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地域づくり 1 PTAからPTCAへ

PTAから、PTCAへ。地域づくりの話をスタートいたします。
私は、1991年、日本IBM株式会社に約10年勤務の後、長男の誕生を機会に
高知県にUターンしてきました。IBM在籍時に、宣伝会議のコピーライター
養成講座の専門コースを修了していましたので、Uターン先は、高知県内で
株式の店頭登録を間近に控えていた建設機械開発会社で人事課広報係として
就職。まさに、仕事内容もガラッと変えて人生をリ・スタートしました。
1994年に次男、1996年に長女を授かることができましたが、長女の誕生直前に、父親が亡くなり、母親の住む地元南国市稲生に家族で戻ってました。

南国市稲生地区は私が生まれ育った地区でもあります。そこで、子育てをすることは楽しみでもありました。また、母親も孫3人の面倒を見ながら、生活をすることで、父親が亡くなったことから、少し癒されたと思います。

さて、タイトルである「地域づくり ①」ですが、長男が小学校に上がってきたころから始めました。2003年には、南国市立稲生ふれあい館の運営審議副委員長になり、翌年、42歳の若さで運営審議委員長に選出されました。

そして、2005年には、小学校のPTA会長をして欲しいとの話がでて、受けるにあたり、その当時、全国的にも非常に少ないPTCA化をスタートしました。
PTCAは従来のPTAに、コミュニティのCを入れた任意の社会教育団体です。
次の地域づくり 2では、実際のPTCA化の話を書きたいと思います。

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