見出し画像

[書評] ミューズに願立てする

近く来日するディランが唄うと思われる歌に、'Mother of Muses' がある。アルバム 'Rough and Rowdy Ways' (2020) の中でも、もっとも優しい、穏やかな歌である。伴奏の音楽も控えめだ。

〈ミューズの母〉とはだれのことだろう。歌の中では、カリオペーの名前が出てくる。

カリオペーはギリシア神話でムーサたちの一人で、叙事詩をつかさどる女神だ。確かに、歌の中にはパットンやシャーマンといった、歴史上の戦の強者の名前も出てくる。

しかし、そのミューズに〈歌いたまえ〉と何度も呼びかける調子は、勇猛な調子とはほど遠い。

この点について、ヴァレーシ(Anthony Varesi)のディランの全アルバムの解説書は、興味深い指摘をしている。

著者は、アルバム 'Rough and Rowdy Ways' の多くの曲に米詩人 Walt Whitman (1819-92) への言及があるといい、この歌については、ホイットマンの詩 'The Mystic Trumpeter' を挙げているのだ。知る限りでは、この指摘をおこなっているのは本書だけである。

その詩の第8部に次のような詩行がある。

Sing to my soul, renew its languishing faith and hope,
Rouse up my slow belief, give me some vision of the future,

この調子は、歌 'Mother of Muses' と深いところでつながっているような印象を受ける。

同歌には次のような詩行がある。

Mother of Muses sing for my heart
. . .
She’s speaking to me, speaking with her eyes
I’ve grown so tired of chasing lies
Mother of Muses wherever you are
I’ve already outlived my life by far
. . .
Things I can’t see - they’re blocking my path
. . .
I’m travelin’ light and I’m slow coming home

この歌では、そこかしこに、人生の歩みに倦み疲れ、前が見えず、帰還が思うようにはかどらないようすが窺える。

そのような自分に、遅々たる信の心を奮い立たせたまえ、前方を希望を持って見る力を与えたまえと祈り求めるホイットマンの詩行は、霊的なレベルで、この歌に通ずるところがあるように思われる。

Anthony Varesi, 'The Bob Dylan Albums', 2nd ed. (2022)

#書評 #ボブディラン #ムーサ #ミューズ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?