見出し画像

大切な人を自殺で亡くして思うこと④

そこで私が毎日のように思っていたのは、だったら自分に何ができるのか、ということでした。母のために何ができるのか。第一、もういない人のために、残された者ができることなどあるのか。もう何一つ、やれることなどないのか。これが何より悩ましいことでした。

頭の一部は、できることなどなにも無いと言う。でも心のどこかが、まだあるのだとも言っている。このようにして簡単に自分の中が乱れてしまうのです。

死や死後のことを考えると、どうしても魂がどうとか、霊魂がどうとか、あの世がどうとか、そういう領域の話になってしまう。私はそれが嫌でした。そうした自分の知り得ないことにすがりつくのが、この状況ではますます、なによりも嫌なことでした。もっとハッキリと、自分がこの手にとってつかめる何かでなければ嫌でした。それが正直なところでした。

けれども、自分の弱さが簡単に理性を上回ってしまい、母は今もきっとお空から見守ってくれているのだとか、そんな幻のような考えに頼ろうとする。そしてまた、そんな不確かなことにはどうしても染まれない自分もいる。

その疑問に翻弄されながら供養をするうちに、ある日私は、ふと気がつきました。母があの世に存在していようがいまいが、母が成仏していようがいまいが、亡くなった人間がものを思おうが思うまいが、母の役に立とうが立つまいが、それらとは関係なく、できることがひとつだけありました。

それは、自分というものを、母という人が人生を費やして遺した小さな功績であると考え、その母の残した遺物の今後の運命が、自分に託されているという自覚を持って、生きることです。

母はアツ子という名で、1948年の9月26日に秋田県に生まれた。彼女は貧しい家に育ち、裁縫関係の職について、神奈川県に出て結婚して二人の子どもをもうけた。それから畑と家事と子育てと親の世話に明け暮れ、事業の倒産で夫が去ってからはパートに出て生計を立てて、独り暮らしを始めてからは仕事で酷使したため身体を壊し、生き甲斐を無くしたと言って落ち込み、イタリアに来て長女と同居し、75歳で自らこの世を去ってしまった。この長女はそれを嘆き悲しみ、そして…

…そして?

この物語には、まだ続きがある。このアツ子さんという女性の娘さんは、その後一体どうなったのだろうか。アツ子さんは自らこの世を去り、彼女の娘はそれに傷つき、その悲しみから立ち直れなかったのだろうか。それとも、そうではなかったのだろうか…?

これがどうなるのかは、他ならぬ私次第だ。私には、この物語の続きが託されている。私はまだ、母の物語の続きを、よりよいものにすることができる。これが私ができる唯一の現実的なことではないのか。そう思いました。

この上ない悲しみの中にありながらでしたが、でも私はこの発見に歓喜しました。まだ母につながったものに関わることができる。まだ母のためにやれることがあるということが、本当に嬉しかったのです。

この女性の産み育てた娘さんを、私が独断で勝手にダメにしてはいけないと思いました。私は、私だけのものではないのだと思いました。
だからこれは、あの世から母が見ているからとか、そういう理由によるものではありません。

見ていなければ、何をしてもいいというのだろうか。そうではないと私は思う。だからこれは、母を喜ばせたいからとか、悲しませたくないからではない。お母さんはきっと天国から見守ってくれていますよ、あなたがダメになったらお母さんが悲しみますよ、みたいな考えを受け入れるためでもない。死者の意識が存在すると考えるのは一種の宗教観に支えられるものだ。生きる私達には確認することのできない死後の世界についての、信仰によるものだと思う。

母があの世から見ているかどうか、喜んだり悲しだりしているのか、私にはわからない。霊能力の高い人など、見える人には見えるのだろう。でも、私には見えない。私が死後の世界を信じないとか霊魂を信じないということではない。むしろ、そういうことを思議するのは大好きだ。

しかし、事実としてシンプルに、それらは私には確認のできないことだ。だから、最大でも「信じている」と言うしかない。でも今私の心は、そういう不確かなことを信じても癒やされるものではなかった。ただ、母の物語の続きを、よりよいものにしてあげたいという一心。これが唯一、自分にとって確認できる、実感できる、現実的なものだ。ということなのです。


だから、彼女の子である私は、死んではダメだ。落ちぶれてもダメだ。自暴自棄になってもダメだし、悲しみに暮れ自責の念にまみれるだけで一生を終えてはダメだ。母の残した子どもは、その後も一生懸命に生きて、元気に生命を謳歌した。このシナリオをそんなふうに、全力で良い物語にしてあげたいと思った。彼女を大事に思うのなら、その人の遺した子孫をも大事にしなくてはならない。そこに己の責務を感じたのです。


毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)