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大切な人を自殺で亡くして思うこと⑥

その代わりに、その人の自殺を、残された者への悪い影響とするか、それとも大きな成長の機会とするか、その2つの選択肢だけが自分の手の中にあるということを、見つめてみてほしいのです。

亡くなった方の魂が死んだあとも存在しているかどうか、それは私たちにははっきりとはわかりません。けれども、その人が亡くなったあとも、私達の生きる現実はたしかに存在しています。それをどういうものにするのか。それだけが私たちの引き受けられるところだと思うんです。

言葉を選ばずに言えば、あなたの大切な人の死を、悪影響だけを残すものとして扱わないほうを選ぶ、ということです。「あの人が自殺したせいで、残されたものの元気が潰されてしまった」…こんなふうに、大事な人の自殺による死を、現世の物語においての悪いターニングポイントとして扱わないであげる。それが、自殺で大切な人を亡くした私たち遺族に、ひっそりと託されたことだと思います。

その底なしの悲しみは、悲しみのままでいい。だってやっぱり、悲しくて残念なことで、それへの思いは拭いきれないから。でもどうか、それは愛ゆえの悲しみだと思ってみてください。その愛を、悲しみに使うだけでなく、他にどのように使おうかと思ってみてほしいのです。

愛する人が自ら命を絶ってしまうことは、残された者にとって、これ以上ないほどの苦しみとなり得ます。でも、亡くなった方への愛と敬意を込めて、その死による後世への影響を、悪い方にもっていかないように努めてあげようと思ってみてください。亡くなった大切な人にそんなふうに尽くせるというのは、私たち遺族にとっての救いではないでしょうか。

あなたが人生を大事にして、喜びを持って生きることが、亡くなった方の物語の続きを、よりよくしてあげることなのだと思います。だから、悲しいままでいいし、自分を責める気持ちがあるままでいいから、生きて、喜びを味わって、平凡でも波乱万丈でもいいから、あなたの素敵な命の物語を綴ってあげてください。

あなたが人生を謳歌して、物語の続きを喜びをもって紡ぐことは、亡くなった人への最も現実的な思いやりになりうるのだと、そう考えてみてもらえたら嬉しいです。

願わくばこの記事が、どなたかの心に届いてくれますように。
その人の希望になりますように。心から心から、祈っています。

これからまた、ずっとお休みしていたブログを元気で書いていこうと思います。読んでくれてありがとう。湧いてきた思いがあったら、ぜひDMやコメントでくだされば嬉しいです。

それでは、またね。

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