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881/1096 使命を蹴り倒して進め

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、己の夢を叶えようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で881日。

※この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。

881日目。OH…!ここまで来たらば、900日目の巨人が壁から顔を出しているのが見えるじゃないか…!

900日目が来るということは、その巨人の全貌をこの目で見るということでも、その巨人をこの手で倒すということでもない。

自分自身がその巨人であると気がつく、ということである。

自分がそのサイズになるのだ。そして899日以下だった自分を眺めおろす。それはきっと、良い眺めだろう。ああ、ゴールの1096日目が来るのが楽しみだ。そして俺は、駆逐してやる。三年も書けないと思ったあの日の弱気な自分を、必ず駆逐してやる…!!(引き続きネトフリと漫画に拠る進撃の日々を送っております)

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ここ数ヶ月の間に俺様(?)は6キロの増量に成功した。増量は長年のわたしの希望と憧れだった。これまでどうしても太ることができずに生きてきたが、自分の勘と感覚に頼って鉄・塩・アスコルビン酸などを摂ることで、ついに増量を成功させた。自分史に残る快挙である…!!

今後このままあと4キロ増やして、10キロの増量を目指す…!!ここまでは主に極端に足りなかった脂肪をつけることで増やしたが、ここからはウエイトトレーニングも加えて筋肉に拠る増量も狙っていくのだ。わたしはふくよかになってみたい。かつ、強くたくましくなりたいのだ!!ははははは!!ゲッツ!!(狂)

わたしは壁を超えてみたい。思い込みの壁を超え、体質の壁を超え、性別の壁を超え、生まれ持った運命の壁を超えてみたい。だから、わたしに限っては、使命というものは要らない。とくにそれを知りたいと感じることもない。「お聞きなさい。。あなたはこれこれをしてみたくてこの世に生まれてきたのです」などと言われても、「”子どもの頃の夢”みたいなものだな」としか思わない。過去の決心などに用事はない。それはきっと魂の成長を目指した、素晴らしき学びへの決心なのだろう。だが、今の自分のほうが、生まれる前よりもいい使命を見つけるに決まっている。わたしはそう信じている。生きる我らに、それができないはずがないじゃないか。

わたしがこの世で見つけたことを、あの世で己に課したことなどよりも愛せばいい。それを、使命を知りたいとすら思わぬほど存分に楽しんで満足すれば、それこそが使命なのではないのか。

わたしたちには、自分がこの世で経験したいことを察知するためのパーフェクトなセンサーが搭載されていて、そのセンサーによってこの世の何かを愛するのだと、そう信じていいのではないのだろうか。

あなたの愛したもの、それがあなたの使命なのではないのか。

あの世で自分か神か、なにかが決めたことなど、気にする必要があるのだろうか。もしそこで決めたとおりにしかならないのだとしたら使命を気にする必要はないし、決めたとおりにならなくていいのなら、その自由を行使して勝手にさせてもらうさ。

そして、ちゃんと思い出して決めたとおりにしないとやり直しになるのだとしたら、そりゃもうしゃーないからやり直しに来るよ…!留年留年!!生まれ変われるのも嬉しいし、無問題である。でもそんなことは決してないのだと思う。過去の決定を思い出してそれに従うことが目的だなんて。わたしたちがそのために生まれているわけがないとわたしは思う。

カルマというのは、つまりは広義での”制限”だ。意識というものにとってみれば、それは直接に解消しなくても、”制限視”しなくなりさえすれば解消されてしまうものだから。

それくらい、今の自分の、この地球上…つまりこの現場で、やりたいと思うことのほうが大切だ。あくまでもわたしの感じ方でしかないが、あの世で決めてきたことに従う必要など少しもないと思う。生の時間は、こうしてここで息をして生きている、『今』のわたしのものだ。命はあの世で起きてるんじゃない、現場で起きてるんだぜ!!(古)

だからわたしにとって使命というのは、見つけるものでも思い出すものでもなくて、勝手に作るものだと感じる。可愛いはつくれる、らしいが、使命もつくれるのだ。使命というものはその性質上、本人が『これが自分の使命だ』という実感を持って、そのレッテルを貼って初めて存在意義のあるものだ。実感がなければ、たとえ使命そのものを生きているとしても、そうとは感じずにいるのだから。あくまでも主観の問題であるということがポイントだ。だからこそ使命とは、”””今このときに、自分で決めること”””なのだ。

と、きっとね、わたしはこうして「あの世で決めてきたことがなんだっつーんだよ。悪いがな、今ここで見つけたことのほうが面白ぇならそれを選ぶ。そっちを使命にさせてもらう。当たり前のことだろ?」と思えるほどにこの世の人生を愛すること、が使命だったのかもしれない。

というわけで今日は、使命というものに対してのわたしの観点のシェアでございました。一種のエンタメとして見てください、笑
どなたかと響き合えますように!!!

それではまた、明日ね。


毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)