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751/1096 自分の人生を自分のものだと思うために

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で751日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

751日目。考えてもみれば、本音で話す人が少ないというのは本当のことかもしれない。わたしの周囲の人はどうだろうと考えてみると、たしかにほとんどいないのだと気がついた。多くの人が、建前を話す。常識人として言うべきこと、を言う。友達として言うべきこと、を言う。

だからわたしは、そういう人とだんだん話をしなくなってしまう。それが本音の人もたまにいるけれど、やはり嫌われないように、少しでも人格者的に、軽蔑されないように、と話をする人は、自分のために話している人がほとんどだ。

それを思って、ここに書くことについても、改めて今後も自分の気がつける限りの本音でいこうと思った。勝手に暑苦しい友情を読者さんにもてばいいと思った。友だちと言うと双方が友達だと思っていてはじめて友達だと言えるというのが常識だけれども、友情は、一方通行でいいと思う。相手から、アンタのこと、友達だと思ってないんだけど。と言われても、はい!!わかりました!!と理解を示せばいいと思う。わたしは極端かもしれないけれど、快適ならそれでいい。すぐに死んじゃうからね、不快な時間に気をもんでいられない。

片思いも立派な恋なのと同じで、こちらが勝手に本音を出して勝手に友情を持てばいいと思う。勝手に友達だと思い、勝手に愛せばいいと思う。

建前を話す人が「わたしも友達だと思ってるよー!」と言ってくれても、いや、わたしはあなたを友だと思っていますが、あなたはそうは思っていませんよね。と言えばいいと思う。建前を盾にして身を守りつつこちらを向いておきながら、友達だよねー!って変だもの。俺は無防備なのに。

ブログを書くのも、勝手に友達にお手紙を書くような感覚をどこかに持ったままでいいと思う。よし、楽しいテーマが加わって嬉しいぞ!!今日もバチボコ本音でいきやしょうー!!

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わたしはこれまでの人生、1秒たりとも自分の好きにしてこなかったことはなく、今までを100%好きに生きてきていると思う。だから、人生にひとつも文句はない。ほんとうにひとつも。

もちろんだからといって、退屈をしたこともなく、失敗をしたこともなく、何でもかんでもうまくいっているのかと言われたらそれはもう、完全に、完全に否定するしかない。もうほんと。自伝を読んでくださったお方ならご存知のように、まあもうペーペーのピーピーの(?)人生だった。

第一もう、幼少のときにまずぼんやりしすぎていたため、スタートから暗雲が垂れ込めすぎていた。学校でも、予定を把握できずいじめも始まるしで、ここで本格的にダメ人間としてデビュー、自動車の教習所にも通えず(泣)、お勤めするころには性暴力(裏自伝参照)に遭うなどして廃人としてデビューし、そこから晴れてニートとしてのデビューも飾った。順風とか満帆だったことがなかったのだった。ね、ほんと、だからろくでもないっていつも書くのだ。わは~

もうこんなんだから人間関係は職場の関係から友人関係から恋人関係まで終わってたし、経済力で終わってたし、事業は失敗に終わる始末だった。意志も弱くて勤めが続かず、職歴もバラバラの、資格なしの免許なしの貯金なしの、一時的にはホームもレスである!!人生大波小波と言うけれども嘘じゃんか!!荒波しかないじゃんか!!みたいな感じであった。腹が減って釣りをしたこともある。シケモク(タバコの吸い殻)を拾って吸ったこともあるほど堕ちていた。

お金をぜんぶ持っていかれてしまったりで無一文になるなどもしたけれど、しかしそれもやはり、全部自分の好きにしてそれを招いたのだと思うし、それが自分だと思う。あれがなんかどこかまさに、わたしだったと思う。さらに、そこから自分が感じたことというのは当たり前だがぜんぶ自分由来なのだから、どう感じようとも1ミクロンも人のせいなどではない。と、わたしは思う。

今だからそう思うのではなくて、当時も一瞬「うわあああああんの野郎マジかあああ」などと思ったあとは、「これもなんか異様に自分らしいし、俺は案外死んでないし大丈夫だし、なんかまあ運がこうなったのはいろんな自分の選択があってなのだからそれはみな自分の好き勝手だし、自分の人生をどう観るのかは自分の心によるから完全に自分の好みで選んでいるわけだし、だから人のものじゃねえし、つーわけでこれは俺の人生だし、だから俺の好きにするし、さてここからなにしよっかな!!」と思っていた。

わたしは人格者などではないから、そんな自分を「すべてはわたしの責任だと思える立派な人物」だといいたいわけではない。人のせいにして、それでなにか良いことがあるっつーのなら百万馬力で人のせいにするさ!!なあみんな!!はははははは(巻き込んですみません)

でも、出来事をどう観るのかはあくまでも自分の感性によ(っちまってい)るし、その自分の感覚って自分から出てき(ちまっ)たものだから、そこはさすがにさすがに人のせいではないのがあまりに当たり前過ぎて、「あ、そですね普通に。どう観るも自分の自由ですね普通に」という感じで。「あ、じゃそういうことで」みたいな。ww

誰かのせいにするというのは、楽なことではないと思う。一番イヤな、耐え難い気持ちだと思う。子どものころの環境や親の仕打ちなどについては仕方子どものせいではないと考えるとしても、誰かのせいにするときって、わたしたちはちょっと生きたまま地縛霊みたいになってしまっている。おのれ~~あいつのせいで~~みたいなね。もう大変!!かえって辛いよのう。。。

わたしは自分のことは、生まれた環境から親の行動までぜんぶ、自分由来で自分の選択だと思う。なぜってそう考えてみると、これがとにかく、まず自分が極楽だからである。だって自分の人生が自分のものになるじゃない?!だから、「カッコいいから」とか「潔いから」とかではなくて、わたしにとってはこのほうが「楽だから」、こう考えるようになった。

人生を探求と考えたときに、わたしたちはどこかで「楽になるには大変な道を通らなくてはならない」と考えてしまうように思う。でも、楽になるにはマジで楽になろうとしてみるほうがいいように思う。”楽になろう”を本気で探求してみると、いろいろ楽な道があるものなのだ。学校で教えてくれなかった、とても楽な道が。学校では我慢と忍耐の道ばかりを習った気がする。

わたしは誰かのせいにしちゃうと恨みつらみ地縛霊気分になって辛いから、「ああいう出来事を起こしたのもまた自分の感性だし。それ経験しに来たし。だからいいし。」とか、「別に誰かにリモコンで動かされているわけじゃないし。自分の選択だったし。だから別に大丈夫だし。」とか、「ぜんぶ自分の勝手にさせてもらっただけなので。その結果自体も自分なので大丈夫なんで。」とか、「大変なこと嫌なことも、そこから逆に学んだとか面白いネタになったとかいう考え方もできるんだから、出来事をどう見てどう受け取るのかはやっぱり自分次第になってくるし、それじゃあその受け取り方によって自分の気分が悪くても、それもやっぱり自分の自由にしたってことだし。アタシの感性アタシのもん!誰かのもんじゃねえ!」と思ったほうが楽なのだ。どう考えても!!

おのれあいつのせいで…と思っているとずっと浮かばれない。地縛っちゃう。タイムマシンがないから時間も戻せないし、なかなかどうして、どうにもならない。復讐しても過去は変わらないし、危害を与えると自分の失うもののほうが大きい。恨みって自分を傷つけるもの。困ったものだ。。。。

だから、許さなくてもいいから、

「ヒーローの条件?ハッ簡単さ。悪役が現れることさ。そうだろう?俺もそう。悪役がいたから俺が引き立つ。あいつには悪りぃがな」とか、「まっ、実はこれもすべて神と取り決めてきた試練だから逆に狙い通りなんだがね」とか、「そこから何を得たのかに気がつくと人生のステージの移動が起こるんだ…」などの、

別の真理に気がついていくほうがずっと楽しい。少なくとも、許せない…という気分とともに生きるのよりは楽なのではないだろうか。

そしてぜひぜひにも、試してみてほしいのだ。すごい飛躍し過ぎに思えるかもしれないし、すごい無理なように思えるかもしれないが、一気に一発で飛んで、こう思ってみてほしいのだ。

自分の人生は、すべて100%、自分の好きにしているのだ、と。
「人のせいにする」ということすらも、自分の選択なのだもの。

すると、なんだかこの先の人生が、

”自分の見方も、自分の感じ方も、自分の味わうものはいつだって、あくまでも自分の取った反応でしかない。それはわたしの取ったもので、他の誰も代わりにやってはいない。だから人生とは、ずっと自分に起こる反応を味わっていくようなもの。それをどう見てどう感じるのかは、今後もいつもずっと、自分で好きに選んでいっていい。ってそれじゃ、アタシの人生アタシのものじゃない!あらまやだわ急に自由になっちゃったじゃないの~!”

ってな感じに見えてこないだろうか。ね?!ね?!なんかほら!!ほらほらちょっとだけそう見えてきたでしょう!!(押し付けやめなさい)

わたしはそう思うから、冒頭に書いたように、『これまでの人生、1秒たりとも自分の好きにしてこなかったことはなく、100%好きに生きて今まで来ていると思う。だから、人生にひとつも文句はない』と感じる。これ極楽なり。

自分に起こることは、100%自分の見方で見ている。全部自分の勝手なフィルターで鑑賞している。この鑑賞の仕方だけは100%自分の勝手だ。だから人生は自分の自由で自分のものだ!テヘペロ。やったぜ~!と思って、極楽気分を味わっています。

というわけで今日は、自分の人生を、一発飛ぶ気持ちで、騙されたと思って、「100%自分の好きにしているとも言えちゃう」と思って、一旦引き受けてみて、そこからの景色を見てみませんか!というお誘いでありました。書き方が強引ですまぬwあなたというひとりの素敵な人の宇宙をとおして、好みの読み方と受け取り方をしてください。

それではまた、明日ね!!良い週末を。

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