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【ヨガ指導者のためのヨガの歴史と哲学講座:2】 -「ヨーガ」の行法や思想の成立時期 -

第一回目の講座で、「ヨーガ」の起源に関しては未だに不明であるが、「ヨーガ」の道に関してはバラモン社会の中で開発されたものとみなければならないということがポイントにありました。そこで今回の講座では、インド社会でのバラモンの立ち位置を知り、いつ頃、どういった事情の下、この「ヨーガ」という名称を持った行法や思想が成立していったのかを考察していきます。


◾️インド社会におけるバラモンの立ち位置

【バラモンとは?】

バラモンとは、インドで多数派を占めるヒンドゥー教のカースト制度の頂点に位置するバラモン教ヒンドゥー教司祭階級の総称。ブラフミンともいう。

バラモン - Wikipedia 参照

【バラモンの名前の由来】

「バラモン」とはサンスクリットの「ブラーフマナ」(brāhmaṇa)が漢字に音写された婆羅門を片仮名書きしたものであり、正確なサンスクリット語形ではない。

ブラーフマナとは古代インド哲学で宇宙の根本原理を指すブラフマンから派生した形容詞転じて名詞。つまり「ブラフマンに属する(階級)」の意味である。

バラモン - Wikipedia 参照

【バラモンの歴史的起源】

紀元前1500年ごろ、インド・アーリア人が、インダス文明の先住人であるムンダ人やドラヴィダ人を支配するためにヴァルナという、ヒンドゥー教社会を四層の種姓に分割する宗教的身分制度である。共同体の単位であるジャーティも併せ、カーストと総称される。

そして自らを最高位の司祭・僧侶階級に置き、ブラーフマナ=バラモンと称したのが始まりであると言われている。

上位からバラモンクシャトリヤヴァイシャシュードラの身分が存在し、このヴァルナによる枠組みをヴァルナ・ヴィャワスターと呼称する。

ヴァルナ - Wikipedia 参照

つまり、バラモンはインド社会の中で最も支配的な立ち位置にある階級であるということ。

前回の講座でも触れたように、インド・アーリア人がインダス文明の先住人であるムンダ人やドラヴィダ人などのインドの原住民たちを圧倒して、支配したことは事実であるとされている。それらの人々を支配するために身分制度を作り、自らを最高位の司祭・僧侶階級に置き、バラモンと称した。

そして「ヨーガ」という語は、バラモンが作っていた『リグ・ヴェーダ』の中で用いられていた、「軍馬を戦車(二輪馬車)に繋ぐ」という意味を持つ、戦争に密接に関わる語であり、それと同時に『リグ・ヴェーダ』の詩人(祭官)は讃歌を馬車に見立て、「馬車に乗って天上界に神々を迎えにいき心を神々に繋げる」というような詩的な意味合いで、用いていた語でもあったということ。

そして次は、「ヨーガ」の行法や思想がいつ成立していったのかということについて考察していきたいと思います。


◾️「ヨーガ」の行法や思想はいつ成立したのか?

どういった事情のもとでいつ頃、「ヨーガ」という名称をもった行法と思想が成立したのか、明言するのは今でも難しいといわれています。

・理由①
ヨーガという名称を持った一つの行法のシステムが成立したのは、ブッダによって仏教が開かれるよりも1〜2世紀前であったであろうということ。

「ヨーガ根本経典」
佐保田鶴治 著 P25~27参照

・理由②
ブッダやジャイナ教の開祖マハーヴィーラは、非バラモン系のサマナ(沙門)の道統に所属していたので、バラモン系に属するヨーガとは道統を異にしていたといわれていること。

「ヨーガ根本経典」
佐保田鶴治 著 P25~27参照

・理由③
かといって、ヨーガはバラモン系の正統派であったかというと、そうではなく、すくなくとも最初は異端的な存在であったように思われている。

バラモンという階級は、祭職の階級であり、バラモンの本業は依頼によって祭儀を行うことで、彼らはその報酬によって生活を維持してきました。かれらはそういう世襲の家業を代々受け継いでいく在家人であった。

ところが、そういうバラモンの中から出家者になるものが次々と現れてきた。

出家というのは今日の言葉でいうと、蒸発ということです。

インドでは、いったん家を出たならば、たった一度だけ帰省するが、それ以外は決して故郷を訪れることなく、その消息さえ知らせない。

そして文字通り、一所不在の孤独な生活を続け、人里離れたジャングルの中で坐禅瞑想の生活を続けていくのが本当の出家者。

出家者の風習は、元来バラモン宗教のなかで自然発生したのではなく、バラモン伝統外の宗教からの影響によるものだということは、いろいろな証拠から推測される。

ヨーガもまた、そういう外部からの影響のもとでバラモンの中に発生した宗教運動だった。

修行のねらいは、「解脱」すなわち人間実存の完全な独立、解放にあります。
その点では、仏教などの所属するサマナ(沙門)系と同一趣向。

ただ、サマナ(沙門)の系統はバラモン正統派から異端と見なされたのに反して、ヨーガはバラモン正統派の伝統のなかへ受け入れられたという違いがある。

「ヨーガ根本経典」
佐保田鶴治 著 P25~27参照

上記をまとめると以下のようになります。

【どういった事情のもとで「ヨーガ」が成立したのか?という観点】

「ヨーガ」はバラモン系の正統派であったかというと、そうではなく、少なくとも最初は異端的な存在であったように思われている。

その理由としては、バラモンという階級の人々は、祭職の階級であり、バラモンの本業は依頼によって祭儀を行うことで、彼らはその報酬によって生活を維持していて、そういう世襲の家業を代々受け継いでいく在家人であったといわれている。

しかし、もともとは出家とは縁がないようなバラモンという階級の人々の中から出家者になるものが次々と現れてきた。出家というのは今の言葉でいうと「蒸発」。インドでは、いったん家を出たならば、たった一度だけ帰省するが、それ以外は決して故郷を訪れることなく、その消息さえ知らせず、一所不在の孤独な生活を続け、人里離れたジャングルの中で坐禅瞑想の生活を続けていくのが本当の出家者だった。出家者の風習は、元来バラモン宗教のなかで自然発生したのではなく、バラモン伝統外の宗教からの影響によるものだということは、いろいろな証拠から推測されている

だから、もともと祭儀を行う家業を代々受け継いでいく在家人の階級であるバラモンにとって、このように出家をする人々はバラモンにとっては異端的存在だった。「ヨーガ」もまた、そういう外部からの影響のもとで、バラモンの中に発生した宗教運動だった。だから、ヨーガはバラモン系の正統派であったかというと、そうではなく、少なくとも最初は異端的な存在であったように思われている。

修行のねらいは、解脱、すなわち人間実存の完全な独立、解放であり、その点に関して、仏教などの所属するサマナ(沙門)系と同一趣向だった。

仏教のブッダや、ジャイナ教の開祖マハーヴィーラは、非バラモン系のサマナ(沙門)の道統に所属していたので、「解脱」すなわち人間実存の完全な独立、解放という修行のねらいは同一趣向だったが、バラモン系に属するヨーガとは道統を異にしていたといわれている。

バラモンの中で異端者呼ばわりされていた出家者とブッダのようにサマナの人々とは、修行のねらいや、バラモンから異端視されていた、という点は同じだったにも関わらず、「ヨーガ」のほうは次第にバラモン正統派の伝統の中へ受け入れられ、サマナ(沙門)はバラモンから異端と見なされた続けたという謎がある。

そして、バラモンの中で異端者呼ばわりされていた出家者の風習は、元来バラモン宗教のなかで自然発生したのではなく、バラモン伝統外の宗教からの影響によるものだということは、いろいろな証拠から推測されているにすぎなく、それが何の影響から発生したのかがはっきりしていないということ。

【いつ頃「ヨーガ」が成立したのか?という観点】

「ヨーガ」という名称を持った一つの行法のシステムが成立したのは、ブッダによって仏教が開かれた時期と推測されている紀元前6世紀(紀元前500年)代よりも1~2世紀前であったであろうと推測されていながらも、一番最初にヨーガ行法とその思想を示したといわれている書物、『カタ(カータカ)・ウパニシャッド』の成立年代も、仏教以前と評価する人もいるし、紀元前4世紀(紀元前300年)代と計算する人もいたり、成立した年代が今でもはっきりと断言できないということ。


■一番最初にヨーガ行法とその思想を示したといわれている書物、『カタ(カータカ)・ウパニシャッド』

【カタ(カータカ)・ウパニシャッドの年代評価】

仏教以前と評価する人もいるし、紀元前300年代と計算する人もいますが、現存文献のなかでは一番古いヨーガ行法とその思想とを示しているといわれている。

『カタ(カータカ)・ウパニシャッド』のなかで、「ヨーガ」という語の明確な定義に出会うばかりでなく、その後のヨーガの伝統のなかに伝えられてきた行法と観念の重立ったものを見出すことができる。

【『カタ(カータカ)・ウパニシャッド』におけるヨーガの定義】

『カタ(カータカ)・ウパニシャッド』では、「ヨーガ」を下記のように定義している。

「五つの知覚器官が意とともに静止し、覚もまた動かなくなったとき、人々はこれを至上の境地だという。かように諸々の心理器官を執持することを人々はヨーガと見なしている」

-『カタ(カータカ)・ウパニシャッド』第2篇 2・3・[10]-[ 11]-

「ヨーガ根本経典」
佐保田鶴治 著 P28

『カタ(カータカ)・ウパニシャッド』では、「ヨーガ」の心理作業の説明するときの比喩として下記のように書かれていた。

アートマンを車主と知れ。肉体を車、覚を御者(馬をあつかう者)、意を手綱と心得よ。賢者たちは、もろもろの知覚器官を馬と呼び、諸知覚に対応する諸対象を道路と呼んでいる。(『カタ(カータカ)・ウパニシャッド』三・三-四)

「ヨーガ根本経典」
佐保田鶴治 著 P28

次回の講座でより詳しく触れていきますが、『カタ(カータカ)・ウパニシャッド』で語られている「ヨーガ」という行の本質は、心の本性である、とりとめのない動きをしっかりと抑えつけて動かないようにすることにあり、この動きを抑え止めるには、まず、五つの知覚器官の働きを静止することから始めなければならない。知覚器官は外界の刺激にひかれて絶え間なく動いてやまないものであるから、これを制止するには強い意志が必要。この知覚抑制の作業はちょうど、馬車をあつかう者が馬を制するのに似ているので、このような心理作業を「ヨーガ」という名で呼ぶことにしたのであろうといわれています。それはリグ・ヴェーダの時代、「ヨーガ」の元の意味のひとつとして、「軍馬を戦車(二輪馬車)に繋ぐ」という意味で使われていたので、この心理作業の名としてはぴったりだったからともいわれています。

■「ヨーガ」という語の意味合いの変化

このように、時代と共に「ヨーガ」という語の意味合いが、相互に繋がりながらも変化していったことが考察できます。

リグ・ヴェーダ』において
「軍馬を戦車(二輪馬車)に繋ぐ」という意味を持つ、戦争に密接に関わる語であり、それと同時に『リグ・ヴェーダ』の詩人(祭官)は讃歌を馬車に見立て、「馬車に乗って天上界に神々を迎えにいき心を神々に繋げる」というような詩的な意味合いで、用いていた語だった。

バラモンの中で異端と呼ばれていた出家者の人々の宗教運動において
バラモンの中で出家した人々、それはバラモンの中でも異端と呼ばれていた人々だが、その人々の宗教運動を表す語として用いられた。その修行のねらいは、「解脱」すなわち人間実存の完全な独立、解放であった。

『カタ(カータカ)・ウパニシャッド』において
心理作業を表す語として用いられた。「ヨーガ」という行の本質は、心の本性である、とりとめのない動きをしっかりと抑えつけて動かないようにすることにあり、この動きを抑え止めるには、まず、五つの知覚器官の働きを静止することから始めなければならない。知覚器官は外界の刺激にひかれて絶え間なく動いてやまないものであるから、これを制止するには強い意志が必要。この知覚抑制の作業はちょうど、馬車をあつかう者が馬を制するのに似ているので、このような心理作業を「ヨーガ」という名で呼ぶことにした。

実際には、『カタ(カータカ)・ウパニシャッド』における「ヨーガ」の心理作業は五つの知覚器官の抑制だけではなくて、それよりも高次の心理作用までも静止させてしまおうとしています。次回の講座ではその点にも触れ、『カタ(カータカ)・ウパニシャッド』について、より深く考察していきたいと思います。

この講義の参考文献:
・『ヨーガ根本経典』佐保田 鶴治 著
・『ヨーガの哲学』立川 武蔵 著
・『リグ・ヴェーダ讃歌』 辻 直四郎 訳
・『インド文明の曙』 辻 直四郎 著
・『ウパニシャッド』 辻 直四郎 著

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