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31/1096 1ヶ月達成記念!「誇り」とはなんぞや?

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。
3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で31日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。
そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくない人は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

1ヶ月を達成した!本当は昨日の分で日本時間で1ヶ月とカウントすることもできたのだが、時差による勘違いで今日になってしまった。

始めた当初は1ヶ月の達成はとても遠く、きっと到達した暁にはかなりの達成感があるのだろうと思えたが、現在の感覚では大したことに思えず、案外にそこまでエキサイティングなことでもなかった。

当時の自分には3日継続すらも危うかったのだから、当然といえば当然かもしれない。今の自分には100日記念が特別に思える。約3ヶ月、今日までの日々の約3倍だ。

きっといける、いける気がする。

とにかく淡々と行こう!わたしにはまだ、3年続けるということに完全な自信などない。だから1日1日を見つめるしかない。1日に、1投稿。それ以上のことを考えるな。水面を乱すな。今日の一歩を、今日静かに片付けろ。それを毎日繰り返すんだ…

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この毎日投稿を始めたことは、わたしにとってギガ大きな出来事だった。
noteのアイコンを見る。ああ、しばらく投稿していないな、早く書きたいな、と思う。見るたびにそう思うのに、投稿しないのは何故なんだろうと思う。投稿すれば嬉しいとわかっているのに!
それじゃ、したいのか、したくないのか。自分でもわからなかった。これが、小さな事なのにスマホを開けるたびにもんやりする。

ある日、頭にきた。こうして小さな気がかりを抱き続けるのは、不健康極まりない感じがした。なんだ?投稿したければすればいい。なぜしたいことを後回しにし、どうせその場しのぎだ、続きやしない、だから意味がない、面倒だ、などと考えるのだろう?
毎日書いてみたい。なのに自分にそれをさせてあげないのは自分だった。

そこであの時、ごちゃごちゃ言っていないで、とにかくやろう、続けよう、諺に従って石の上にも三年、を実践してみよう!!と思ったのは、自分をそんなところに置いておくのが自分に対して失礼だと感じたからだった。

ドラマの中でよくありがちな、悲しみのあまり自暴自棄となって不良どもとつるんでいるヒロインを、相手役の男が夜の危ない通りまでバイクで迎えにきて、バカやろう!こんな所にいちゃダメじゃないか!と言ってヒロインに平手打ちを食らわしたりして、手を引いて連れ帰るシーンがあるが、そんな感覚だった。

たしかにあの時は、いつもの衝動だった。毎日投稿、やりたいならやろうぜ!ビビってんじゃねーよ、みたいなオラオラ系の強気で、とりあえず目をつぶって飛び降りて後でなんとかしようという低脳なノリが煽っていたのは否めない。
しかし「ちょっと待てオイ…3年なんて、勢いでパラリロパラリロいうあの派手な音を鳴らしながら対向車線を暴走して見せる、みたいなこととは違うんだぞ…単発の度胸を披露すれば済む問題じゃないんだ、立ち止まってよく考えろ!」とも思った。しかし自分は行くことにした。
宣言がものすごく怖かったからこそ、自分のワガママに付き合おうと思った。そうしてわたしは、自分を本来のところに連れて帰ろうと思い、夜の通りまで迎えに行ったのだ。

そしてとりあえずは不良どものところに戻らぬまま、1ヶ月を乗り切った。
結構必死だった。その間に、たくさんのことを感じた。
気分もセルフイメージも、生活習慣すらも仕事に対する姿勢さえもが変わった。もう、不良どもと三日坊主味のシンナーを吸いまくって荒れていた俺は、俺じゃない…まだ中毒が完全には抜けていないだろうが、もうあの通りに戻るつもりはない…

そしてここまで来てわかったことがあるのだ。あの時、自分に「どうせアイツはダメだ、何も続きやしないさ」と考えて夜の危ない通りに置いたままにしておくのが、自分に失礼だ、と感じたのは、わたしの知らぬ間に心のポケットに入っていた、小さな、キラキラと輝く宝石のためだったのだ。

わたしは自伝や裏自伝を読んでくださった方ならご存知のように、自尊心の非常に低い人だった。10代後半の頃にはもう、メタくそに低くて、すべてのことが中途挫折に終わる散々な青春時代だった。

この自尊心の低さが秘行で癒されたのは言うまでもなくて、わたしの世界を見る目がそれによってひっくり返った。

秘行のブレイクスルー後から、自伝を書いたりしてそれなりにスラム生活を向上させて楽しんでいたが、それからばなな先生と出会い、それからはとにかく、すくみ上っていた。その時期が過ぎたらば、しっかりしろ、と自分を鼓舞する時期がきた。ガクブルしていては何もできないぞ!

それから、無事にご一緒のイベントをさせていただいてイタリアに帰国し、その月のうちに、わたしは毎日投稿を始めた。それはそれまでの生活に違和感を持ったからだった。

なぜ違和感が生まれたのかというのがようやくわかった。わたしは自分でも気がつかないうちに、これまで自分が一度も持ったことのなかったものを心に迎え入れていたのだ。

それは、「誇り」であった。

わたしは自分に誇りを持たせるということをまったく知らずに大人になってしまった。誇りを持つってどういう感じだんべな。と思っていた。
何か名誉な賞でも取れば生まれるものなのだろうか。アメリカの軍人になれば持てるものだったような?まぁとにかく、わたしには無縁なことだ、と思っていた。

わたしは、イベントが終わって、またそれまでの生活に帰ってきた。でも、そこは夜のスラム街だった。そうだと気づいたのだ。スラムは慣れた環境で、そこにいれば楽だった。でも、なんのチャレンジもなく、ぼんやりとした違和感を無視しているなんて、自分が腐ってしまいそうだった。それでは自分に顔向けができないような気がした。
ここでわたしが、通りでウンチングスタイルで不良どもと三日坊主味のシンナーを吸ったまま自傷行為に耽っていて、自分でそれを不満に思ったままだらしなくグレていて良いのか?

…良いわけがない。なぜなら、それはわたしの喜びではないからだ。
わたしにこれまでの自分のあり方への反発心が湧いてきた。湧いてきて初めて、自分で自分を鼓舞する感覚、もうスラム街になどいるもんかという向上心、これまでのだらしなさから脱皮してやるという闘争心が、誇りという源から湧くのだと知った。
その誇りは、わたしの知らぬ間に、もちろんばなな先生も意図されたわけではなく、ご一緒している間に心にポロリと入っていた、小さな宝石だったのだと思う。

わたしにわかったことは「人がもし本当に自分で自分を誇れるように生きていたら、その誇りは人にもうつる」ということだった。
ああしろ、こうしろという指図など少しもしなくても、人を沼から引き上げ、その小さな宝石をあげられるのだと。

若い頃、わたしは自分に、公民館の裏に打ち捨てられている錆びた盗難自転車を拾って乗り回し、タバコの吸い殻を道路に放って、ケッ!と言いながら自転車はまたどこかに乗り捨てる、こんな行動が似合うという位置付けをしていた。所詮そんなもん、どうせこんなもん、そんな気持ちが当たり前になっていた。

誇りとは、自分を満足に思う気持ちにほかならない。

今は、自分にだけは自分を誇れるように。他者にどれだけ笑われても良いから、「心は錦」でいたいと思い始めている。

たった1ヶ月の間、更新が毎日続いただけで大袈裟に騒いで嘲笑ものなのもわかっているけれど、そんなことはいいのだ。わたしにとって今一番面白いのは、自堕落を許したままのスラムの不良ではないこのフレッシュな自分なのだもの。
それに、今はたくさんの方がわたしのブログを見に来てくださる。毎日投稿を始めてから今日までで、1ヶ月間のアクセスは10万近くにまでなった。
ツイッターなどで交流してくださる方も増えて、人の感性を知り、刺激を受けている。それがものすごく嬉しい。やってよかったと心から思う。

この小さな宝石は、あとは自分で育てていくのだ・・!
そして、いつか誰かの心のポケットに、こちらも知らぬ間にこれをポロッとわけてあげられる人になろう!そんな未来を心から祈っている。

それにしても、あの三日坊主の劣等感までもが宝の地図だったなんて、なんということだろう。これでは面白すぎて一生がとても短いぞ!
こうなったらなるべく人生を長く感じられるように、退屈さえありがたく許してしまおう。。

わたしたちが人生を楽しめないとき、その理由は自分の中にある。
そいつがまやかしを見せ、あなたを閉じ込め、自由を奪い、足を引っ張るのだ。そんな自分を振り切って、自分の満足の山頂にたどりつき、そこに勝手に好きな旗をおっ立てるのだ!

あなたにもし劣等感があるとすれば、それはあなたという人の中に眠る宝のありかを示している。その宝を見つけるための旅で、ラスボスになるのは多分あなた自身の恐怖だ。だが、保証する。面白い冒険になることは間違いない。・・・と、神さまが言っていたよ!!ww

というわけで、今日はここまで。
また明日!

毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)