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「よくがんばりました」の魔法の言葉で次もまたがんばれる

ダイエットと体力づくりのためにジムに通い始めてそろそろ2ヶ月。少し前から増えている暗闇フィットネスと言われる類のジムで、ノリのいい音楽にあわせて筋トレと有酸素運動がノンストップでプログラムされています。

ブラックライトの中、大音量の音楽。気分はアガるけれど、これがキツい。キツいけれど、クセになる。

煽られて、自分を追い込む

プログラムによって難易度や強度は異なるものの、基本的には結構ハード。レッスンを受けているのは20〜40代で、男性も女性も運動慣れしている感じの人が多い気がします。

いろいろなインストラクターのクラスを受けていますが、共通しているのは追い込みをかけてくること。スタジオは暗いので、周囲のことはぼんやりとしか見えていません。集中できますが、一方で手を抜こうと思えばいくらでも抜けます。

マシントレーニングでもそうですが、基本的に筋トレは自分をどこまで律することができるかがカギ。ちなみに私は自分で自分をコントロールするのがあまり得意ではない自覚があるので、他人(=ジムという場所、インストラクターという第三者)の手を借ります。

「自分に負けるな」「出し尽くせ」というインストラクターの煽りで、疲れて動かない身体を奮い立たせます。

がんばった自分を言葉でねぎらう

プログラムの終盤には全身汗だく、息は絶え絶え、足はガクガク。最後の曲が終わった瞬間の「お疲れ様でしたー!」のインストラクターの声で一気に緊張の糸が解けます。そして、あるインストラクターがそのあとに言うのが「よくがんばりましたー!」というひとこと。

この「よくがんばりました」という言葉、大人になるとなかなか聞けないと思います。仕事をがんばっても、勉強をがんばっても、その先にあるのは数字や結果。「自分は一生懸命がんばっている」と心の中で思っていても、他人から「よくがんばりました」という言葉をかけてもらうことは、少なくとも私はほとんどありませんでした。

「褒める」「ねぎらう」ということがないと、「がんばった」という事実はどこにも受け止められないまま流れていきます。これが続くと「がんばればがんばるほど消耗する」ことになり、モチベーションは下がる一方です。まさに以前の私です。

がんばったこと、負けずにやり遂げたことは、いったん終止符を打って認める。そして区切りをつけたうえで次に進む。そのために「よくがんばった」と言葉にすることは大きな意味があると思います。

見てくれている!という実感ががんばる気持ちに火をつける

先日、どうしてもわからないところがあったので、クラスが終わったあとインストラクターに質問をしました。過去に2回、質問しようか迷ったまま勇気が出せず、三度目の正直でした。

インストラクターは丁寧に質問に答えてくれて、アドバイスをくれました。その後、シャワーを浴びて帰ろうとしたときにエントランスでその人と遭遇。挨拶をすると「ゆっくりやっていきましょう。前よりフォームも整ってきているし、これからですよ」と声をかけてくれました。

何度かクラスに参加はしているものの、スタジオは暗いしそれなりの人数もいるので、まさか覚えてくれているとは思わずちょっとびっくり。もちろん社交辞令の可能性もありますが、純粋にうれしく思いました。

そういえば以前、職場の後輩が私のことを「ちゃんと(自分のことを)見てくれているから、がんばれる」と言ってくれたことがありました。今の私も同じような気持ちなのかもしれません。

「何も言わないけれど、きっと見てくれている」それは人に安心感を与え、もっとがんばろうという気持ちにさせる重要な要素なのだと思います。

「今日も1日、がんばりました」

以前のエントリーにも書きましたが、何もできなかったと思う日であっても、意識していないだけで本当に何もしていないということはありません。多少、手を抜いたり休むことがあっても、どこかで必ずがんばっています。

そんな自分に「今日も1日、よくがんばりました」と声をかけてあげるようにしようと思います。

明日は金曜日。明日も1日がんばろう。

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