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823/1096【年末年始】宇宙の解釈も大掃除!

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、己の夢を叶えようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で823日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

823日目。家族がクリスマス休暇に入っているから、家の中がおやすみモードだ。わたしの生活ぶりは一年中変わらない。年間365日ずっと仕事をしているようなまったく働いていないような生活だけれど、彼らのモードが違うからわたしまでおやすみに入ったような感じがする。

この毎日投稿が終わったら、生活をこんな風に変えてみよう、あれやこれをやめてみよう、そしてこんなことを始めてみよう、というアイデアが沸いてきて、大げさに思うかも知れないが、まるで別世界に行くような気がする。

昨日でちょうどこの3年間の毎日投稿のうち、2年と3ヶ月が過ぎた。残りちょうど9ヶ月。9ヶ月で、別の暮らしがやってくる。脱怠け者を目指して書き始めたのに、やっているうちに目的は変わってくるものだ。どんなことだってそうであるように。

毎朝起きて、夏時間なら夕方の5時まで、冬時間なら夕方の4時までに新しい記事をアップする生活が終わったら、わたしは何をするのだろう。もう怠け者でも三日坊主でもないぞという気分とともに、空いた時間で何をするのだろう!別世界に行くあいだの飛行時間も残り9ヶ月。到着後の感覚を報告する場を、きっと作ろう!!

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あなたは、こんなことについて考えてみることがあるでしょうか。
今ここで地球人をやっているあなた。それはあなたの魂の壮大な計画の一部に過ぎないのではないかしら、と。あなたにはまだまだ経験しようとしている計画があるのかもしれません。

わたしたちはつい、人生を一生という単位で考えてしまいがちですよね。生まれて始まって死んで終わる。でもそうではなくて、生まれて死んで転生して、また生まれて死んで…という繰り返しは、長い長い人生の、睡眠と目覚めなのかも知れません。生まれて起きて、死んで眠って、わたしたちの睡眠と同じく休んでリセットしながら、長~~い生涯を味わっている最中。と、そんなうふに考えてみると面白いですね。

でも、この「生まれて起きて、死んで眠る」というのは人間をやっている間を起点にした見方です。逆から見ることもできます。「生まれて眠って、死んで起きる」。そうすると、このわたしたちの生まれてから死ぬまでの間は、眠っている間の『夢』ということになる。わたしたちは地球人の身体に入ることで、地球人体験のリアルな夢を見ていることになります。

「わたし次は、これこれこういう設定の地球人になる夢を見てくるね!」といって生まれてくる。これは楽しい考えではないでしょうか。肉体をもつとき、わたしたちは『見たい夢を見る装置』に入ったと考えると興味深いものですね。

その夢は、【3D・リアル体験型】。
肉体は、3D世界を味わうたのめの有機体・感覚一体型スーツです。

そしてその3D世界は、つじつまが合っていなければなりません。でなければ、夢が壊れてしまうからです。このつじつまは、つまり自然界の法則です宇宙の法則ですね。そしてそれは、わたしたちが見たい夢が見られるようになっていなくてはなりません。わたしたちの本質は自由であるから、見たい夢を見に来ています。なので、本人の体験したいことが体験できなくてはならないのです。だからこの世界には、その人の思いが現実になるという仕掛けが必要です。これが、宇宙の法則と言えますね。

わたしは、自分がここで生きていることをそんなふうに考えてみるのが好きでした。今わたしは壇珠さんバージョンの、とてもリアルな夢を見ている。わたしという存在が眠っていて、”地球人型の夢”を見ている。死ぬときはあちらで起きて、「おはよう~」と言うのだろう。というふうに。そしてそのあちらの世界での目覚めは、あちらでの誕生日だとも言えます。今度はそちらに生まれて、別の夢を見るのです。そこでは”魂型の夢”をね。つまり意識がずっとずっと体験をしているのです。

今のようにわたしが地球人をしているときには、この地球人型のとてもリアルな夢を見るためにこんなにも壮大な世界を用意されたと思ってみると、嬉しくありがたいと、柄にもなくつい思ってしまいます。この3D世界、マジすげえ。すごすぎる。この三次元の仕組みが超絶完璧で精密でヤバすぎてどうしよう。ああ神よ、この世よあの世よ、この世界の仕掛のすべてよ、うああああーーーーーー!!と、考えるのが好きだ。これ以上にすごいものって、この世にない。この世で最もすごいもの、それはこの世である。超えようがないぜ…!!と思います。

ここまでの部分についてきてくださったお方に、さらによく考えてみてほしいのです。その壮大な世界にやってきた自分も、その壮大な世界ーつまり宇宙ーを創造した神も、その宇宙の内側にいるということ。宇宙の一部であるということ。だってほら、夢の中の世界にいるわたしも、眠っている本体の自分も、同じところにいるのだから。この宇宙はすべてだから、すべての外に出ることはできないですもんね。すごいことです!

つまりそれは、創造主である神も、夢を見に来た自分も、宇宙の構成要素だということ。オオサンショウウオも、麻の布も、人間の唾液も、歌声も、神も、夢を見ているのだというアイデアも、無というアイデアすらも、なんでもかんでもみんなみんな宇宙の中のこと。それらは同じ材料でできています。

その材料を、「愛」と呼ぶのですね。
「愛」でも「神」でも「自由」でもいいけれど。

それは、見えないもの。見えるものにもなる。なににでもなる。
その創造に制限はない。銃にもなる。銃に撃たれる人物にもなる。

愛は、愛の原材料です。
神は、神の原材料なのです。

わたしたちも、それでできています。
空気もホコリも家も大気圏も。隙間なくそれが満ちています。
それでできていないものなど、この世にないのだから。

宇宙は、宇宙の原材料であり、それそのものです。
すべては、すべての原材料であり、すべてはすべててできているのですね。

ひとつひとつのものは、その「すべて」を創っている材料でできています。ここに理解が開くと「ひとつは、すべて。すべては、ひとつ」が腑に落ちます。すべての分離したものに、その分離を認めながらもそれぞれを分けている境界が落ちるという矛盾に、バランスすることができるのです。

理解の助けに、ちょっと喩えを使ってみましょう!

ある人がスイーツを作っているとします。
その人は、マジパンを使ってどんな精巧なものも作れてしまいます。

鉛筆を作ってみたり、テディベアを作ってみたり。
ハマってしまって、家具も作り始めます。
どんどん作り出して、作って作って、なんでも作れることに気がつきました。

わあ、わたしはなんでも作れるようだ!と思う。これが、「どんな現実も作れるんだ」と気がついたときの感覚(引き寄せの法則とも呼ばれますね)。

そしてその先に、さらなる目覚めが待っていました。

それは、「あら?!なんと、わたし自身もマジパンでできているじゃないの!」という気づき。「それじゃ、誰がわたしを作ったの??神さまね!この世はすべて神のつくった一つの作品なのね!すべてがマジパンなのね!」と考えました。これが、ワンネスの感覚。

その先に、もうひとつ破れて落ちるものがありました。

「いや違う、神さまもマジパンでできているんだわ…」という気づき。そして、マジパンという何にでもなるもの自体が、神でありわたしでありこの世のすべての材料であり、マジパンというアイデアそのものすら、マジパンでできているということ。

このマジパンを、なんと呼びましょうか。あまりにもなんでも叶え、どんなものにもなるので、”自由”と呼びましょうか。

でも、”自由”と呼んでしまった以上、その概念は”不自由”という、それとは対局の分離を生みますよね。じゃあもう、呼びようがないじゃないか!!と思いませんか。

そう、ある意味で呼びようがないのです。あまりにすべてだから、呼びようがないですね。あえて呼ぶなら、”すべて”と呼ぶしかないかもしれませんね。”すべて”と呼んでしまうと、やはり「その”すべて”の発生源は?」「その”すべて”の外は?」という概念が生まれてしまいますが、”すべて”はすべてなので、文字通りなにもかもなのです。

その”すべて”が、わたしたちです。わたしたちは不思議な存在。
”すべて”の外はないので、わたしたちは宇宙全体に存在しています。

あなたは、その”すべて”が、経験してみたくて作った存在です。
もちろんのこと、”すべて”が”すべて”を材料にして、作ってみた存在です。
”すべて”の外はないから、”すべて”はなにかを創りたいと思ったとき、”すべて”自身を使うしかないですもんね。この世はその”すべて”が満ちていて、それしかないのです。

それは、”すべて”が自作自演して、自分で鑑賞していると言ってみることもできますね。”すべて”は孤独です。だから、自分が”すべて”であるということを、忘れてみることにしたのですね。「あれ!別の存在があった!はじめまして!出会いましたね!」という経験をしてみているのですね。

それがわたしたちの望みです。
魂の願いはひとりひとり違うものですが、でも大元の源は、この「未知との出会い」が望みなのです。”すべて”は、それが嬉しいのですね。それが楽しくて、大好きなのです。

わたしたちもその”すべて”がそう望んで、”すべて”自身でできているので、その性質を持っています。わあ!!こんなものに出会ったよ!!という自作のお話の世界を、思いっきり遊びたいのです。

先日22日から【風の時代】が始まったと言われていますが、とてもシンプルにまとめてみると、この楽しい出会いに対してのフットワークが軽くなる時代です。未知に向かったときに、それを選択してみると、この時代の風に乗って、助けられながら進むことができます。

人間関係も、これまでのようなどっぷりと絆を強めていくものよりも、心地よく寄って、心地よく距離をとる、ライトなものをOKと考えていくといい時代ですね!ステイホームやソーシャルディスタンスは、それを示唆しているようにわたしは感じています。

これまではハッキリと、彼氏、彼女、恋人、夫婦、親友、友達、だもの!と見る関係が愛された時代でした。それも素晴らしかったですよね。でもそれだけだと、付かず離れずにいて、程よい距離で互いを高め合えるような関係が生まれにくかったのです。本来わたしたちには、適度な距離でいい感じになれる人同士がいっぱい存在しているのです。

これまで、彼氏である以上、妻である以上、親友である以上、そのレッテルに従って動くべきだという考えが強かったですね。でももうその制限による経験のデータが十分に得られたので(地球人頑張った~!)、これからは、レッテルの貼りにくいちょうどよい距離の人と、自然と心地よく居られるようになっていきます。楽しみですね!

というわけで今日は、生きるということをどんな風に見て、この世界をどう解釈するのか、わたしの好きな表現でシェアしてみました。年末年始の心の切り替えの助けとなりますように。ちょっと目標や生活習慣を見直すだけでなく、宇宙の見方もさっぱりと新しくして、新年を迎えるのもよいですよ♥

それではまた、明日ね!!


毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)