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[英詩]ボブ・ディラン『The Lyrics 1961-1973』

※ 旧「英詩が読めるようになるマガジン」(2016年3月1日—2022年11月30日)の記事の避難先マガジンです。リンク先は順次修正してゆきます。

※英詩のマガジンの副配信です。

ノーベル文学賞を受けた、英語で書く詩人としては最新の詩人ボブ・ディランの新訳詩集全2冊が出ました。今回はそのうち、『The Lyrics 1961-1973』(いわゆる「赤本」) について、本マガジンの角度から考えてみます。

ボブ・ディラン『The Lyrics 1961-1973』(佐藤 良明 訳、岩波書店、2020年)

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訳者のことば

「ほこり舞う大不況期の田舎道から、イメージの雲に厚く覆われた現代まで、古代信仰にも頼りながら、ひとりテクテクと歩き続けた詩人の言葉を丸囓りできる幸せ。生涯にわたってディランは常に電撃的(エレクトリック)だった。」

本の中には上記のことばは記されていない。帯に書いてある。

訳者がディランとどう向かい合ったかを窺わせる貴重なことばだ。

貴重ではあるが、ボブ・ディランを英詩として読む人には意味不明なところもある。

「古代信仰にも頼りながら」とはどういう意味だろう。具体的には何を指すのか。本書に収められた200篇の詩の中にそれを窺わせるものがあるのだろうか。

聖書にまつわる言及は夥しく出てくる。が、ユダヤ教やキリスト教を「古代信仰」と呼ぶのだろうか。この言い方は、なにかもっと異教的 (pagan) なものを感じさせる。例えば、伝承バラッドに出てくるような。しかし、知る限りでは本書の200篇の中にはっきりそれと分るような箇所はない。

「電撃的(エレクトリック)」とはどういうことだろう。アメリカ文学を読んでいる人なら、すぐにウォルト・ホィットマンの詩 'I Sing the Body Electric' を思い浮かべるだろう (後半の「青本」収録の 'Together through Life' はホィットマンの 'When I Peruse the Conquer'd Fame' からの引用であり、また2020年4月16日に発表された新曲 'I Contain Multitudes' はホィットマンの詩 'Song of Myself' 51 を引いている、さらにディランがギンズバーグと語り合う時にホィットマンのこの行を引く場面が2019年の映画 'The Rolling Thunder Re-vue' に出てくる)。

これらの点が意図的な記述であるとするなら、本書に収められた訳詩は、これまで研究者が気づいてこなかった諸相を浮かび上がらせる洞察を含んでいるのかもしれない。将来の研究に俟ちたい。


底本

翻訳の底本は次の本。

Bob Dylan, 'The Lyrics 1961- 2012' (Simon & Schuster, 2016)

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この底本について、本訳書には次のように書いてある。

本書は二〇一六年にボブ・ディラン自身によってまとめられた 'The Lyrics 1961- 2012' を、原詞付きで翻訳したものです。(中略) なお、詞の内容は、アルバム発表当時のものにディラン本人が手を加え、一部改変されている場合があります

この記述が本当なら、非常に貴重な情報だ。ボブ・ディラン自身がまとめた、つまり何を採るかを決めたこと、それからアルバム版の詞の内容を本人が一部改変している場合があること、の2点が分る。おそらくは岩波書店が出版元の Simon & Schuster 社から直接得た情報だろう。

テクストの改変については、この底本を通読した限りでは発見できなかった。これも将来の研究に俟ちたい。


対訳

翻訳の下部に原詞が載っていて、ページの切れ目と原詞の切れ目がきちんと対応している。翻訳を読んでいて原詞が気になったときにすぐに参照できるのは、ありがたい。

例えば次のように組まれている。

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上下の詩行がぴったり対応していて、見やすい。また、本書の翻訳の絶妙な点の一つがルビで、上の例では「ウディのいる町」に〈イースト・オレンジ〉とルビがふられている。意味と音の両方が浮かび上がる仕組みである。

以下、ボブ・ディランを考える際に参考になるような箇所をいくつか具体的に挙げてみる。本書が扱うアルバムの順に取上げる。本書で翻訳されているアルバムは次の通りだ。

・ボブ・ディラン
・フリーホイーリン・ボブ・ディラン
・時代は変わる
・アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン
・ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム
・追憶のハイウェイ61
・ブロンド・オン・ブロンド
・ジョン・ウェズリー・ハーディング
・ナッシュヴィル・スカイライン
・セルフ・ポートレイト
・新しい夜明け
・地下室(ザ・ベースメント・テープス)
・ビリー・ザ・キッド
・プラネット・ウェイヴズ


心を結んだ人(北国の少女)

アルバム《フリーホイーリン・ボブ・ディラン》(1963) 所収の歌〈北国の少女〉の1連は次のように本書で訳されている。

国境に風吹きつける北国の
田舎の祭り(カントリー・フェア)を回ってるなら
伝えてな、あの娘(こ)によろしく
いちど心を結んだ人さ

Well, if you’re travelin’ in the north country fair
Where the winds hit heavy on the borderline
Remember me to one who lives there
She once was a true love of mine

心を結んだ人」(a true love of mine) は原曲のバラッド ('Scarborough Fair') の文脈をふまえた表現だ。true love は辞書を引くと「真の恋人」の意と出てくるが、バラッドの世界では特別な関係の恋人をさす。お互いに結ばれていることを意識し合う関係である。truelove knot「真心結び」という15世紀頃からあることばもある。この一種の契りが解消されないまま片方が死んでしまうと、死後にも契りの履行を求めて元恋人のところにやってくるバラッドがある ('The Daemon Lover' [Child 243A] など)。

なお、片桐ユズルは「ぼくの恋人」と、中川五郎は「ぼくが心から愛した人」と訳している (片桐ユズル・中山容訳『ボブ・ディラン全詩302篇』[晶文社、1993]、中川五郎訳『ボブ・ディラン全詩集 1962-2001』[ソフトバンク クリエイティブ、2005])。

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