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【ヨガ指導者のためのヨガの歴史と哲学講座:1】 -「ヨーガ」の起源 -


●イントロダクション

ヨガの歴史や哲学についてもっと学びたいけど、独学で本を読んでいても、いまいちわからないので教えてほしいというお声が、ヨガのティーチャートレーニングを終えこれから指導したいとおっしゃる生徒さんから届きましたので、無料で読んで学べる講座をnoteへ載せていきます。

ヨガのティーチャートレーニングでは、ヨガの教典はたくさんあるにも関わらず、『ヨーガ・スートラ』を使用されることが日本だけでなく世界中で多いとお聞きします。僕自身、2009年にヨガのティーチャートレーニングの際には『ヨーガ・スートラ』の哲学についても学びました。しかし、核心の部分は感覚的にわかるのですが、他の箇所はいつもすぐに眠くなってしまったり、誤解して理解していていることも多かったように今は感じています。

後に、『ヨガ・ボディ: ポーズ練習の起源 』の著者のマーク・シングルトン先生、一次資料からオリジナルの研究を提供する、世界有数のヨガ研究の情報源となることを目指すThe Luminescentを設立したジェイソン・バーチ先生、エミール・ウェンデル先生といったヨガの歴史や哲学に詳しい先生たちから学んだり、僕が一番密接に学んだパトリック・オアンシア先生のもとを離れたあと、自分自身でヨガの歴史や哲学を掘り下げていくことでより深く理解していったことではあったのですが、僕がティーチャートレーニングを終えた頃、誤解して理解してしまっていた理由は、どういう歴史背景からきていて、どういう人たちが作ったのか、どういう前提のもとにそれが作られたのか?ということを知らなかったからということがその理由の一つとしてありました。

それを知ると、ヨガが使い方によっては悪用されてしまう可能性があるものだということ理解できるし、だからこそ、それを取り扱うヨガの指導者もそれを知らないと、自分たちも気付かぬうちにそちら側になってしまっているという構造を秘めているものだということが理解できます。だからやはりヨガの哲学を知っておくことはヨガ指導者としてはとても大切なことだと思います。それには、観察して、気づく。認識する。これは瞑想でも行っていることですが、そうやって、まずはヨガの哲学の構造を理解する必要があります。

しかし、実際のティーチャートレーニングでは、時間数が限られているため、ヨガスタジオ側でもそこまで詳しく深くカバーできないのだということが、僕もヨガ指導者のキャリアを積み重ねるなかで見えてきたことでした。これはティーチャートレーニングもそうだし、ワークショップなんかもそうで、今思えばわかるのですが、時間がとてもじゃないけど足りないくらい膨大な量なんです。なので、表層の部分だけをカバーしていくことしかほぼ行うことができていない。そのくらい膨大な量で、奥行きも深い。

そういった理由から、今回は、サーンキャ哲学が思想背景にあるといわれている『ヨーガ・スートラ』が根本経典となって成立した「古典ヨーガ」の前提となった部分を掘り下げた講座を数回にわけてお送り致します。(「サーンキャ・ヨーガ」〜「古典ヨーガ」〜「ラージャ・ヨーガ」は、「サーンキャ哲学」が思想背景にある同系統のヨーガ。「ハタ・ヨーガ」は「ヴェーダンタ哲学」とより密接。)


●ヨーガの起源は謎

第一回目は、「ヨーガ」の起源。

ヨーガ思想の起源は、結論としていうと、

「謎」

で推測以上に進むことはできていないそうです。

「ヨーガの起源は今でも謎である。」

ということを前提に、どんな推測があるかご紹介します。

大まかな流れでいうと、

・インダス文明の遺跡にヨーガのポーズらしきものをとっている印章があった
・『リグ・ヴェーダ』


●推測①:インダス文明にあったのではないかという説

範囲をインド大陸に限ったうえでヨーガの起源を求めると、紀元前3000年~1500年くらいの間に栄えたといわれる、インダス文明時代にまでさかのぼることができる。

インダス文明は、1920年代以後に、インダス河流域のモヘンジョ・ダロ、ハラッパ、その他の場所から発掘された古代の遺跡と遺物によって初めてその存在が知られた古代文明のこと。

インド考古学調査会会長で考古学者のジョン・マーシャルらが、1921年にインダス河流域のモヘンジョ・ダロ、ハラッパの遺跡を発掘し始め、高度に発達した都市文明があったことを発見した。

その発掘品のなかに、沢山の印章(印象とは木、竹、石、角や象牙などを素材として、その一面に文字やシンボルを彫刻したもの)や、護符(神仏の名号や形像、呪文、経文、神使とされていている動物などを書いたお札の)のような泥土製品があった。

この印章のなかの一つに、動物に囲まれていて、角のある「神」が刻まれているものがあった。

この印章のなかの「神」は、シヴァ神の武器である三叉戟(さんさげき)のようなかたちの「角」があることなど多くの点から、のちのヒンドゥー教で活躍することになるシヴァ神の原型だろうと推察され、シヴァの前身で百獣の王(パシュパティ)と、ジョン・マーシャルが解釈したため「パシュパティの印」という名が与えられた。そしてこれがヨガのポーズらしきものをとっていた。


パシュパティの印

そこから、宗教学者ミルチャ・エリアーデは、これを「最古のヨーガ行者の表象」であるとした。

そして、この印章がのちにヨーガと呼ばれたものであるかは、かなり疑わしいものであったが、ヨーガの始まりは既にこの文明の中にあったと推測され、古代のヨーガの起源として繰り返し引用されるようになった。

しかし、インダス文明は今のところ、考古学的資料でしかなく、文字らしいものはあっても解読するまでには至っていないため、推測以上に進むことはできず、インダス文明を築いた人々が、どのような世界観をもっていなのかを知ることは困難である。


●推測②:『リグ・ヴェーダ』にあったのではないかという説

インダス文明は多神教が存在したことを雄弁に物語る多くの発掘品があるのに対し、宇宙や世界の構造を描いたと思われる発掘品が存在しないことから、とても綿密な宇宙や世界の構造イメージを持っていたとは考えにくい。また、寺院や祭壇などの跡も見つかっておらず、祭具と思われるものも見当たらない。

インダス文明は、インド・アーリア人がインドの西北部のパンジャブ地方に侵入する以前に衰えてしまったといわれるが、現段階ではよくわかっていない。ともあれ、紀元前1500年ごろ、インド・アーリア人が、インダス文明の先住人であるムンダ人やドラヴィダ人などのインドの原住民たちを圧倒して、支配したことは事実であるとされている。

インドの西北部のパンジャブ地方を支配した後、徐々に東方に向かって領土を拡めたインド・アーリア人たちが最初に残した文化的遺産が『リグ・ヴェーダ

彼らは武力によって先住民を征服したと同時に極めて宗教心が強く、物質的には他の古代文明と比べて特に誇るべきものを持っていなかったかもしれないが、精神文化の面では異常な活力を展開した。

「リグ・ヴェーダ宗教」はバラモン宗教の最古の体系であるが、彼らの宗教には、後世のヒンドゥイズムにおけるような「神の住処」としての寺院はなく、天空地の三界に住む多くの神々を、臨時に新設した祭壇に招いたうえで、聖火の中にお供物をささげ、多くの神々を讃えて財産・戦勝・長寿・幸運を乞い、その恩恵と加護とを祈る祭儀が中心の宗教だった。

祭儀の際、神と人との間にあって、その媒介に当たったのは、詩人を兼ねた祭官だった。(ちなみに彼らはのちにバラモンと呼ばれるようになった人たちである。)

優秀な讃歌と甘美なお供物、特に新酒ソーマを捧げる祭祀とで神々を満足させ動かし、庇護者たる王侯貴神の所願を成就することで、王侯貴神たちから多くの報酬を得られるという事情から、讃歌を詠む詩人(祭官)のあいだに激しい競争が生まれ、そこから文学的にすぐれた作品が多数に残されることになった。

『リグ・ヴェーダ』はこれらの讃歌の集録。

話をヨーガの起源に戻すと、

① 『リグ・ヴェーダ』では、「ヨーガ」という語は、もともとは戦争と密接に関わっていた。
この『リグ・ヴェーダ』に「ヨーガ(実際にはyogamなど)」という語が使われているのだが、もともとは、サンスクリット語の「yuj」に由来する語で、「くびき」と「動物にくびきをかける」という意味の両方を持っていて、基本的には「雄牛をくびきに繋ぐこと」を意味するものの、「軍馬を戦車(二輪馬車)に繋ぐ」という意味で使われることが多かった。実際に、「ヨーガ」が戦車の装具全体を意味する記述も見つかっており、「ヨーガ」の概念は、もともとは戦争と密接に関わっていた。

② 『リグ・ヴェーダ』では、「ヨーガ」という語は、詩人/祭官(後のバラモン)の祭祀でも使われていた。
またその一方、『リグ・ヴェーダ』の詩人(祭官)は讃歌を馬車に見立て、「馬車に乗って天上界に神々を迎えにいき心を神々に繋げる」というような詩的な意味合いで、「ヨーガ」という語を用いていた。

この詩人/祭官(後のバラモン)による宗教的使用が後の、紀元前3世紀頃の『カタ(カータカ)・ウパニシャッド』の中で、「ヨーガ」の言葉の明確な定義や行法について初めて記述されたことや、その後「ヨーガ」という言葉が、瞑想や霊的な自己発見を意味するようになったことへ繋がっていったといわれている。


●まとめ

インダス文明の遺跡でみつかった「パシュパティの印」が起源かもしれないし、『リグ・ヴェーダ』などでもみられるように、インドの西北部のパンジャブ地方に侵略してきたインド・アーリア人の使用が、起源かもしれません。そのどちらが先かは現在も不明だそうですが、ここで重要なポイントとしては、今回は、サーンキャ哲学が思想背景にあるといわれている『ヨーガ・スートラ』が根本経典となって成立した「古典ヨーガ」の、「ヨーガ」の道はこのバラモン社会の中で開発されたものとみなければならないということです。

今回の講座では深く触れませんが、「リグ・ヴェーダ宗教」の神秘思想的傾向はその後、色々な歴史発展の末、ウパニシャッドの神秘思想としても開花し、今回触れる「古典ヨーガ」の背景にある「サーンキャ哲学」とは違った流派である「ヴェーダンタ哲学」を形成することにもなっていきます。

次回の講座では、インド社会でのバラモンの立ち位置を知り、いつ頃、どういった事情の下、この「ヨーガ」という名称を持った行法や思想が成立していったのかを考察していきたいと思います。

この講義の参考文献:
・『ヨガ・ボディ』マーク・シングルトン 著
・『ヨーガ根本経典』佐保田 鶴治 著
・『ヨーガの哲学』立川 武蔵 著
・『リグ・ヴェーダ讃歌』 辻 直四郎 訳
・『インド文明の曙』 辻 直四郎 著

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