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番外編:想定外はいつも隣…③

私が楽しみにしていた「推し」のクリスマスライブを楽しんだ翌朝、
母は意識レベルが低下し、リハビリのために入院していた病院から
日赤へ救急搬送されることになりました。

リハビリ病院から電話があったとき、
今までドラマの中でしか聞いたことがなかった「意識レベルが低下」
という言葉が、急に身近なことになり、心臓がバクバクしていました。

まずは、落ち着こうと深呼吸をして、
自分がやるべきことは何かを考え、兄に電話をしました。
埼玉県に住んでいる兄は、
「わかった。また連絡してくれ」と言いました。

その後、日赤に向かい救急外来へ。
意外にも、私の方が早く着き、
30分ほど救急車を待つという状況でした。

つい1ヶ月程前、同じこの救急外来で、
母は思いがけず脳梗塞と診断され、入院しました。
あの時は、元気だった。
長い診察に腹をたて、「お腹が空いた」と言っていた母が、
たった1ヶ月で、どうなっちゃったの?
何が起こったの?

私はひとり、待合室で、いろいろなことを考えていました。
そこへ、リハビリ病院の看護師さんがみえました。
救急車に同乗されてきたのでしょうか?
彼女は、昨夜から今朝にかけての母の様子を話してくれました。
昨夜、母は夕食を全て食べ、眠りについたが、
今朝、まったく目を覚ます様子がなく、枕元に嘔吐の痕跡があり、
救急搬送に至ったと話してくれました。

彼女は、とても丁寧に、そして穏やかに話してくれました。
こういった時の、看護師さんの対応ってすごく大切だと思いました。
状況がわからない家族にとって、とてもありがたいと思いました。

やがて名前を呼ばれ、救急外来の診察室の中へ。
今日も朝から、多くの方がストレッチャーに横たわっていました。
カーテンで仕切られた中で、それぞれの家族が、
突然の出来事に、驚き、戸惑っていることでしょう。

診察にあたってくれた先生から説明がありました。
その日もまずはCT撮影からでMRIは順番待ちでした。
肺が少し白くなっていることと、尿の色が濃いことから考えて
なんらかの感染症であると思われるとのことでした。
ただ、あらたに脳梗塞を発症していることもあるので、
MRI撮影も行うと…。

救急外来は、あくまで「外来」です。
なので、患者と一緒にいることが出来ます。
担当医の説明の後、私は、眠った状態の母のそばにいました。

母は、目を閉じ、時折、いびきをかいていました。
補聴器は、はめていない状態だったので、耳元で呼んでみました。
「お母さん、お母さん」
ほんの少し、眉が動いた気がしましたが、
目を開けることはありませんでした。

手を握ってみました。
指先が冷えていたので、両手で握り、マッサージをしました。
刺激を与えている方が、きっといいだろうという素人の考えです。
強く握ったり、緩めたりし続けていたら、
母の方も、それに応えるように、握ったり、緩めたりしてきました。
「聞こえる?聞こえていたら、手をギュッと握ってみて!」
すると、母は、握り返してきました。

「聞こえているんだ…。母は、わかっている…。」
掌だけではなく、腕をさすったり、足をマッサージしたり、
耳元で話しかけたり…。
何時間も、母のそばで過ごしました。

やがてMRI撮影が行われた結果、
あらたな脳梗塞は見つかりませんでした。
先生によると、はっきりはわからないが、
胆嚢が少し腫れているようなきがするとも言われました。
先生は、少し、母のお腹を押さえました。
しかし、その時点では、母に特に変化は見られませんでした。

治療の方針としては、抗生剤を投与して、
様子を見ましょうとのことでした。
先生もさほど深刻な様子はなく、
1週間ほど入院治療を行い、
その後また、リハビリを行うようにしましょうと言われました。

やがて入院の準備が出来たとのことで、
母はまた、救急センターのほうへ移されました。
今度は、個室でも面会はできません。
ナースステーションのところまで一緒に行き、母と別れました。

自宅に戻った私は、まず、兄に電話をしました。
兄もホッとした感じでした。

その後、ひとり夕食をとりながら、
これが1日前の出来事だったらどうなっていただろう?
と、思いました。
冒頭にも書きましたが、
前日、私は以前から楽しみにしていた「推し」のライブに行っていました。
24時間前に、今回のことが起こっていたら、
当然、私は、ライブに行くことはなかったでしょう。
母は、わかっていたのかな?
私に行かせてくれたのかな?
そんなふうに考えたりもしました。

翌朝、午前9時過ぎに病院から電話がありました。
消化器内科の先生でした。
母の担当になったとのことで、母の病状について話してくれました。
昨夜から抗生剤の投与を始めたが、炎症を表す数値が上がってきており、
胆嚢を抑えると痛みがあるようなので、
直接、胆嚢に針を刺して膿をだそうと思うが、同意していただけますか?
膿を出すことで、抗生剤の効きがよくなる可能性があるとのことでした。
しかし、母の今までの既往症や年齢から合併症を起こすリスクはあるので、
そのことを承知してもらいたいとのこと…。

えっ?えっ?えっ?
それって命の危険があるということ?

まあ、96歳の母の年齢を考えれば、
医師として、それはどうしても言っておかなければならないことでしょう。
そのぐらいは、私にもわかります。
が、突然、そんな風に言われると、面食らいます。
それでも、それが最善の方法なら、そうせざるを得ず、
「よろしくお願いします」とだけ伝えました。
「わかりました。処置が終わりましたら連絡します」
と、医師は告げ、電話は切れました。

その日、私は、リハビリ病院へ荷物を取りに行くことになっていました。
一応、日赤に戻ったことで「退院」扱いとなるので、
支払いもしなくてはなりませんでした。
荷物を受け取り、支払いを済ませた帰路、
朝方の先生から電話がありました。
処置は無事に終わり、膿を出すことが出来ましたと…。
ホッとした思いで、日赤に向かいました。

救急センターへ付いた私は、ナースステーションに寄り、
母の入院に必要なものを看護師さんに預けました。
母の様子をたずねると、担当の看護師さんが出てきて
「今朝、膿を出す処置を行い、少し、気分もよくなられていると思います」と話してくれました。

良かった…。
これでまた、母は元気になると思い、気持ちが軽くなりました。
夕方、さらに脳梗塞の時に担当してくださった先生からも電話があり、
「良かったですね。順調にいけば、年明けにはまたリハビリできますね」と
言っていただき、気にかけていて下さったことが嬉しかったです。

その晩は、久々によく眠れました。
やはり、人は気になっていることがあると、
なかなか熟睡できないものだと実感しました。

翌朝、12月28日水曜日、午前10時過ぎ、電話がありました。
消化器内科の担当医師からでした。
昨日、母の処置をして下さった先生です。
母の状態を知らせてくださったのですが…
痛みはなくなったようだが、まだ思ったほど抗生剤の効果がみられず、
本人もずっとウトウトした状態であり、予断は許さない状況です。

予断を許さぬ状況…?

予断を許さぬ状況…?

予断を許さぬ状況…?

えっ⁉
先生、何を言っているの…?


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