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見切り発車で芸人になった。


「もし、世界に漫才師が自分だけやったら、こんなにも頑張ったかなと思う時あんねん。周りにすごい奴がいっぱいいたから、そいつ等がやってないこととか、そいつ等の続きとかを俺達は考えてこれたわけやろ?ほんなら、もう共同作業みたいなもんやん。・・・(略)
 一回でも舞台に立った奴は絶対に必要やってん。」

又吉直樹『火花』


「この人は売れない若手お笑い芸人なのだろう」

初投稿を読んだ方はきっとこう思ったのではないでしょうか。

間違いではありません。

今年の春に4度だけ地下ライブで漫才をしました。

あなた「え?たった4回?」

そうなんですよ。
ど素人がまさに見切り発車でコンビを組み、
その好奇心列車は止まることなく気付けば新宿のライブハウスに停車していました。

狭い楽屋は芸人でパンパン。
なのに客席はガラガラ。
袖に並ぶ相方と私。
前のコント師のネタが終わる。
出囃子が鳴る。
スタッフの方が合図を出す。
私は相方より先に光へと飛び出した。


あの瞬間確かにど素人だった私は、相方と共に「ミチエダ」というコンビの漫才師になり、狭苦しい楽屋で同じ空間にいたお笑い芸人達の仲間になりました。

アホ「いやいや、遊びで出た素人やん。芸人気取ってんじゃねえよ。」

そんなアホは冒頭に戻って神谷さんの言葉を読んできてください。

客が何人かと数える余裕すら無かった。


相方と漫才したいねと話したのはその前の年の12月30日だったと記憶している。
しかも帰省して地元の連れを含めた4人で酒を飲んでいた席での空想おつまみトーク。
他の連れ2人も
「やってみたらいいじゃん!」
「いやこいつじゃ無理だろ笑」
と当時まさか現実になるとは思わぬ話に口を挟みながら酒をすすめていた。

年を越して1月
相方とLINEで話す。

「漫才してえな」

今思えばいくつか妙なタイミングが偶然重なっていた。

1つ、
その年我々の大学からの友人がNSCを卒業した。
つまりよしもと1年目の芸人としてデビューすることが決まったわけだ。
彼は相方も私も認める面白いやつ。
心から応援していると同時に彼に嫉妬していた。
それは相方も同じだった。

2つ、
M1で令和ロマンが圧巻のトップバッター優勝を決めた。
M1を完璧に攻略して獲ったその姿を見て戦略思考の私は心躍らされた。
相方がどう思ったかは知らん。

そして何よりも大きなトリガーとなったのが3つ目、

相方が離婚していた。

何してんねん。


この話はここに書くには複雑すぎるからいつか相方とラジオでもして話してもらおう。


まぁそれらをきっかけに我々は一度東京で地下ライブに出ることを決めた。
互いに離れた自分の住む町へ帰ってからも個々がネタを考え、時にはzoomでタイムラグに鬱陶しさを感じながらネタ合わせをした。

それから僅か3ヶ月半で初舞台に立ち、
我々はお笑い芸人になった。

その日の話もいつかラジオで話そう。



さて、ここまで読んでくださった方は私が普段何をしてるのか気になりませんか?

あなた「いや、正直興味ない」

分かりました。
仕方ないので教えましょう。


あなた「だから興味ないって」


私は芸人です。

あなた「おまえ舐めてんの?」


実は本業も芸人なのです。
芸術(他にも芸事とか芸能とか)という抽象的な言葉を頼りにこう発するのですが、要はお笑いでないにしろ私の仕事は遊芸をすることであり、それによってお金をいただいているということです。
漫才はまだアマチュアですが、本業は一応プロとしてやっています。(とはいえそれでも食えてないから工場で働きながら。)

本業もお笑いと同じく私にとって偶然の出会いやタイミングが重なって気付けばやっています。
しかも故郷の九州を離れて今は山陰のど田舎に暮らして。

先ほどプロとしてやっているとカッコつけて言ったものの、私の階級は落語家で言う「二つ目」。
つまりは師匠がいてその下に付いて仕事をしているわけです。

私は昔からお笑いが好きなことから"師弟関係"というものに強い憧れを持っているので、彼を師匠と呼びたいとこなのですが、彼はそれを嫌がるので、ここではMと呼びます。

既につぶやき機能でMの言葉をいくつか書いてます。
彼の哲学をここに残していけたらと考えております。

数日前Mの奥さんがやっているカフェで変なアイスコーヒーを飲みながら話していた時にMからこう言われました。

「お前の見切り発車できるところは大きな武器だ。たまに信頼失いそうで怖いけど、"見切り発車じゃないと新しいことはできない"から、その原動力は活かさないとなと思う。」


実はMと関わるまで私は自分の行動に見切り発車が多いことを理解していなかった。
思えばたしかに、熟考したり議論したりする手間を嫌って実行に移してしまうことが多い。
それでたくさん失敗してきた。非難されてきた。
私の持つ大きな欠点であろうと思う。
Mと関わり出してそれに気付いてからというもの、その欠点と闘う日々だった。

でもそのMが私の欠点を武器だと言った。
救われる言葉だった。

たしかに私はこれまでの見切り発車の数々に何も後悔していない。
それどころか私の人生を豊かにしてくれている。
同時に私は複数芸事の共同作業者となった。

見切り発車したこの列車が終点に着く頃には何かおもろいもん創れてたらいいなあ。


長くなりすぎた!
もう終わり!!!

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