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878/1096 平穏な暮らしに命をかけて

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、己の夢を叶えようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で878日。

※この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。

878日目。進撃の巨人のオープニングのひとつである『Red Swan』を聴いてしまうと、涙で目が曇って執筆ができない。なんてきれいな曲なんだろう。作詞作曲は元X-JAPANのYOSHIKI氏で、HYDE氏が歌っている。

わたしは、YOSHIKI氏のことをほとんど知らなかった。子どもの頃に、金髪を逆立ててキョンシーに似たメイクをした声のきれいなおじさんが歌っている横で金髪ロングヘアを爆発させてやはりキョンシーのメイクを施したおじさんがピアノを弾いていたのを見て、不思議に思ったっきり興味を持ったことがなかった。あのピアノの人がYOSHIKI氏だった。あのすべてに、自分が幼すぎて理解が及ばなかった。

けれどもこの曲を聴いて、その心を薄く覆っていた偏見の膜が破られた。こんなにも美しく切なく、強く清らかなものを表現する人だったなんて。なんと素敵な人だろう。人間はなんという奇跡だろう。この世はなんという傑作だろう。自分はなんと幸福なのだろう。こんなにも素晴らしい世界に、やってきただなんて。

よくわからない。なにを磨けばよいのか。なにに向かって削ぎ落としていけば、なにに向かって命をかければよいのかが。でも、わかるのを待っていたらきっとそれもできないままで死ぬのだろう。だから、今この目の前にあるものに、自分の純粋を、熱を、愛を、ぶつけてみなくてどうするのだろう。

書け、振り返るな、生き急げ、やり遂げろ。

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安心や安定は大切なことだと思う。いや、こう見えてそう思う。

家族を大切に、身近な人を大切に、無理をしすぎないで、ある程度元気に、楽しみをもって生きるのがいいのだと思う。それがあって物事は続くのだから。そして、続くから回っていく…仕事だって、健康だって、社会だって。なにごとも過ぎたるは及ばざるが如しだものね、ある程度の安定をもって生きるのが、人間には適している。

それがここ10年で本当によくわかった。ちゃんとわかった。心からそう思う。なのにそれでも、みなさんにもないだろうか…せっかく平穏な日々にあるのに、そこからぶち抜けてなにかに赤々と命を賭けたいと思うことが。全開に、ギリギリになりたいと思うことが。覚悟を超えたフルスピードで、限界を超えたシーンで、己の命のキワを見てみたいと思うことが…!

わたしにはある。心のどこかが、なぜ自分は今死の隣りにいないのだろうと思う。なぜ全存在を懸けたなにかをしていないのだろうと。一体ここでなにをしているのだろうと思うことがある。病気でなど死ぬものか…老衰でなど死ぬものか…!!なにかをやり遂げて倒れ、ゼエゼエと血なまぐさい息を切らしながら、泥まみれの手で首からネックレスをちぎって渡し「あとは頼んだぜ…」と言い残して微笑んで死ぬんだろうが…!!と思ってしまう。この世にあばよ。運が良きゃ、来世で会おうぜ…ってどこからくるのだろうかこれは。

ふざけているのではないのだ…!w本当に本気でどこか、なにしてんだ俺は!!と思ってしまうことがある。

なにかを助けたり救ったりしたいからというより、自分の命をなにかもっと危険だけれども意義のあるようなことに燃やし尽くして死にたいという感じがして、のんびりしている自分の胸ぐらを、つかんでやりたい時がある。

そして思い直すのだ。いや待て、早まるな。たしかに自分は泥まみれのネックレス野郎ではない。だが、わたしは今もたしかに命を使って生きている。平穏な暮らしを、こんなにも一生懸命にやっているじゃないか。これだって命は寿命を石炭みたいにボンボン突っ込んで走っているんだぞ。毎日毎日、24時間、自分の命の炎を燃やしてこれを紡いでいるのだから。

わたしは今日これでも、寿命という奇跡のゴールデンタイムを使って、自分の総数37兆2000億個もの細胞を守り抜いて生き延びた。彼らの命はこの俺にかかっているのだ。そう考えたらわたしは自分の身体にとってはスーパーヒーローではないのか。

だから、いいんだよ。毎晩眠るまで一生懸命やって、眠るときには死ぬような気持ちで「あとは頼んだぜ」って言えばいいのだ。自分の宇宙に。眠りを引き受ける身体に。明日の自分に。今日にあばよ。運が良きゃ、明日また会おう。

そう、自分と別れるのだ。わたしが秘行(わたしが伝えている、自分を観るワークです)で自分を観ていて開眼したことのうち、最も自分に決定的な感覚の違いをもたらしたのはこれだと思う。自分と別れること。

眺める自分と眺められる自分に別れること。
自分と一旦、死に別れること。
自分への束縛を諦めること。
自分への独占欲から手を離すこと。
さようなら毎瞬の自分よ。
あなたと共にあり、あなたはたった一瞬もわたしのものではない。

これを思い出すと、平穏な毎日も、そのネックレスをちぎって死ぬドラマも、どちらも良くて嬉しくなる。いいんだよ壇珠さん、好きにしなよ。わたしは束縛しないよ。

みなさんの日常も、みなさんの夢見るドラマも、あなたを幸せにしてくれるものに優劣なんてないとわたしは思う。自分を束縛しないで、好きにさせてあげよう。もし平穏な毎日を愛していたら、それもいいよね。それだって命がけだもの!

というわけで今日は、ときどき本気で全開で生きたいと思うことがありませんか。それも良いけれど、平穏な毎日も同じくらい良いですね。自分の安心や憧れに優劣をつけず、どれを選んでもいいよと解放していきたいですねという観点のシェアでございました。楽しんでくださるかたと響き合えますように…!!

それではまた、明日ね。



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