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中途半端の続き

各大学に存在する落語研究会、通称「オチケン」。度々にはなるが学生時代の4年間落研に身を置いていた僕は、活動を通して学内外問わず多くの知人友人を作ることができた。交流は現役の学生だけには留まらず、かつてそこに在籍していた卒業生、いわゆるOBさんとも人脈を築くことができたのも有難い。それぞれ「学生時代に落語を経験した」という共通項がありつつも、全く違う職種、落語や生き方に対する考え方があり強く価値観を刺激されたものである。


2015年のいつだっただろうか。梅田から一駅離れたところ、十三のちょっとシャレたカラオケバーへ先輩に呼び出された。隅のテーブルに居座っていたのはカンニングがバレて留年した五年生の先輩とOBさんが、確か三人。その中には当時の落研OBの会長さんも座っていた。強面でザ・大阪のおっちゃんといった風貌のその方は、素人ではあるがバリバリ落語を続けているという根っからの落語狂。誰よりも大学の落研を愛しており、現役生の公演にもよく来てくださっていた。

来ていきなりカラオケを歌わされ、そこからしばし談笑。全く世代が違えども落語という共通項があれば酒の話も弾む。OBさんが最近観たプロの落語の話から、かつて大学に在籍していた素人の方の落語の話、そして直近の公演で僕が演じた落語の話題になった時、その会長さんはこう言った。


「お前の落語は、中途半端です」


スラムダンクの福田吉兆並みに褒められたい欲が強い僕は他人に何か言われるとすぐ傷ついてしまうヘタレメンタル野郎で、この時も言われた直後は少しガックシきたのだが、後々考えるとそれほど嫌な感じはしなかった。むしろその口調や目線から、ただ貶しているのではなく、「もっと上手くなれよ」という期待が込められているような気がした。

思えば特に上回生になってからは、僕は毎日のように落語を練習していた。ネガティブによる過剰な承認欲求、シンプルに「面白い」と思われたい、上手い落語をやって落研にいるヘンな女の子と関係性を持ちたいなど稽古の理由はあれこれあったが、この人に素直に「おもろかった」と言われたい、というのも脳の片隅にはあったのかもしれない。


カラオケバーに呼び出されてから数か月後。大阪の池田というところでは、毎年プロの落語家を除く社会人のみが参加可能な落語の大会が行われている。150人近くの出場者がいる中、予選を終え翌日の決勝へ残ることができるのは両手で数えれるほどの演者のみ。会長さんが決勝戦に進出したことをTwitterで知り、予定が空いていたため会場へと足を運んだ。

その人の落語を観るのはそれが初めてだった。自分が酒好きであるというところから選んだ、居酒屋でただ酒を飲む落語。他の決勝進出者の落語も非常に完成度が高く、ホールにいるお客さんが大いに笑っていたが、会長さんの生み出した笑いは別格だった。落語は自分と登場人物がどれだけシンクロできるかで完成度、牽いては生み出される笑いの量も大きく変わる、というのは僕なりの見解だが、その時の落語に出てきたのは会長さんそのものだった。キャラが本人にあそこまでバチンとハマった落語は、僕の知る限りでほぼないように思えた。大きな笑いの波、「会場が一体となる」の体現。素晴らしいパフォーマンスを見せ、結果は見事優勝。誰も文句のつけようがなかった。

本人は「笑いの量だけで優勝した」と述べていたが、その笑いの量というのも圧倒的落語とのシンクロ率、そして一つ一つの台詞を緻密にどの言葉をどういった間で、どういった口調で言えば面白いかを熟知しているからこそ生み出されたものだったように思う。この年になって、プロの芸人さん以外でここまで何をどうすれば面白いかを分析している人、笑いにストイックな人を僕は知らない。営業マンだった、らしいこの十三のおっさんは、僕から見ても素直にカッコ良かった。


2016年7月。それほど頻繁には使われていない落研のグループラインが更新された。情報を受け、全くモチベーションが湧かずなぁなぁで終わった就活でしか着なかったスーツに買ったばかりのネクタイという出で立ちで阪急電車を使って十三へ向かう。駅の改札を出て、そこから右に曲がり徒歩5分程。誰かが演出してんじゃねぇの、って思ってしまうほどの少し曇り気味の空の下、似たような恰好をした多くの落研OB、一部現役の学生、落研以外の面識ある人ない人たちが僕と同じ場所へ向かっていった。

60歳になって間もないその会長さんは、白装束になり棺桶の中で眠っていた。今でもその印象的な寝顔は脳裏に焼きついている。口をポカッと開けた、能天気な表情。生命維持のための活動を停止したとは思えないほど気持ち良さそうな、そしてなんだか間抜けな顔だった。突然棺桶からむっくり起き上がって「ウソに決まっとるやんけ!」と言われても式場の全員が受け入れられるくらい、亡くなった人の表情だと思えなかった。多くの親族、落語関係者の方々に見送られながら、会長さんはたくさんの花と、本人の希望で詰められたエロ本たちと共にやたらと派手な黒い車に載せられていった。

最後にお会いしたのは葬儀より数ヶ月前、体が弱って入院したと聞いて五年生だった先輩と一緒に府内の病院へ向かった。普段より少し声は小さかったものの、ほとんどいつも通りの様子で、むしろお見舞いに来たこちら側が元気を頂いたくらいだった。故にあまりにも突然のことすぎて正直五年経った今でも信じがたい。どっかのタイミングで「ウソやで!」といって出てきてくれるという、あまりにも壮大すぎるドッキリなのだろう。


その方が「見に行きます」と言っていた、僕にとって最後の学祭の公演が同年11月に終わった。幽霊的なもんを信じる信じないの話は置いといて、あの人は何かしらの方法で僕の落語を観ていたんだろうと思うが、感想が聞けないというのが今でも悔やまれる。果たして僕は、中途半端以上のものを作ることができたのだろうか。いや、あの時の出来から察するにまた「中途半端やで」と言われたに違いない。次にお話を聞けるのはいつになるだろうか。またどっかのタイミングで一喝してもらいたい。


数年越しになんで急にこんなこと書きたくなったかはマジで知らん。

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