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[書評]Goodnight Moon

Margaret Wise Brown, 𝐺𝑜𝑜𝑑𝑛𝑖𝑔ℎ𝑡 𝑀𝑜𝑜𝑛 (Harper Collins, 1947)

Margaret Wise Brown, 𝐺𝑜𝑜𝑑𝑛𝑖𝑔ℎ𝑡 𝑀𝑜𝑜𝑛

オッフェンバックの「天国と地獄」を取上げた音楽番組で踊るカンカン娘の映像を観ていて、マーガレト・ワイズ・ブラウンのことをふと思い出した。わたしにもできるわよ、と足をあげた拍子に血栓が動いて亡くなった。42歳の若さだった。

ブラウンはルーシ・スプレーグ・ミチェルの「ヒア・アンド・ナウ」理論に基づいて創作を始めた。プロットよりもリズムを重んじる作風はガートルード・スタインの文体を思わせると評された。

大人はそんなふうに考えるだろうが、子供は本能的にブラウンの文体のリズムが分ったと思う。分らないのは、お話に教訓やためになることなどを重んじた保守派の出版社だけだったろう。

だから、'Goodnight Moon' も図書館の棚に置かれるまでずいぶん時間がかかった。出版されたのは1947年で、2022年は出版75周年にあたる。'Goodnight Moon' がニューヨーク市の図書館の棚にならぶのはなんと1972年だったという。ブラウンの死後20年も経っていた。1940年代、50年代、60年代の子供たちが図書館でこの本を目にしていたらどれほど良かったことか。

'Goodnight Moon' を開くと、まずブラウンの文章が左に、右にクレメント・ハードによる部屋の絵が見える。緑を基調にした部屋だ。

子供はこれが散文的でないことを瞬時にさとるだろう。これを韻文としてみれば、人により韻律分析(スキャンション)のしかたは変わるだろうが、行あたり2つの強勢がある詩行に感じられる。

すると、この詩行は1行おきに行末で押韻していることが分る。room / balloon は厳密に言えば母音韻(アソナンス)だが、脚韻(エンド・ライム)に感じられる。ここで終わりかと思えば、ページをくって次の moon にまで押韻は続いている。

最初のページのリズムは弱弱強(アナピースト)+弱強(アイアンビク)の行がつづく。2行だけは弱弱弱強(フォース・ピーアン)+弱強になっている。1行の green には韻律上は強勢がないが、直前の great と聴感上は
 [gr] の頭韻(アリタレーション)が感じられる。

このように1, 3行のみが押韻すると言うパタンは英詩ではめずらしい。4行連だと、交互韻(1行おきの押韻)はたいていは2, 4行が韻をふむ。1, 3行も押韻することは多いが、1, 3行だけが押韻するパタンは英詩の定型詩ではない。もっとも、これは絵本に書かれた文章で、詩として書かれていないとすれば、何でもありだとも言える。

理屈はともかく、音としておもしろい。この調子で最後までリズムがよく、耳で聴いておもしろい。

もうひとつ、詩の場合との大きな違いがある。音と意味との連関がないことである。詩の場合は、音が響き合っている場合はほとんど必ず意味の上でも何か響き合っている。音に注意を払うことで意味もよく分る。

だが、ブラウンの文はそういう、意味との関連づけがない。純粋に音として表現されている。だから、聴いている感覚はスタインの詩に近い。意味を考えようという気がなくなってくる。むしろ、意味を考えることは、味わう上で邪魔になるとさえ言える。

意味を意識しなくても、音として入ってくれば、それは勝手に内部で意味を奏ではじめる。ことばを使っているからである。この、音が聴き手の内部で像を結びはじめる瞬間のどきどき感、わくわく感こそが本書の生命のひとつであると思う。

ところで、ページをくった先にある moon は、牛が月を飛ぶ場面である。英米の子供はここで間違いなくマザー・グースを思い出す。その言葉遣いが微妙にマザー・グースと変えてあることまで子供は気づくだろう。

その次は3匹のクマが椅子に座っている場面。

この2つの場面は、部屋にかかっている絵の話だ。最初のほうで、絵は1枚であると言っていたのに、何と絵が2枚出てくる。おもしろい。一種のブラウンのマジックだ。あるいはノンセンスと言えばいいか。

次は部屋の描写にもどって、2匹の猫と2組のミトン。これは kittens / mittens のカプレット(二行連句)になっていて、もうこのあたりになってくると、たまらない。次に何がくるのかと待受ける体勢にはいっている。

この調子で絵本は最後まで続いていき、途中で Goodnight moon と、タイトルと同じ文句が出てくるから、もう終わりかと思えば、さらに延々とおやすみがつづき、最後は身近なノイズにまでおやすみを言って、現実界に引戻してくれる。急にまわりの音が聞こえてくる。見事という他ない。

たしかに見事な絵本なのだが、いちばん驚いたのは、何も絵がない白紙のページに Goodnight nobody とあったことだ。これには、読んだあとも考えさせられた。今でも考えている。

Margaret Wise Brown (Photograph by Consuelo Kanaga)

#書評 #ブラウン #絵本

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