開始によって現在も続いている。

 第二は木畑のいうように本当に「帝国主義」の時代は終わったとまでいえるのだろうかという疑問である。私には、湾岸戦争とユーゴスラビア爆撃は欧米が集団的な帝国主義のイデオロギーと体制を再建したもののように思える。それは古典的な領土分割をともなう帝国主義ではないが、資源独占という意味では、以前として膨脹主義的な未来予測をともなっている。将来を見越した地政学的な勢力圏を確保しようという点では相似した衝動がいまだに諸列強を支配しているようにみえる。それは科学技術と情報技術の知財化のネットワークの経済構造(情報資本主義・知識資本主義)に支えられているだけに不可視の部分が強くなっているが、現実には諸列強世界の帝国的な構造は継続しているというほかないのではないかと思う。

 第三は、それにかかわってそもそも帝国・帝国主義というものをどう考えるのかという問題があると思う。19世紀以来の帝国というものはレーニンの古典的な定義をどこまで維持すべきかは別として経済構造に基礎がある。その膨脹主義が資本主義的な事業拡大の無限の衝動に源由があり、それにもっとも適合的であるというハンナ・アーレントの理解は正しいと思う(『全体主義の起源』)。

 しかし、帝国主義には歴史的な基礎がある。前近代の帝国の基礎があるのではないだろうか。木畑は、帝国を「帝国意識」の問題として描くが、「帝国意識」の源由にあるのは、歴史である。

 こういう観点から言うと、アメリカには、ヤンキー帝国主義のニュアンスがある。ネイティブ・アメリカンズに対する抑圧、アフリカ人に対する奴隷化、南アメリカ支配とアンデス文明に対する虐殺行為の歴史的由来をひく帝国主義である。そして、ヨーロッパ(EC)にも「ヨーロッパ帝国」のニュアンスがあると私は思う。ブローデルやウォーラーステインは12世紀以降のヨーロッパに「帝国性」をみとめず、「世界=経済」構造とするが、しかし、現実には、相当の帝国性があるというのが、近年の歴史学の意見である。外部から客観的にみれば、キリスト教主義を背景とする集合的帝国ー「自由貿易帝国主義」(普通は19世紀についてのみいわれるが、むしろ帝国化がヨーロッパ内戦と外縁拡大によって固定しなかったという要素を重視したい)を考えて何の問題もないと思う。そしてこの帝国が、それに対応して生まれたイスラムの諸帝国の歴史的由来を主張するのが現在の中近東における支配システム(板垣雄三のいう「中東国家体制」。サウジアラビア・カタル・アラブ首長国連邦など)である。2012年の歴史学研究会大会全体会での長沢栄治報告は2011年の「アラブの春」が対峙した中近東の支配体制を欧米帝国主義諸国に従属的に同盟し、危機を自己培養し、腐朽しつつ展開している「アラブ諸国家システム(アラブ的全体主義)」を描き出した。残念ながら、長沢報告を聞いた後も十分な勉強をしておらず、確信をもっていうことはできないが、私は、このブロックも一種の帝国性をもっているのではないかと思う。彼らには世界をみる帝国的な視線と生活様式がある。そもそもイスラム帝国はヨーロッパと同じように一種の多元性をもっていたのではないか。ヨーロッパを「世界=経済」構造とするのは一種のヨーロッパ中心主義ではないかと思う。
 なお、日本については、江戸時代、早くからヨーロッパ(オランダ・ロシアその他)が日本を世界の「七帝国の一つ」(あるいは「六」「十一」とも)とみなしていたという問題がある。江戸期国家もそのような自己認識をもっていたことが明らかにされており(平川新『開国への道』小学館日本の歴史十二、2008年)、それが明治国家の帝国意識にかかわっていることも明らかである。

 長沢氏は「アラブの春の擁護、民主化支援を介入の正当化の根拠として、覇権主義的な秩序の再編が、現在試みられているのである。たとえばサウジアラビアに対するドイツ。メルケル政権による戦車供与や治安訓練などがその一例である」とし、さらに「社会的混乱を助長することによって、専制的権力の維持・強化をはかる旧体制側の伝統的戦術こそが宗派主義の扇動であった」「19世紀の東方問題以来、この地域における宗派主義の策動は、欧米の介入とたえずむすびついていた」と述べている。
 
 20世紀から残された「帝国主義」は、たしかに木畑がいうように大きく乗り越えられた。20世紀の巨大な犠牲と巨大な変化は、それだけの意味をもっていると思う。それ故にこそ、その実態と戦争の責任を世界的な記憶の構造のなかに定置することが必要なのである。南京大虐殺における殺害の数について、中国政府において30万という演説があったのに対して、日本政府の官房長官がもっと少ない、事態を誇張していると主張したという問題が最近報道された。歴史家から言わせれば、20世紀における大量殺害の歴史はもっとも慎重な議論が必要な問題であることを自覚できない政治家というのは語義矛盾である。少なくとも、このような主張は、南京大虐殺の人数を20世紀のなかで考えるという視野が必要だろうと思う。そのとき、世界各地でおきたジェノサイドと大量殺害の数とくらべて、結局、「それはどこでもあることだ」という姿勢に落ち着いてしまうのか、それとも20世紀という時代がどういう時代であったかを正面から考えるという姿勢をとるかが大きな岐路になるように思う。

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