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985/1096【質問回答】どうすればいい?自分の本当の声がわからない

吾輩は怠け者である。しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、己の夢を叶えようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で985日。
※本題の前に、まずは怠け者が『毎日投稿』に挑戦するにあたっての日々の心境をレポートしています。その下の点線以下が本日の話題です

985日目。ぐあ~4桁って、近づいてみるとすごいインパクト。遠くから見ていたピラミッドが、目の前まで近寄ってきたら想像以上の大きさだったとわかってくるのとちょっと似ている。

きっと、1000日目に自分はとても嬉しくて、どこか寂しい気がする。欲望というのはなんでもそうだ。欲しい欲しいと思って夢中になり、手に入れると熱がクールダウンして、追っていた頃が懐かしくなる。

ああ恐ろしい、1000日目どころか1096日を達成して、三年間追いかけ続けた尻をモノにしたときの、自分の賢者タイムが恐ろしい。

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今日はこちらのご質問にご回答いたしますよ。

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あなたは自分のことがまったくわからないのではないと思いますよ。たとえばあなたは「苦しい」と書いておられますが、これは誰のことでしょうか。あなたの感覚ですよね。ではあなたは苦しいのです。

他にも、「自分と仲良くならなくてはいけない」と思っているあなたも感じられているはずです。まだまだありますよ。あなたは、エネルギーを読める方に言われたことも気になっていますよね。それから、知識があるぶんだけ、余計に苦しのではないかと考えてもいます。「わかる時が来るのかどうか」を気にしているあなたも、自分で感じられているからこそ書いている。それらは自分で感じている自分ですよね。だから書くことができたのです。

あなたが泣いているとき、あなたは「わたしってもしかすると笑っているのかしら?」と思いますか。あるいは「今わたしは嬉しいのかしら?それとも悲しいのかしら?」と思いますか。思わないですよね。悲しいとか悔しいとか辛いとかのために、泣いているのだとわかるはずです。これらももちろん、あなたの感じているあなた自身ですよ。

”本当の自分の声”なるものがわかる人だろうとそうでない人だろうと、やることは同じです。
「今感じられていること」を「これはわたしの感じていることだな」と認めるということをするのです。

それから、わたしはあなたが問題を明確にしていないのだと思うのです。

◯自分と仲良くない
◯本当の自分の声がわからない
◯他人を優先しすぎている
◯苦しいのが知識のせいだと思う
◯「今はわからなくてもいいとわかっている」のではなく「今はわからなくてもいいと考えるのが正解なはず」と思っているだけで納得などしていない
◯わかる時が来るのか不安

質問文をざっと見ても、あなたが問題視していたり、あなたにとって問題と思われることはこれだけあります。

わたしはこれらのうち、自分と仲良くないのも、自分の声がわからないのも、苦しいのを知識のせいにしてしまうのも、わからなくてもいいとわかっているという嘘を書いてしまうのも、わかる時が来るのか不安なのも、全部「他人を優先しすぎている」のが原因なのだと思います。

だから、自分と仲良くないのです。
だから、自分の声がわからないのです。
その他も全部そうです、自分を無視しているのが原因です。

他人を優先するために、自分の「本当の声」というものなどわからなくてもいいのですよ。だいいち、本当の声ならば自分を優先し、本当でない声のときは他人を優先するのですか。さらには、その本当の声なるものがわかったとて、そのときあなたはそれを他人より優先できますか。たとえば誰かに対して、「ふざけんなよ、お前なんか嫌いなんだよ!」という本当の声がわかったとしたら、さてそのときあなたはどうするのでしょうか。

誤解を恐れずにもしも無理やり優先順位をつけるのだとしたら、

自分の本当の声>自分の嘘の声>他者

なのです。

だから、自分の本当の声うんぬんのことは、まずは本当の声だろうと嘘の声だろうと、自分を他者より優先できてからの話です。

そして自分の本当の思いをなによりも優先できるようになってはじめて、他者を優先することができるのですね。それでやっと、他者を快く優先することができ、それが同時に自分の喜びになるのです。

他人を優先するのをやめるために必要なのは、他人を優先することでこれまで得てきたものを捨てること。それから、自分を優先することで失うものも、捨てること。あなたは他人を優先することで得られると思っているものに頼っていて、そこにしがみついているのです。

今のあなたが自分を優先するには、他人を優先していい人だと思われようとか、諍いを避けようだとかいう戦略を捨てることです。そして自分の喜びのために人生を選択していく。他者を優先しなくなったことで、もしかしたら他者とのあいだに問題が発生するかも知れません。人によっては離れていったり、また別のある人とは喧嘩になったり。でもそれをやるのです。

なかなか骨のいることだと思いませんか。

けれどもそれは、自分や他者や世界に持っていた思い込みを破壊する感動や、自分を抱きしめる喜び、自分を放し飼いにできる自由をもたらしてくれる、人生で最も大切なことのうちのひとつです。

これをしていると、自分と仲良くなってきていると思えます(本当は、自分というのはいつだって自分を無償で愛してくれる存在なのですけれどね)。自分がどうしたいのかもわかるようになるし、苦しいのは知識のせいだなんて思わないし、今はわからなくていいと思っているのか思っていないのかもわかるし、わかる時が来るのかを不安に思うこともなくなるのです。

あなたという人は、あなたの支配下にあります。

あなたが檻から出るなと言えば、あなたはあなたに従ってそこに居続けてくれます。あなたが声を出すなと言えば、出さずにいてくれます。

それでもあなたはあなたという人を無償で愛してくれている存在です。あなたが死ぬまであなたでいてくれる。あなたが自分を無視すれば、無視されたままで耐えてくれます。そしてあなたが解放してくれるまで、おすわりを命じられた犬ちゃんみたいにじっと待っている。

そんなこの世で最愛の健気な自分という存在を愛さずに、わたしたちは人生でなにを得ようというのでしょうか。あなたは誰に愛される必要もありません。けれども、あなたはあなたに愛されることをなによりも必要とし、これをこの世で最も喜んでくれる存在ですよ。他人のことは、まずはその人本人が大事にすればいいのです。そこを信頼して、あなたはあなたを大事にね。

さて、今日はここまで。

それではまた、明日ね。


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