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790/1096 愛することと、後悔をさせないこと

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で790日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

790日目。自分は大丈夫なのだろうか。ちゃんと毎日カウントして書いているつもりが、790日目とな?!急にワープして進んだ気がする。書き始めるときに、今日はもう780日目に到達したかなと思ってしまっていた。

怖い…!!800日目がすぐそこじゃないか。おおお、こんな変な怖さを味わうことになるだなんてなあ!なぜなのか変に泣けてくる。すごく嬉しいのと、怖いとのは一体になりやすい。書いてきてよかったな。多少無理もしたけれどよかった。

これをこう書いたらとても偏った意見になってしまうかもしれないけれど、わたしは怖いことへのチャレンジが多くの人にとって悩みの解消につながることだと思う。退屈を吹き飛ばし、不安の幻想を破ってくれる。そして、自分を誇らしく思える。

もちろん、怖すぎることはダメなのです。マグマの上を歩いてみたり、ものすごく高いところから飛び降りたりしてみるのは、危険すぎます。ほぼ100%死んでしまいます。けれども、怖いけどやってみたい、やってみたいのに怖い、ということに向かって歩いてみるのは楽しい。

『怖い』と『やってみたい』がくっついているとき、わたしはGO!が好きだ。後悔ほど嫌な気持ちはないから。

今日は様々な理由に追われてほとんど時間がないぞ。さすらば、後悔について書いてみるとしよう!

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後悔が嫌いだ。だからわたしは後悔というものをしない。もう過ぎてしまったことについては、武士の心(?笑)でキッパリと、それでよかったのだと思っている。それしか起こり得なかったから、いいのでおじゃります。その出来事も含めてこの宇宙の作品で、おかげで外には月がある。すべてのことは、一緒くたに起こったことで、それで大丈夫なのだ。なにを言うんだ、ほんとうさ…!!

けれどもわたしは同時に、「できうる限り、後悔しそうな行動を取らない」ようにしている。100%とはいかなくとも、いつもそうしようとする。いやね、というのも、あたしゃそうすることがとても自分を助けてくれるのでございあす。。。以前の自分は嵐のように怒るほうだったし、後悔に苛まれてもおかしくないような行動ばかり取っていたのでありやす。

約束をすっぽかしてしまったこともあった…
すぐにキレるし、すぐに買いすぎるし、すぐに諦めるし…

まあ、話せばキリのないことでござんす。その後わたしは大きな気付きに出会い、目覚めが起こって、後悔というものからキッパリ足を洗ったのだった。そして同時にまた、後悔しそうなことはしないように心がけているのだ…これまでのことはぜんぶいいのです。そして、これからは自分を大切にしようと、心から思ったからでした。

「できうる限り、後悔しそうな行動を取らない」というのは、「常に安全な道を行く」という意味ではなくて、

○自分で決める
○誰かの意見を求めたり決めてもらったりするときに、その人に決めてもらうということ自体はじぶんの決定だとしっかり認識する
○やらなかったら後々まで心残りになるだろうな…と思うようなことを、できる限りひとつひとつ、捨てずに拾ってやっていく

ということ。

今この人に優しくしなかったら、あとになって後悔するだろうな。
今この人を責めたら、あとになって後悔するだろう。
もし今これをやらずに逃げてしまったら、ずっと心残りになるだろうな。

と思うような事柄について、自分のためにベストを尽くそうと思ってがんばる。そのために誰かに優しくするときも、相手のためだと思ったら傲慢な気がする。そうではなくて、後悔しないためなのだから、それは自分のためなのだと思う。

以前のわたしはすぐに人に決めてもらう人だった。自分の決定でものごとがうまく運ばなかったら後悔するから…人に決めてもらったのなら諦めもつくし…という弱気な気持ちだった。さらには責任転嫁もできるという、逃げ道にもなっていたと思う。情けないやっちゃのう…

自分を愛し、自分を大切にして生きるということが、わたしにとっては「自分が後悔しないようにする」ということとほぼ同義になっている。

そのなかでも2大重要項目なのが、優しさ・思いやりに関することと、あとは自分の好奇心を未完了のままにしないこと。思いやりに関しては、要らぬことで冷たくしてしまった…という後味を残さないように。もうひとつは、あれをやっていたら、どうなっていたんだろう…という後味を残さないように。

人は、やりたいことをやってみて失敗したというのよりも、やりたいことをやらなかったということに後悔を持つものなのだとか。多くの高齢者が、生涯における後悔として挙げるのが、あれをやってみればよかった、という未完了の思いなのだそうだ。

やっていたらどうなっていたのだろう、、という好奇心って、わたしたちの純粋な思いなのだと思う。その子どもの思いのような純粋なものは、わたしたちが老いてもなくならない。知りたかったな、見たかったな、そういう思いは純粋なだけに、消し去るのは難しいのだろうと思う。

失敗したのなら、少なくとも結果が出ている。未完了ではないから、心のなかで”カタがつく”のだろうと思う。

だから、やってみたいことを一歩ずつでもやってあげよう。
自分を愛する方法がわからないという人も、未完了の思いを残さないように少しずつでも動いてあげるのがいいと思う。

あなた自身を大事に大事にね。
知ってみたいものを見せてあげてね。
あなたは宇宙の作品。神さまのかわいい傑作品なんだから!ほんとうです。
それが証拠に、ほら、存在しているでしょう?

というわけで今日は、「後悔」についての思いをつらつらと。。。
自分だけでなく、誰かを愛するときにも相手が後悔しないようにと考えてあげられたらなと思います。
響き合える人がいてくれますように。

それではまた、明日ね!!


毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)