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[書評] 予言/預言詩人ディラン

ディランの〈模倣〉imitatio の詩的技法を探求するなかで、著者ファルコ(Raphael Falco)は、アルバム 'Rough and Rowdy Ways' (2020) および同アルバム所収の 'Murder Most Foul'(ケネディ米大統領暗殺を扱った、ディランが録音した最長の歌)について、こう述べる。〈アメリカの最重要の予言詩人の再出現〉(the reemergence of America's foremost vatic poet)を画するものだと。

〈再出現〉(reemergence)の語を著者は説明していないが、それが米詩人 Walt Whitman (1819-92) の再来を指すことは自明である。あるいは、ホイットマンにそういう役割を見たエマスン(Ralph Waldo Emerson, 1803-82)のことも念頭にあるかもしれない。もっとも、エマスンは vatic(予言者的な)の語ではなく、seer(予言者)の言葉を用いたが。

ディランの場合には、それが予言のみでなく、聖書的な意味での預言に関わることが明瞭である。音楽や文学の数多くの引喩が歌の中にインターテクスチュアルにちりばめられていること以上に、聖書の預言者の役割を自覚した引喩をディラン自身が重視していることがある。

預言者としては、特に、エゼキエルや、ダニエルを聖書学者ギルモー(Michael J. Gilmour)が挙げている。ディラン自身は、自分を預言者エレミアと見なしている歌 'Yonder Comes Sin'(1980年10月1日の録音が発表されている)を書いている。

ディランは、ある意味では、'artist-prophet' (アーティストであり預言者である存在) と捉えることができる。

本書で、著者は興味深い指摘をしている。

ディランは、そういう預言者的衝動を〈隠す〉(cache)かのように種々の誘導をわざと行なっているという(purposeful misdirection)。それが、例えば、'I Contain Multitudes' という歌だと。

I’m just like Anne Frank - like Indiana Jones
And them British bad boys the Rolling Stones

のジョーンズ/ストーンズの言及は、まさに多数からなる(multitudinous)幅を提示することによる誤った指示(misdirection)であると。

ところが、アルバム 'Rough and Rowdy Ways' には「にせ預言者」('False Prophet')という歌が収められている。

I ain’t no false prophet - I just know what I know
I go where only the lonely can go

I’m first among equals - second to none
I’m last of the best - you can bury the rest

預言者的衝動を隠すかと思えば、自分はにせ預言者ではないと宣言するのだ。自分と預言者との関係は、一筋縄ではいかない。

それにつづく言葉に著者は注目する。

'only the lonely' の句が、ある響きを呼びさます。

フランク・シナトラの1958年のアルバム 'Frank Sinatra Sings for Only the Lonely' と、歌 'Only the Lonely'(Sammy Cahn と Jimmy Van Heusen 作)だ。ディランはアルバム 'Shadows in the Night' (2015) ではこの歌を唄わなかったが、'False Prophet' における言及は明白だ。

'first among equals' はラテン語の 'primus inter pares' というローマ皇帝が使ったモットーで、ディランの歌 'Early Roman Kings' を想起させる。が、真の/偽の預言者という文脈でのこの言葉は、不敵な生き残り、すなわち 'last of the best' という不朽の予言的権威を示すようだと、著者は指摘する。

このように、prophet という一事だけをとってみても、ディランの言及の仕方、変形方法は複雑で、これこそが彼の模倣技法の性質を規定すると、著者は主張する。

Raphael Falco, 'No One to Meet' (2022)

#書評 #ボブディラン #預言者 #引喩

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