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【ショートショート】当駅0分 クリニック

 とある駅。乗っていた電車が5分も急行列車の通過待ちをするという。下車駅まであと一駅なのになあと思いながら、ぼーっと外を眺めていると、こんな看板広告が目に留まった。

  なりたい自分を手に!
  子どもから大人まで

  予約不要
  当駅0分
  みらいクリニック

 俺は「なりたい自分」っていう言葉、嫌いなんだよな。「なりたい自分になる」とか「なりたい自分を探そう」とか言うけど、そういうこと言ってる奴らに限ってすんげーめんどくせーんだ。体育会系の俺に言わせりゃ、御託並べてねーで、さっさと身体動かせって感じでさ。

 まあいいや。で、これ病院なの?何科の?
書いてねーし。どうせ美容整形とか、そっち系だろ?あ、でも「子どもから」って書いてあるから違うか?子どもは美容整形しねーしな。

 好奇心から、俺は次の瞬間にはホームの階段を降りて改札に向かっていた。この駅から徒歩0分ならちょっと覗いて確かめてみるか、と思ったんだ。

 駅前に立ってぐるりと辺りのビルを見渡す。〈みらいクリニック〉は見当たらない。徒歩0分なんだろ?少し歩いてみたが、それらしいクリニックは無い。なんだよー、ねーし。諦めて駅へ戻ろうとした時、呼び止められた。

 「お待たせしてすみません。クリニックへお越しですね。こちらへどうぞ」

 声の主はそう言った。白衣を着た女性だった。なんで俺がクリニックを捜してたことが分かったんだ?彼女が駅の改札の方へ行こうとするので、「あのー」と声をかけると「徒歩0分ですから」と言ってスタスタ行ってしまった。訳もわからずついて行くと、改札手前、銀行のATMがあったはずの一角に〈みらいクリニック〉のサインが見えた。

 案内してくれた女性がそこの医師だった。「こちらへお掛け下さい」と促した。
 
 「それで、なりたい自分はどんな人ですか」いきなり質問が飛んできた。
 「あのー、俺はただ興味本位で覗いてみようと思っただけで… 」
 「そうですか。では現在まだ、なりたい自分像が無い、ということですね」
 「あ、まあ… いや、でも俺なりに目標っつうか、そういうのはあります」
 「具体的な目標なんですね」
 「はい。今期の売り上げノルマ達成だとか、夏までにシックスパックの腹筋にしたい、だとか。そういうのなら…」
 「それはいいわ。うちにみえる患者さんは大抵、漠然とした希望しか持ちあわせていらっしゃいません。それどころか『なりたい自分がわからない』とか『自分探し中です』というようなことをおっしゃいます。その点、あなたは素晴らしいわ」
 「あ、まあ…」
 「では、売り上げ目標が達成できたり、夏までに腹筋が作れたとして、その次にあなたが人生に望むのはどんなことでしょう?」
 「はあ、そうだなあ、シンプルで身軽な人生がいいなあ…」
 「わかりました。今あなたに必要なキーはこれです」
 そういって医師が差し出したのは鍵だった。
 「それをご自宅の玄関の鍵穴に差し込んでみて下さい。新しい人生の扉が開きますよ」

 俺は狐につままれたような気分で帰宅した。まさかとは思ったけど、試しに貰った鍵を差し込んでみた。ピッタリ入った。回すといつものように鍵が開いた。

 ドアを開いた瞬間、俺の目に映ったのは、すっからかんの空っぽの部屋だった。

 あのヤブ医者め!

 苦情を言うために〈みらいクリニック〉へ戻ったが、そこは見慣れた銀行のATMだった。

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