太宰治「待つ」

青空文庫からも読めます

語り手である「私」は「人間をきらい」で「こわい」と言う。しかし、実のところは他人に対して当たり障りのない挨拶をしたり、それとない感想を言い、「嘘」を吐いている感覚が苦手なのだ。「待つ」の初出は、収録されている短編小説集『女性』の発売がされた1942年である。1942年といえば、太平洋戦争の真っただ中であり、男性は徴兵され、女性は工場などで働かされていた。しかし、「私」は対象となる二十歳でありながら、何らかの事情でそれに駆り出されていない。この「私」の姿は、持病によって徴兵されなかった太宰の姿にも見える。プロレタリア文学を愛した作家たちが逮捕された過去から、自身について赤裸々に語るはずの太宰が、戦争や社会について思い思いに書けない状況を「自分ほどの嘘つきが世界中にいないような苦しい気持」と表現しているのではないだろうか。

「私」は何かを駅で待っている。一見、戦争へと向かっている特定の男性を待っているようにも思えるが、その説は「旦那さま。ちがう。恋人。ちがいます。」という箇所によって否定される。ここで、筆者は「私」が待っているものは特定の男性ではなく、単に戦争に向かっている男性、つまりは「終戦」ではないかと考えた。先述したように「私」は何らかの事情により国に役立つ働きが出来ず、無力感に苛まれている。終戦によって「本来国のために働く義務があるにもかかわらず、自分は役立つことが出来ない」という状況から解放されることを待っているのではないだろうか。そして、それさえ果たされれば戦争の勝ち負けなど、どうでも良いと考えているのではないだろうか。「私」は自らについて「みだら」「不埒」「軽はずみ」と語っているが、それは「戦争の勝ち負けに拘わらず、とにかく早く戦争が終わってくれ」という「私」の願いが、この時代の日本にとって「みだら」であり「不埒」であり、「軽はずみ」であると評価されることを太宰が敢えて書いたように思えてならない。太宰はこのことに違和感を感じながらもそのまま書くことが出来ず、駅にて誰かを待つ女性の姿を描くことによって社会に表現しているのではないだろうか。

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