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【ショートショート】恋愛診断

 僕は子どもの頃から鼻がきいた。それはもちろん、単に匂いに敏感だという以上のものだった。

「やっちゃん、昨日お父さんに怒られたでしょう?」と親友のやっちゃんに言った。「えっ、なんで知ってるの?」と驚かれた。すれ違ったときに、やっちゃんから〈昨日お父さんに怒られた臭〉がしたんだ。

 こんなふうに、僕はあらゆる人の匂いからいろんな情報を得ることができた。担任の先生が、超がつく真面目くさった表情の下に、隣のクラスの先生への淡い恋心を隠していたことなんかもわかっちゃった。〈ほのかな恋臭〉がしたからさ。先生たちはその後、結婚したんだ。

 大人になってもこの能力は、衰えるどころか進化した。化粧品メーカーの調香師として働く一方で、こっそり社員の恋愛診断なんかもやっている。僕の診断は手相占いより当たる、とちょっとした評判だ。

 先日、会社のカフェテリアで遅い昼飯をとっていたら、気弱そうな同年代の男性が近づいてきてこう言った。
「あのう、私、営業部の佐藤って言います。あなたが恋愛診断をしてるって聞いたんですが…… 診てもらえますか?」
 彼がそう言い終わるか終わらないかの間に、僕の鼻はいくつかの情報を察知していた。こりゃまずいぞ、と思った。というのも彼は〈ヘタれメンタル臭〉を放っていたからだ。
「お相手はこの会社の人でしょ。総務部の中田真希さん」と僕が言うと、佐藤くんはびっくりしてあごを落とした。
〈ヘタれメンタル〉とは、僕の造語で、告りもしないうちからすぐに諦めてしまう体質のこと。「どうせ僕なんか」というのが口癖のやつらのことだ。
 佐藤くんは言った。
「どうせ僕なんか、相手にされないってわかってるんですけど」
ほーら出た。
とりあえず、僕は総務部に用事を作って、中田真希さんがどんな人か見てきた、というか、こっそり〈嗅いで〉きた。

「中田さんは今、フリーだよ」と佐藤くんに伝えた。「元カレはラガーマンだったみたい。総務部で彼女を狙ってる男を何人か〈嗅いだ〉。あと、彼女、近々転職しそうだ」
 フリーであることを除いて、佐藤くんには嬉しくない情報ばかりだった。彼はうなだれて、
「やっぱ僕には高嶺の花ですよね」と言った。僕はいつも情報を伝えるだけ伝えたら、それでおしまいにしている。アドバイスは専門外だから。けれど、しゅんとしてしまった佐藤くんが何だか放っておけなくて、
「でも、まあ転職しちゃう前に、気持ち伝えるだけ伝えたら?」と肩をたたいた。

 その後、佐藤くんは勇気を出して中田さんに話しかけたようだ。エレベーターに彼が乗り込んで来た時にわかった。他の社員もいたから話せなかったが〈初めの一歩を踏み出した臭〉をキャッチした。〈ヘタれメンタル〉は返上したみたいだ。一方、中田さんと廊下ですれ違って、彼女が〈新しい恋の芽生え臭〉をまとっていることに気づいた。匂いがまだ微弱で、相手までは判別できなかったけど、佐藤くんであることを祈る。

 こんなふうに年中、他人の恋愛にばっかり首を突っ込んでいる僕だ。自分のことには、この能力を使う機会が巡ってこないのが残念ではある。それはそうと、来週、小学校の同窓会がある。久しぶりに、やっちゃんにも会えるのが楽しみだ。


 「あれー、やっちゃん、綺麗になって〜」
同窓会の会場で、僕はやっちゃんに声をかけた。頬を赤くしたやっちゃんこと小山やよいから〈ずっとあなたが好きよ、早く気づいて臭〉が感じられた気がした。

 


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