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880/1096 嫌なやつ、嫌いな人。わたしならこうする

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、己の夢を叶えようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で880日。

※この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。

880日目、進撃の夜更かしにより2日間で7時間も眠っていない。しかし我が隊(隊員1名)は総員、前進するのみである!

進撃の巨人の内容をご存知の方は、あの話を知ったときに「自分があの世界にいたとしたら、調査兵団に入るだろうか」と考えはしなかっただろうか。あのストーリー設定を見て、「自分は自分の身を犠牲にしてまで人類を助けようと考えるだろうか」と自分の心に問うてみたのではないだろうか。われわれ人類があの話に触れた際に、そう考えずにいられるものだろうか。

人は我が身を振り返ってしまうものなのだ。いつだって己を監視しているのだ。己の望みを見て見ぬ振りしなかったどうかを、己の良心を裏切らなかったかどうかを。わたしたちは誰に求められずとも、自分に誠実であることを求めてしまうものだ。

だから今日も書こう。自分が見ている。うなじを狙われているぞ…!

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みなさんの身の回りにはいますか。気になる嫌な人、思いっきり嫌いな人。今日はもしもわたしが嫌いな人に遭遇したらどうするのかを書いてみたいと思います。

【ちょっと嫌なやつ】まず、たまたまどこかでちょっと嫌なやつに遭遇したとしたら、『暖簾に腕押し』の暖簾になります。いったんもめんのような体感をもってみるのです。

相手がちょっと嫌なことをしてきても、わたしは大抵の場合気が付かないか、気づいてもあまり気にはなりません。鼻ちょうちんが出ます。そしてもしも相手が攻撃していることに気がついたとしても、基本的にはどうでもよいため布のような存在になります。相手が槍で突いてきても、暖簾のようにふにゃっと逃げます。その攻撃を受けなくてもいいのです。そう思うために良いのが、相手が攻撃を仕掛けてきた際に「うわあ頑張ってるなあ」と思うこと。「必要なんだろうなあ」「大変だなあ」と思ってみる。相手は徒労により無駄骨を折ってしまいます。

そしてできれば、心を開いてその人の良いところを見つけてそれが最大に開花することを信じて、あるいはすぐには見当たらなくても素晴らしいところがあるのだと信じて、それを伝えます。相手の攻撃は単に相手の無駄骨なので放っておいて、「~が素敵ですね」「~なところを見習いたいと思います」「~ができるってすごいですね」と伝える(ちゃんと、本心でね!)。すると面白いことに、相手は自然と相手の良いところを発揮し、嫌なことをしなくなってしまいます。ま、しなくてもいいのです。無駄骨ご苦労さまです…と合掌しましょう。。

【けっこう嫌なやつ】それから、相手が上のようにちょっと嫌なやつなのではなく、けっこう嫌なやつだとしたら。その場合は、心のなかで「うわあ~この人、育つ過程のどこかで、こんなに嫌な人格になるのに見合ったことがあったんだな」「これじゃ大変じゃないか、そうなのね、うんうん、だからこんなにみっともないことしちゃうんね」と思って、同情してやり過ごします。

その相手のしたことでたとえ嫌な気持ちになったとしても、「わたくしめはこのようなことをする人と同じ土俵には立ちません。ひとりでやっていなさい愚か者よ」と思って心の中でその人を置き去りにします。奥の手としてやってみてください。スーッとすっからスーッと…!!大丈夫です、その人はその問題をもって学んでいる最中なのです。邪魔をせずに見守りましょう。

【侮辱野郎】ただ、相手がこちらのことを、あるいはこちらの友だちやチームメンバーや家族を理不尽に侮辱した場合は別ですよ。「あなたの言っていることは侮辱です。あなたは間違っている」とハッキリ言わねばなりませんよね。鬼の首は斬らなくてはなりません。こういうときにだけ、毅然とすればいいのですね。

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そして、嫌いな人のことは嫌いだと思っていていいのです。それは単に妬んでいるだけとか、相性が合わないだけなのかも知れません。それで、良いではないですか。それは改善するべき点として見なくていいのです。

わたしたちはついつい、人を嫌った際に罪悪感を感じてしまうものです。人を嫌ってはいけない。みんなと仲良くできなくてはいけない。嫌う人は心が貧しく、仲良くできる人は人格者。だから誰のことも好きになるべし。そういう信念を知らぬ間に植え付けられているものですよね。

しかし、そんなもんは知るかボゲェ!!です。それは、すべての人に恋をしろとか、すべてのファッションを好きになれとか、すべての食べ物を好きになれとか言うのと同じで、土台無理な話なのです。嫌なものは嫌。以上。

ここで大切なのは、こうした「嫌い」という感情に正当性をもたせようとしないこと。嫌いなのは単純に、やっかみか、相性が合わないか、それだけなのですから。やっかんでるならそれを認めればいい。あとはたまたま好みじゃない、合わないだけ。

それらは正しいこととして証明されなくていいのです。わたしは牛乳の匂いが嫌いなのですが、別にそれは正当なことだと表明する必要がありませんよね。わたしの牛乳嫌いには幼い頃の経験が影響しているのだと思いますが、そのせいで単に合わないのです。

人もそれと同じで、嫌いになるのは合わないので仕方がないのです。それを、「相手が悪い人間だから嫌いにならざるを得なかった。自分のせいではない」と証明しなくていいのです。好みの話なのだから。どこにも同意を求めなくていいのですよね。単にダメなだけ。マグロの刺し身とチョコレートのフレーバーはあまりよく合いません。これが仕方ないのと同じように。

それから、たとえば可愛らしい感じというのは、それが好きな人にとっては当然誰しもが好きなことのように思えるものですが、苦手な人もいます。それが単に親がかっこよくて強そうな感じが好きだったので、自然とそれと同じものを好むようになっただけだったりするのです。そして親のそれもまた、その人の親の影響によるものだったりします。こうして代々受け継がれているものってたくさんあるのですね。なので、もし単に好みであるという考え方を責められて、なんで好みじゃないの、なんで嫌いなの、と訊かれて困ったら、「わかりません…自分の先祖が代々このような好みなのかも知れません」と本気で答えましょう。

人を嫌いになっても、それが正しいことで、自分が悪いのではないと証明しようとしない。つまり、周囲にその人の欠点を暴いて話して回ったり、味方をつけてグループでイジメたりしなくていい。

スカートよりパンツが好きな人が、スカートを履く人をけなす必要もないし、パンツ好きさん同士で集まってスカート履きさんをいびらなくていい。「スカートだとズボンより寒いし、それはケンブリッジ大学で証明されているし、つまりスカートは履く人が風邪をひく可能性を上げ、その風邪をうつせば周囲に迷惑だ!よってスカートを履くのは社会の害である!」などと言わなくていい。こうして、取ってつけようと思えば最もな理由なんていくらでも出てきますが、単に好みの問題なので、このような正当化の必要性はありません。

これと同じように、自分が嫌いな相手というのは、単に自分と合わないだけだと自覚していましょう。これは、人を嫌いになるときのマナーだと言えますね。

というわけで今日は、嫌な相手に遭遇したり、人を嫌いだと思うときについて「嫌なやつはあまり相手にしないで良いところを見る、ひどかったら同情する、嫌いなのは好みの問題だと自覚する」という、わたしの個人的に好きな対処や考え方をシェアしてみました。それから大事なのが、嫌な相手とは基本的には、快適なところまで距離をおいて、しっかりと逃げること。

どなたかに使ってもらえるものがありますように!

それではまた、明日ね!



毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)