【ショートショート】閉館美術館
深夜の美術館が舞台となる二つのお気に入り作品がある。ひとつは、子どもの時に読んだ本で『クローディアの秘密』、もうひとつはオードリー・ヘップバーン主演の映画『おしゃれ泥棒』。警備員の目をかいくぐり、クローディアは家出の夜を過ごすため、オードリー扮するニコルは父親の贋作を取り戻すために、閉館後の夜の美術館に滞在する。スリリングでロマンティックな話。
私は〈同じこと〉がやってみたくなって、恋人のT男と計画を練った。舞台に選んだのは、K美術館。何かを盗もうなんて卑劣なことは考えていない。世界の名作絵画を一晩、自分たちだけのものにして過ごす。なんて優雅で上品な犯罪!と心躍った。
閉館時刻の19時にトイレの個室に隠れた。これは〈優雅で上品〉とは言いがたいが、まあ仕方ない。便座の上に体育座りした。どうせ個室を一つ一つ開けて点検などしないはず。ドアの下に足が見えないかどうか確認するだけでしょう?クローディアもそう言ってたし。予想通りに点検はあっという間に終わった。職員たちがすっかりいなくなるまで息を潜めた。
19時半になって、私たちはトイレから出た。夜間の警備員の巡回は22時、1時、4時と決まっていることは調べ済み。この前後にはまたトイレに隠れるという計画。廊下は真っ暗。壁伝いに物音を立てないように歩いてようやく第一展示室に着いた。
ルーベンスの絵画『眠る二人の子ども』が展示されている。あどけない寝顔の子どもたちは、画家の姪と甥のクララとフィリップ。
そして『聖母被昇天』。聖母マリアが死んだときに魂と肉体が天国へ上げられてる場面だ。私たちは、まずはこの2枚の前に座り、エレガントな夜にシャンパンで乾杯した。
その時だった。子どものかん高い泣き声が、静かな美術館に響き渡った。「マミー!」最初は一人だったのが、すぐ別の声が重なった。怖くなった私はT男にしがみついた。T男が言った。「あの絵だ!子どもたちが目覚めたんだ」
恐る恐る『眠る二人の子ども』を見上げると、絵の中の子どもたちが、顔を真っ赤にして、手足をバタバタさせながら泣いているではないか。呆気に取られていると、展示室の暗い角から女性がパタパタとかけて来た。「ハーイ、スウィーティーズ」と言って、優しく子どもたちを両手に抱き上げた。「クララ、フィリップ、怖い夢でも見たの?さあ、ねんねしましょうね」しばらくして子どもたちが再び眠りにつくと、女性は展示室の角に消えていった。その時、私をチラリと見た気がしたが、何もなかったように去った。
恐怖で凍りついてしまった私は、床に座ったまま立ち上がることもできずにいた。T男に「もう帰りましょう」と言ったが、「いや、面白いじゃないか。もう少しいよう」とグラスにシャンパンを注ぎ足した。
まもなくして、遠くからラッパの音が聞こえてきた。最初は微かな音だったが、次第に近づいてくるのがわかった。音の出どころは『聖母被昇天』のように思えたが、そのうち部屋の天井からも降りそそいできて、部屋中にこだました。気がつくと私たちのまわりには人垣ができていた。その中の幾人かが「マリアさま」と叫ぶ。啜り泣く者もいる。天使たちがマリアを宙で支えている。まもなく展示室の天井から別の天使たちが降りてきて、私を持ち上げようとした。
「私はマリアじゃないわ!降ろして!」必死の叫びもむなしく、私は宙に浮いた。
「助けて、T男!助けてー!」
T男は、床に座ったまま笑って手を振っている。さっきの『眠る二人の子どもたち』の女性も出てきて、T男と一緒に笑っている。
「助けてよー!!」
そこで目が覚めた。え、夢だったの?私は美術館のトイレに座っていた。スタッフが「閉館時間です」と告げた。
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