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うーん、ちょっとちゃう(長谷川義史論)

ジョン・クラッセンの2つの絵本『どこ いったん』(クレヨンハウス、2011)と『ちがうねん』(クレヨンハウス、2012)は大阪は藤井寺出身の絵本作家・長谷川義史が大阪弁で翻訳している。それについての(ふ)まじめな考察。

『どこ いったん』

これはネッシーかと思わせる頭頂部のフォルムとまあるいお腹のギャップがはなはだしく愉快な絵本。そのまるいお腹は本の半ばに至るまで出現しないので気づかれにくい。

ミステリとしては「犯人探し」(whodunit)タイプだ。定石として犯人は読者の前に現れているのだけれど、見事に最後まで気づかせない。

『ちがうねん』

これはすっとぼけた魚が犯人と初めから分かっている。ミステリでいうなら「倒叙」(inverted)タイプだ。

分かっているにもかかわらず、最後までハラハラさせられる。これも見事だ。

一つだけ気に入らない点がある。タイトルだ。藤井寺の人は本当に「ちがうねん」なんて言うのか?

絶対に「ちゃうねん」と言っていると思う。断言してもいい。「ちがうねん」という形には、場合によっては言語学でいう非文(nonsentence)のしるし「*」を付けなければならないのではないか。元はそういう形だったと推定できるとしても、現実にそう言う人が本当にいるのか。

あるとしたら、大阪弁の台本を脚本作家かなんかが書いて、それを律儀にNHKラジオドラマで演じるときくらいだろう。別にまちがいではない。

この本で「ちがうねん」は最初のページに出てくる。

このぼうし ぼくのと ちがうねん。
とってきてん。

原文は

This hat is not mine.
I just stole it.

Jon Klassen, 'This Is Not My Hat' (Walter Books, 2012)

この英語にはとくに「ちがうねん」的なニュアンス(どんなニュアンス?)は感じられない。というか、完全に標準的な英語だ。

この「問題」を考えるには、「ねん」を取った形を思い浮かべてみるといい。「このぼうし ぼくのと ちがう」と言ったらどうなるか。どこにも大阪弁らしさはない。むしろ、ほとんどの人は標準語と考えるのではないか。(姑息にも)「ねん」をつけることで(擬似)大阪弁らしくしているだけではないのか。「ねん」を付けなくても「ちゃう」と言うだけで大阪弁になるのだが。おそらく、「とってきてん」と語呂をそろえたのだろう。

などという私の以上の議論は冗談です。真に受けないように。この2冊は純粋にすばらしい絵本で、おすすめです。大阪の子育て中のひとはぜひお子さんに読んであげましょう。長谷川さんの翻訳は絵とマッチしていてユーモラスで、お子さんはきゃっきゃっ言って喜ぶことでしょう。

(実は)
ひとつだけ疑問がある。『ちがうねん』の最後はどうなったんだろう。あのすっとぼけた小魚の運命は?

似た疑問は『どこ いったん』のラストにもあるのだけど、そちらは裏の見返しのところにヒントがあり、助かる。

(長谷川さんのスケッチ)
長谷川さんは「ちちんぷいぷい」(MBSテレビ)で時々やる紀行企画「とびだせ!えほん」に出演し、各地の風景を描いている。そのスケッチのひょうひょうとした味わいは一度みたら忘れられない。

#コラム #絵本 #大阪弁 #ジョンクラッセン #長谷川義史


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