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番外編:想定外はいつも隣…⑩

6月16日金曜日、私は予定通り肩の手術をうけました。
当日はもちろん、続けて土曜、日曜と病院へ行くことができなかったため、
月曜日は、3日ぶりの面会でした。
手術をうけた左肩に負担をかけないため、片腕は固定されていたので、
車を運転することが出来ず、術後2週間は、徒歩か一部バスを使って面会に行きました。

もうすでに真夏かと思うほどの暑さのなか、汗だくで面会へ行くと、
母は、心配なのか「無理しなくて良いから」と言いながら嬉しいそうでした。
そんな母の様子をみていると、行かないわけにはゆかず…。

不自由な病院通いを2週間続けた後、痛みはまだまだ残っていましたが、
車の運転が出来るようになったので、静かで穏やかな日々が過ぎてゆきました。
今後の転院についても、一度ソーシャルワーカーの方に相談したところ、
先生から退院ということは聞いてないので、入院のままで構わないとのことでした。
こちらの病院では、長期の入院の方も多いようで助かりました。
やはり、大事なことなので、ゆっくり時間をかけて考えたいと思っています。

母の様子は、特に変わったことはなく、調子が良いときもあれば、とても眠そうな時もあったり…。
時々、発熱していて氷枕(アイスノン)を当てられている時もあり、
看護師さんに様態を聞くと、「解熱剤を使わないほどの微熱です」とのことでした。

そう言えば、いつのことだったか、私は母に質問しました。
延命治療として、中心静脈の処置をしてもらったのですが、
その選択をした時点で、担当医から「お母さんは、痛くて辛いかもしれない」と言われました。
それを確かめてみたかったのです。
母の答えは、とても簡単なものでした。
「別に…。痛くもなかったし、苦しくもないし、辛くもなかった。」
そうなんだ…。
良かったと思いつつ、あの先生に今の母の言葉を伝えたいと思っていました。

8月に入ると、お盆の連休がまたまた5日ほど入るので、面会予約が可能になると、すぐに予約を取りました。
なんとか14日に予約を取ることができ、やれやれの思いでした。

そんなお盆の連休も、無事に過ぎ、面会に通い出して1週間が過ぎたころ、再び、思いがけない事態が発生しました。
8月22日の朝、病院から電話がありました。
「お母様と同室(母はふたり部屋にいます)の方が、コロナに感染しました。今のところ、お母様は発熱もないし、症状もありません。申し訳ありませんが、今日から当分の間、病院は面会禁止となります。」と…。
えっ ⁈ 
同室の方が、コロナ?
えっ ⁈
大丈夫?
さほど広くはない部屋で、カーテンで仕切る形でベッドを並べています。
大丈夫なのだろうか?
不安に感じながら、兄に連絡したところ、兄から一言…。
「あなたは大丈夫なの?」
あっ…そうだ!私も例え短時間ではあっても、同じ部屋にいたんだ…。
そう思って、以前、母がコロナに感染した際に購入した抗原検査キットで調べたところ、幸い私は、陰性でした。

平日は必ず、面会へ行くという日常が突然崩れ、ボンヤリとした日々が続きました。
ボンヤリしているからこそなのかもしれませんが、しなくても良い心配事が浮かんできてしまいました。
万が一、母も感染していたら、病院から連絡があるだろうと思っていたので、私の心配は別のことでした。
面会出来ない状態がどのぐらい続くのかわからず、次に会ったとき、母が私を認識出来ない状態になっていたらどうしよう…、そんなことを心配していました。

21日の面会時に最後、「じゃあまた明日ね!」と言って別れたのに、
会いに行けていない…。
母は、どう感じているだろう?
寂しがっていないだろうか?
取りあえず、病棟の看護師さんに電話をかけ、母にくどいほど説明をして置いてくださいとお願いするしかありませんでした。
看護師さんは、「わかりました。毎日、お声がけしておきますね」と、優しく言ってくださいました。

面会禁止になってから1週間が過ぎても、病院からの連絡はありませんでした。
31日、再び、母の様子が心配で、病院へ電話をかけました。
母は、発熱もなく、体調は良いようでしたが、やはり少し反応が鈍くなっているとのことでした。
あぁ、やっぱり…。
面会禁止がいつ解除されるのかをたずねてみましたが、少なくとも今週いっぱい(その日は木曜日でした)は、続き、来週月曜の会議で決まるとのことでした。

翌日である9月1日、私は墓参りに行きました。
早く、面会禁止が解除されることをお願いしてきました。
墓参りは、本来、「感謝」をするものであり、「お願い」をするものではないと聞いたことがありますが、やはり「お願い」してしまいました。

長い週末でした…。

週が明け、9月4日の月曜日、お昼前に私のスマホに着信がありました。
病院からでした。
「明日からまた面会ができるようになります。」と告げられ、
ホッとすると同時に、母に会うのが、なんだか怖いような気がしました。

翌5日、2週間ぶりの面会です。
思えば、日赤に入院していた頃は、もっともっと長い期間、面会出来なかったけれど、母は大丈夫でした。何も忘れてはいませんでした。
それどころか、骨折で入院後、せん妄状態だったことが嘘のように
おかしな事は、何も言わなくなっていました。
これは、本当に不思議です。
毎日、あんなに突拍子もないことを言い出し、激しく口げんかしていたことが嘘のように、何もおかしなところがなくなっていたのです。

病室には、母ひとりでした。
コロナに感染された同室の方は、どうされたのだろう?
そんなことをチラリと思いながら、母をみると眠っていました。
「お母さん!」と、2度ほど声をかけると、母は目を覚まし、
じっと私を見ていました。
「ようやく来れたよ」と、耳元で伝えると、母は蚊の鳴くようなか細い声で、「どうしてたの?」と言いました。

良かった…。
母は、ちゃんとしている…。
ちゃんと私をわかってくれている…。

私は、おそらく看護師さんが説明したであろういきさつを話しました。
母は、じっと聞いていました。
そして「もう大丈夫なの?」と言ったので、
「うん、でもまたこんなことはあるかもね。だから、私が会いに来なくなったら、きっと病院が面会禁止になったんだって思ってね」と伝えました。
「もう、会えないのかと思った?」とちょっと意地悪して聞いてみると、
母は、小さく頷きました…。
なんだか急に、自分が凄く酷いことを言ったような気がして、
「そんなことあるわけないでしょ!絶対ないから!」とムキになっている私がいました。


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