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2021.6.21 「ByeBye−売国」竹中平蔵へのお手紙



私がより運動に没頭したのは、竹中平蔵に対する敵対心があったから。
竹中平蔵的価値観、いわゆる新自由主義には徹底的して抗ってきました。

竹中平蔵が第一線から降りた今も、彼が日本の政治に根付かせた竹中平蔵的価値観にはこれからも徹底的に闘っていきます。


#みちばたvs竹中平蔵 。私たちの運動の原点です。

2021.6.21
【拝啓・竹中平蔵大先生】

竹中平蔵大先生、先生が和歌山県の高校時代に民青(日本民主青年同盟)に入り、その後民青時代の同級生に別れを告げ、一橋大学に入学し、政府系金融機関の日本開発銀行に入社し、「公的な仕事に関わりたいという希望があった半面、官僚にだけは絶対になるまいと決めていました。官僚は体制そのものだから嫌だったんです」と仰いましたね。

体制そのもの、とは今となっては皮肉めいている発言ですね、竹中先生。

今となっては体制、国民側にとってはある意味「反体制」として、先生が政府中枢に入り込んでから20年以上が経ちましたね。


右翼活動家、横山孝平氏がパソナや竹中平蔵自宅近くで撒いたビラ。その後、横山孝平氏は竹中平蔵に訴えられ、街宣禁止処分に。


レーガン大統領が「新自由主義政策」を推し進めた80年代の米国に、まるで導かれるかのように先生は初渡米し、その時に親友、“ジャパンハンドラーズ”ケント・カルダーと知り合い、その後帰国し大蔵省に出向し、長富祐一郎氏の元で修行を積み、「財政金融研究所」の立ち上げに関わった事が先生にとって大きなターニングポイントとなったのでしょうか。

1988年に小渕首相直轄の「経済戦略会議」に参加し、政界デビューをし、過度に平等な社会の日本を批判、日本を新自由主義にどんどん導いていき、いよいよ政界の表舞台に立ち始めました。

そして、小泉純一郎の右腕として、いや、当時ブッシュ米国大統領と小泉純一郎首相を結ぶ架け橋として日米を股にかけ、日本の富を海外に売り飛ばし、そこから20年以上経ち、今では先生の弟分が総理大臣になるまでになり、先生の発言力は更に増し、自民党以外にも大阪維新、日本維新の会の立ち上げに関わり、今では先生が最も行いたい最後の新自由主義総仕上げ、「社会保障を全撤廃したベーシックインカム」までこのコロナ禍の火事場泥棒的に公約としてぶち上げさせるまでに来ました。

竹中平蔵大先生、貴方が教授を勤める東洋大学では二年前に貴方の事を批判するビラを撒いた生徒を、他の教師達が囲み、「退学させるぞ」と脅す事までしたそうですね。
その生徒の撒いたビラを拝見したら、私にとっては真実しか述べていませんでした。

大学とはそんなに表現の自由が許されない場所なんですか?
私は驚きました。

先生が行った構造改革の成果は見事、成功しましたね。
日本は企業が儲けても賃金は上がらない米国型経営への転換が成功しました。

私たちの富を海外に売り払い、それまで国民がコツコツ貯めて来た郵政のお金、400兆円はもう大分海外に横流しできましたね。
それをスタートとし、労働規制の緩和を時の政府に進言し、今では労働者の四割が非正規雇用、その非正規雇用の元締めとなるPASONAの会長にも収まりました。

リーマンショックでは「派遣切り」が社会問題となりましたね。

私は幸運にも派遣切りになったことはありませんでしたが、当時ニュースを眺めていて、ぼんやりと「大変だなぁ」なんて他人事として考えていた事を今では恥じます。

そして、このコロナ禍でも大学生が学費が払えなくて大学を退学するとか、中小企業が倒産するとか、大変な事になっています。

先生が望む格差社会にいまの日本はなってきました。

そんなときに先生が会長を努めるPASONAは過去最高の利益を上げたそうですね。
商売がお上手です。
オリンピックボランティアでも日当約40万を政府からPASONAに受注させ、そのお金をほぼ中抜き、実際の労働者には日当約12000円しか払わないそうですね。

そりゃあオリンピックやりたいですよね、そりゃあ過去最高益上げられますよね。

今や国民の平均賃金は全く上がらず、横ばいどころか下がりっぱなし。他の先進国は上がっているのに。
世界第三位の経済大国である日本で、労働者の賃金は下がっています。

ですが、先生が会長を努めているのような会社は過去最高益、大企業は過去最高の内部留保。

そして、ダボス会議にて当時首相の安倍晋三をそそのかし、TPP参加を国際会議の場で国際公約させるほどの権力者にまで登り詰めました。

東洋大学教授、菅政権の成長戦略会議のメンバー、PASONA取締役会長、オリックス社外取締役、SBIホールディングス社外取締役、ダボス会議理事、etc…

先生は様々な肩書きをお持ちで、さぞ幼い頃の悔しい想いをいま発散できているでしょう。

先生はお父さんの背中を見ながら「せっせと下駄を作り、朝から夜まで働く割にはなぜうちは周りに比べて貧乏なんだ」というコンプレックスをお持ちでしたようで。

私はいま、先生ほどお金には恵まれていませんが、大好きな妻に支えられ、優しい両親に育てられ、好きな仕事をやりながら、志を同じくする仲間達に囲まれ、幸せな人生を暮らしています。

ですが、この現状を知ってしまったいま、なにかやらない訳にはいかない、と思い、先生に対して抗議の声を上げ続けています。

先生からしてみれば大変迷惑でしょうが、先生の行って来た事で人生を狂わされた人が沢山います。

先生の幼い頃のコンプレックスを晴らす為に日本国民を地獄に付き合わせるのはこれ以上止めていただきたい。

先生からしてみればたかが庶民ですが、まだこの国には表現の自由が保証されている以上、表現の自由をまだまだ謳歌させていただきます。

竹中平蔵大先生、今後ともよろしくお願いいたします。


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