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648/1096 七夕辛いね美しいね

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で648日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

648日目、日本は今日は七夕だ!こちらにいるとびっくりするほど七夕の実感はないが、今日は7月の7日だ。

わたしは毎日投稿を書いていなかったら、七夕にも気がつくことはないと思う。始める前は毎年気づかぬまま過ごして、あとでSNSを開けてはじめて、ああ日本は七夕だったんだね、と思っていた。十五夜だって節分だってそうだ。人はどんなに重要だと思っていたこと、どんなに大好きだと思っていたことだって、薄れ忘れて離れることがある。寂しいくらいに、そんなもんなんだな・・と思う。自分のことが寂しい。

恋人に振られるほうの人だけが、辛いのだと思っていた。自ら振って去るほうの人には、痛みはないのだと・・・そんなケースもたくさんあるだろうけれど、でも、去る人のほうも切なく苦しいということだってあるのだ。ほんとうさ・・・

愛していられればよかったのに、忘れずにいられればよかったのに、忘れていく自分を止めることができない。同じでいたかったのに、自分の心が変わりゆくのを止められない。「自分という人」の心変わりを責めて、そこから置いてけぼりにされてしまうという意味では、振られる人と同じだ。さらには、その自分という人は悪役だ。相手が責めるのは自分だ。自分が責めるのも自分だ。みじめだ。
留まっていたかったのに、どうして自分は変わってしまうのだろう。

わたしは成人式も忘れ、ひな祭りも端午の節句も敬老の日も七草粥も忘れてしまう。どうやっても止められない。そしてそれらは、クリスマスとパスクワ(復活祭)とサン・マルティーノとカルネヴァーレ(謝肉祭)とに置き換えられていく。この土地の節目に放たれる磁力を浴びて、そのワクワクした空気を吸って吐いて、知らぬ間にそれを心待ちにするようになる。

だから、遠距離恋愛は難しい。
今日は七夕だ。そのことを思って書いてみよう!

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七夕にまつわる織姫と彦星の物語を知ったとき、みなさんはどんな気持ちになっただろう!わたしは子供のころにそれをはじめて知って、美しいなとかロマンチックだなとは少しも思うことができなかった。それどころか、ゾッとした。とにかく強烈に思ったのは、「うわっ、絶対に嫌だ・・・!」だった。自分がこんなに切ない思いをするのは勘弁だと思ったのだった。

今も同じ思いだ・・・一年に一度しか逢うことができないこんな遠距離恋愛、とても耐えられないと思う。働き者だった二人が、つがいになったことであまりにも幸せで楽しかったために仕事をしなくなった。そのために天が怒って逢えないようにしてしまうなんて!!しかもあれですよ、雨が降ったらその日の逢瀬はなしね。って!!そんなご無体な・・・!!

週末だけと言うならまだしも、七夕の日以外の日は仕事をしていなくてはならないのだとしたら、働かせ過ぎである。集合意識のうち、ブラック企業をうみだす大元となった意識なのではないかなどと思ってしまう。(本気

仕事をサボっちゃいかんのだろうけれど、それにしても1年に1度では悲しすぎるじゃないかと、天や神をディスりたくなったものだった。七夕は子ども心にも、神への不信感になるほど恐ろしい、理不尽な罰の話に思えた。

自分が織姫だったら、はじめのうちいつもいつも、どっかに彦星の姿を探してしまっただろうと思う。向かいのホーム、路地裏の窓、こんなとこにいるはずもないのに。そしてもう悲しすぎて悔しすぎて頭を切り替え、「もう恋なんてしないなんて~言わないよ絶対~~」と歌い始め、別の人をなぐさみにするうちにその人を好きになってしまうこと必至である。そこが固く確定要素である。そして次の七夕でその人を連れて彦星に会いに行き、よろしく~~ってなことで3人で仲良くなろうとしてしまう・・・!そしてそれを見た神さまが激おこになり、500年以上はつがいになる相手を見つけらず無念のうちに死ぬ動物として転生させられることとなりそうだ。ひいい恐ろしい・・!!

七夕というのは、もともとは中国の棚機(たなばた)の伝説から来ているそうだ(今日はじめて知った)。村で選ばれた、けがれを知らない乙女がタナバタツメ(棚機津女)となり、俗世から離れて棚造りの小屋にこもって神聖な神が着る服を織って捧げ、村の災厄を除いてもらうために天から降りてくる神の一夜妻になり、神の子を身ごもって彼女自身も神になるという伝説らしいのだけれど、ない・・ないわ・・・そんな話あるかいな・・・神さまが好みのメンズでなかったらどうしたらいいの・・・それではその乙女はある意味で生贄ではないか・・!

七夕のなにがそんなに自分にとって恐ろしく、またひと言申したいのかをよく考えてみると、

◯まず、恋心って止められないじゃん!一定期間、盲目になってクレイジーになって超燃え上がるじゃん!そこは本人の決断ではないのだから、責める対象にするのやめてやって・・・!

◯それにさ!放っておいたって、いつかだいぶクールダウンしますよ?!その期間に新しい織物によるその夏トレンドのファッションを楽しめないからって、神さま的にそんなに復讐しないと気の済まないことなの?!それぜったい、集合意識のうちインスタ映えを気にしまくる意識の元となったと思うわよ?!

◯逢えなくするくらいなら、自由に会えるようにしておきつつ、素敵なグッドルッキングガイズを織姫の周りに、ハーレム的環境を彦星の周りにうまいこと配置し、徐々に二人の恋が収束に向かうようにしたほうがはるかに平和に解決したのではないかしら?!いやダメか・・それもそれで悲しいか・・・愛することに疲れたみたいになって、嫌いになったわけじゃない
のに、『部屋の灯はつけてゆくわ、カギはいつものゲタ箱の中に隠してあるわ』いうて置き手紙して出ていってしまうかしら・・(昭和)七夕が浮気と不倫と心変わりを象徴することとなり、それこそ『もう恋なんてしない日』になってしまうかのう・・・

◯は。。ちょっと待った・・!神さまとしては、織姫がけがれなき乙女のまま神の一夜妻になるべきなのに、格下の人間男に惚れちゃったってことが許せなかったってこと・・?ほんじゃ、それただの嫉妬だったってこと?え・・(;´Д`)それはドン引き・・七夕が嫉妬&復讐の日て・・・(悲

◯それと、天は『恋より仕事』だと言いたいのだろうか。それってまさに、「アタシと仕事、どっちが大事なのよ!」の元となった意識じゃなかろうか。それにそうだとしたら自分はもう、生まれつき天に顔向けできないやつなんだが。どうしたものだろう。でもさあ、そういう人だっているじゃん!一生懸命生きてもつい恋こそが重要になってしまう、そこから学んでいくタイプの人が・・!仕事については空振り三振がベースにある人ってものが!それじゃダメなんかーい!

・・・今日は七夕、みなが短冊にお願いごとを書いてお祈りする、愛し合う者同士が星をまたいで逢うことができるというロマンチックな日だ・・・そんな日にこんなに神さまにあれこれ進言する罰当たりな自分です・・・

いにしえからつづく、千年級の美しい恋心にみなさんはなにを思いますか。わたしは大変今更なのですが(笑)、恋というのは、さまざまな理不尽に対する上のような悲しい不平不満を凌駕するほどに、強い愛になりうるものだと思います。それは、天の罰にさえ屈しないもの。

もしかしたら七夕というのは、人と人との愛は、天をも超越するものなのだと教えてくれる日なのかも知れませんね。今日は必ず夜空を見上げて、その事に思いっきり心を預けてものを思ってみたいと思います!

ここ数日の九州をはじめとする長野県以西の大雨が、今日現在もまだまだ警戒を緩められないということですが、どうかみなさまご無事でいてくださいね。イタリアから、読者愛、祖国愛、人類愛、自然愛、宇宙愛、少額ですがYahoo!基金をもって、応援とお祈りをさせていただきます。

それではまた、明日ね。

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