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考える練習

 フィギュアスケートの羽生選手はよく話す。競技後のインタビューを見ていると、驚くほど自分を語ることばをもっているなあと感心する。言語化することで考えが整理されていくので意識的にそうしているのだという。何かの記事で読んだ。一流はどこまでも一流だ。

 私は子どもの時から人前でうまく話せたことがないので、理路整然と落ち着いて話す人にとても憧れる。喧嘩をしても言い負かされてばかりの子どもだった。今でも、書けばまだマシだが、咄嗟に何か話そうとすると、頭の中でことばの嵐が無秩序に吹きまくり、順番に並べて伝えるのに人の何倍も時間がかかる。手品師の万国旗みたいに、言いたいことがするするっと口から出てきたら、どんなに気持ちがいいだろう。

 ことばが出てこないのは、考える訓練が足りていないからだ、とか、ふだんから思考していないせいだ、とよく言われる。図星だ。映画を見たり本を読んだりしても、ああ面白かった、なんかほっこりした、ぞっとする話だった、でおしまい。印象を絵や湿度や匂いや音で記憶することはあっても、「ことばを使って」思いを巡らせることは少ない。一日仕事をした後で真剣に考えることといえば「お夕飯何にしようかしら」くらいだが、これは考えるうちに入らない。選択肢からああでもない、こうでもないと選んでいるだけだ。

 そうだ、来年はことばで考える練習をしよう。そうすれば話す時のもたもたも少しは改善されるかもしれない。いきなり「再生可能エネルギーの利用推進の是非」について考えるのも辛過ぎるから、もっと簡単なことから始めてみようと思う。こんなのは楽しいだろう。「今夜コンサートに行くとしたら、古典派それとも印象派?」とか「老後にどこでも好きな場所に住んでいいと言われたらLAにする?それともNY?」とか。ちょっと発展編として「平屋のメリットとデメリットは?」なども移動の電車の中で考えるのに苦にならないかもしれない。正しさなんてなくていい、細部を想像して主張するまでだ。気楽にいこう。

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