主題のない劇団(1)

人生を諦めると、もはやなんのやる気も出ないという人もいるが、僕は違った。諦めることで、好き勝手、突飛な行動を取れるようになっていた。
明日への希望が特に何もないのは、きっと前者と同じだったけど。



僕はリゾートプールのウォータースライダーの乗り場の前で、右手にお箸、左手に一口大に丸めたそうめんを乗せた竹ザルを持っていた。
係員の制止を、唯一対応できた尻で振り切り、「いざ、」とザルをひっくり返してそうめんを流した。そうめん達は一瞬で濁流へ吸い込まれて行った。
ああ、あんなにも時間をかけて茹でたのに、こんなにもあっけないんだなあ、と一種の寂しさのような、虚しさのようなものを心に抱えて、僕もそうめんに続いて飛び込んだ。
流しそうめんのように行く先が決められていたら楽なのに。そうめんのようにそうめんらしくちゅるりと食われて、これぞ夏だね、久々に食べると美味しいね、とそうめん生としての使命を全うできたらいいのに。
僕生は、行く先も決まらず、特に味もせず、人間として、誰からしい使命もまっとうできそうになかった。
僕を食べると美味しいかどうか実際のところは定かではなかったが、自己評価では僕は到底誰かに勧められるような味ではなかった。
自分で美味しいと思ってないものを、人には出せない。

考えにふけっていると、突然お尻を滑る感覚がなくなり、背中も浮いたかと思うと、「ドボン。コポポポ。」と音がして、耳に水。鼻から泡。どうやら地上のプールに投げ出されたようだった。
僕が水面から顔を上げると、目の前には口元にモジャっと髭を生やしたサングラスの男が立っていた。男の手にはすくい上げたであろう『そうめん』がへばりついていて、サングラスをずらしてはそれが何なのかを確かめている。ああ、それはそうめんです、と教えてあげようと思った。
髭の男はこちらを向くと僕に言った。
「これは、君がやったのか?」
その口調からは、不思議と怒られるような気配は感じられなかったので、
「はい。僕がやりました」「流しそうめんです」
と淡々と伝えた。
男は僕の他に仲間がいるんじゃないかと思ったのか、辺りを見渡した。が、僕はここに一人でやってきたのである。学生集団の悪ノリではない。僕個人の楽しみだった。
「一人でか」
僕は返事の代わりにうなずいた。これ以上何か詮索されたり理由を聞かれたところで、この行動の本質を言葉にすることは出来そうになかったので、「はい。それでは」とプールサイドへと背を向けた。

「君さ、次は川にビルを流してみようよ」

後ろから、男は確かにそう言った。
「これ、俺の連絡先だ」
男がどこに隠し持っていたか知らないが、電話番号と文字が書かれたメモを手渡された。
『古着屋 ▲■●  TEL:XXX-XXXX-XXXX』

川にビルってなんですか。と言いかけた時、僕はプールサイドの端に血まなこで僕を探す監視員と、清掃用の網を持ったスタッフを見つけた。退学は流石に避けたかったので、僕は急いで水中へと潜り、フロートベッドでゴロゴロといちゃつくカップルの下で事態が落ち着くまでやり過ごした。
再び顔を上げた時、そこにはもう男の姿はなかった。

現代文の授業を聞き流しながら、僕は駐輪場あたりをうつろに見下ろしていた。
先週の進路相談で先生から、まだ若いんだからやってみなくちゃわからない、などと言われた。しかし僕はこう見えて既にいろいろな分野に情熱を注いでは挫折しているのだ。
もしくは、情熱を注ぐ気すら起きない物事には、それはすでにその道の才能がないのだと思った。
そうしているうちに何もかもに『どうせ、だなあ』と、本腰を入れて出来なくなって、一本筋が通っている他人の人生を物欲しげに見てるだけの人になってしまった。
その中で唯一残った、たまに心の中で小さく煌く『情熱のかす』みたいなものを拾って脊髄反射で日々を送っている。特に、希望や未来への意味はないのだ。

僕はポケットから、先週一度水でしわしわになった「例の連絡先のメモ」を取り出した。電話番号も、確か書いてあった店名も滲んでしまって、全く読めなくなっている。
あの胡散臭そうな男は僕に何を思って、僕に何を言ったんだろうか。
「きみさ、かわにびるをながしてみようよ。」
かわに、びる。ビルってビルディング。建造物。かわって川。それは玉川? 目黒川?
建物が流れるわけがないだろ、と思いつつもちょっとだけ『情熱のかす』が煌く。見るからに変人そうな40代近い男だった。きっとへんなことを言うのが趣味の男で、発言に中身などないのかもしれない。
とにかく、もうあの男に真意を聞く手段などないのだ。

気づけばチャイムが鳴り、吉田が僕目掛けてやってくる。
「三間、購買行こうぜ」
吉田と購買にやってくると、いつもより多めの生徒で賑わっていた。どうやら既にピークを迎え、僕らは遅れを取ったようだ。列に並びながら吉田はげんなりしていた。
「くそ、小村の現文、チャイム後も小話するのやめてほしいよな」
僕はうなずく。
「うん。放送時間を過ぎたアフタートークはさ、クラウドとかで別途配信してもらおう。今はそういう時代だと思う」
「お前どこでそういう発想仕入れてくるんだ?」

列の先頭に来た時には、すでにめぼしいパンは買い取られてしまっていた。
「ジャムパン……と、あと、ミルクティーください」僕はいつもいる優しそうな購買のおばさんに言った。
「あーごめんね。今日、ミルクティー売り切れちゃったの」
「え。そうですか」驚きだった。まさか紙パックの方が売り切れだなんて。
「きみ、毎日ミルクティー飲んでるわよねえ。なのにごめんねえ」
さらに驚きだった。僕がミルクティー好きとして覚えられているのも。
「いえ、たまには違う飲み物も刺激になりますから」僕が苦笑いをしながらそう答えると、おばさんは笑ってこそっと言った。
「じゃあ次はとっといてあげようか」おばさんはチャーミングな笑顔を見せた。
「それなら、これをチップとして」僕が1000円を小さく畳んで差し出すと、おばさんは驚いた顔をしていた。
「あら、欧米式の裏取引ね。悪くないわ、いただいちゃお」
おばさんはスッと金を胸ポケットに入れた。
僕はグッドポーズをした。

吉田のところに戻ってくると、先ほどのやりとりを尋ねられた。
「なんだって?」
「ミルクティーがなかった」
僕はアップルティーをすすりながら言った。
「めずらしい、残念だったな」
「うん。どうにかしてミルクティー常飲者の母数を減らしたいところだね」
「物騒なこと言うな。次はきっと多めに仕入れてくれるさ」
「いや、次からは確実に飲める保証がある」
吉田は「?」という顔をしたが特に問うてはこなかった。

「吉田の妹を紹介してくれないか」
「は?」
昼休み、食後に僕は吉田とだらだら喋っていた。
「最近読んだエッセイに、『常に現代人でいたければ、年下の人間と関わりを持て』と書いてあったんだ。だから、吉田の妹を紹介してくれると助かる」
「俺らだってまだ高校生だし現代人だろ。何言ってんだお前」
「いいや。そういう怠慢な姿勢は老後に響くんだ」
これも僕の「情熱のかす」の思いつきだった。身近な大人達に飽き飽きしていた僕は、年下から少しでも新しい風を吹き入れられるのではと思ったのだ。
「うちの妹、まだ小5だぞ。年齢差があるし、お前とは会話が合いそうにない」
「なら吉田とも合わないだろ」
「俺は兄だから、それなりにコミュニケーション豊かにやってる」
「うーん。だったら円滑になるように、僕、吉田、吉田妹の3人で遊ぼう」
「お前、本当に今頭を動かして喋ってるか?」

土曜日の昼下がり。
それはいつもよりげんなりした顔で、それはそれはいつもよりげんなりした立ち姿で、吉田が時計台の下で待っていた。そしてその横には小さな女子が。
「おまたせ。そっちが吉田の妹?」
「はい。わたし、みくっていいます」兄が喋る前に妹がきりっとした口調で喋った。
コーディネートもシンプルで垢抜けている気がする。まるで小さな女性のようだ。そういえば小学5年生の時って女子は割としっかりしていたな。と僕は思い出した。
「本当にお前と妹と会わせることになるとはな……。こいつ連れてどこで遊ぶっていうんだよ、まったく」
そう言って吉田が妹を指差すと、妹は一瞬あからさまにしかめっ面をした。本当にコミュニケーション豊かにやっているのだろうか。まあ確かに、しっかりしてるとこを見せたい時に親族から横やりを入れられると、僕もよく腹を立てたものだ。
「ぜんぜんきにせず! わたしどこでもいきますから」妹は僕の目をしっかりとみて言った。
僕は少し考えた。小学5年生と遊ぶのだから、もう少し子供っぽい感性との触れ合いを予想していたけれど、この子なりの生き方を尊重してコミュニケーションを楽しもうではないか。
僕は息を整えて、妹と向き合った。
「ありがとうございます。 じゃあ、みくさんとお呼びしますね。今日はお会いできてうれしいです」僕はジェントルマンになりきって言った。
吉田は唖然としていたが、みくさんは妹としてではなく一個人として扱われたからか、とても満足げだった。
「はい、よろしくおねがいします!」小学5年生らしい緊張した面持ちだったが、それはそれでかわいいものだった。そうだよな、大人になりたいって子もいるんだよな。僕は忘れていた気持ちを思い出した。

後ろからつまらなそうに歩いてくる吉田を傍目に、僕とみくさんは並んで話した。
「みくさんは、ハンバーガー屋とかは普段行きますか?」
「はい、友達とたまに」
そうなんだ。僕はお金あっても注文がこわくていけなかったけどな。

「カラオケとかは」
「友達のお姉ちゃんとかに連れてってもらったりします。わたし歌うのすきですよ」
なんだって。小学生ってこんなだったか。

「ゲーセンは」
「たまにみんなでプリクラを撮りに行きますけど」
そうか。ええと他には……。

それから、3人で無難なアミューズメント施設を楽しんだり、ファミレスで会話したりしたが、僕は衝撃的なことに気がつき始めていた。
小学生の方が遊び上手ではないだろうか。駅やコンビニでだらだら会話するだけで何時間も暇をつぶせるようになった僕たちよりも、遊びという意味では小学生の方が確実に……。
心なしかみくさんからも、僕という大人への羨望が消えている気がした。
「おい三間。そろそろ夕方だし、やることないならみくを連れて帰るぞ」吉田が言う。

せっかく来ていただいたみくさんにこれでは申し訳ない。僕は急いで何かアイデアはないか心の中を探った。
(大人)(現代文の小村先生)(髭のある)(セレブの遊び)(リゾート)(あの日のプール)(謎の男)(もらったメモ)……

「みくさんは、『大人は古着を着こなす』って知ってますか?」

潜在意識から飛び出た僕の言葉に、みくさんの目は輝きを取り戻した。
「ええ、ふるぎってなんですか?」
「古着は、誰かが着たやつの……」
「おい。古着の良さなんて絶対に小学生にはわかんねえって、俺らもわかんねえのに」
「ちょっとお兄ちゃんだまってて」みくさんが吉田を制止する。
「ええと、おさがりみたいな感じですか?」
「うーん、お下がりも確かに古着だけれど、そういうのじゃないんですよ」僕は続けて言う。
「古着は恋愛と同じ、世界中から運命が出会わせるべくして出会うもの、なんです」
みくさんは今日一番に目を輝かせていた。
「お前マジで口から適当に言ってるんじゃないだろうな」今日久々に見た吉田の顔は、いつの間にかしわくちゃになりそうなほどげんなりしていた。

「ここが近くの古着屋らしいですよ」
僕達はスマホで駅から少し外れた古着屋を見つけて、足を踏み入れた。
店内は細長い10畳くらいの部屋で、暖色の電球が数個あるだけの薄暗さ。壁から天井へと至る所に服やアクセサリー、和洋折衷の置物や謎のオブジェが並んでいた。
「ここが、ふるぎやなんですね」みくさんは何故か萎縮してか、小声だった。
「そうだぞ」吉田も小声だった。
入り口でまごついている2人を尻目に僕は店の奥へと歩いていく。
いくつものスケートボードが天井に張り付いている。あっちには巨大なホッチキスのオブジェがある。奥では小柄な女性の店員さんがちょくちょく伺うようにこちらをみている。うーん、高校生じゃやっぱり不釣り合いだっただろうか。
値札をめくるとバイト代で買えなくもない値段だった。ならば冷やかしということもないだろう。
「内装、おもしろいですね」僕は店員さんに声をかけてみた。
店員さんがひょこひょこと近づいてくる。
「ありがとうございます。いっぱい物があって困っちゃいますよね。オーナーがいろいろやりたがりなんですよ」女性は笑ってバックヤードの方を見る。
僕も釣られて覗き込むと、奥の方で見覚えのある顔と目があった。
「お、君」

「川にビルを流す気になったのか」
そこにはプールで出会った髭モジャの男がいた。



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