709
「709。」
私はそう呟いた。それは大学の講義を受けている最中のことであったし、我々は義務としてマスクを付けなければならないので、それはきっと誰にも聞こえなかったはずだ。もしくは、音になっていなかったのかもしれない。ただ、唇は「ななひゃくきゅう」と動いた。709。何の数字か見当もつかない。全く覚えのない数字であったが、脳内にはっきりとしたゴシック体で709と浮かんだ。709。まるで部屋番号のような数字。7階の9号室。しかし、私は215号室に両親と住んでいるし、同じマンションの7階には知り合いがいない。郵便局で働いていた祖母に先立たれた元大工の祖父は、同じく大工であった曽祖父と共に建てたという戸建てに住んでいるし、大企業の社長であった祖父に先立たれた祖母はタワーマンションの25階に住んでいる。709。709。
709は素数であった。それは脳内に蔓延る709の正体を突き止めるべくインターネットで検索した際に知ったことだ。素数。素敵な、数。自我を持った、数。
その講義では、私は村上春樹を読んでいた。サボっていたのではない。義務だったのだ。趣味であった読書は、大学で国文学を学ぶことを決断した瞬間に義務と化した。私は非常に義務的に村上春樹を読んでいた。小学生の時にも同じ本を読んだ。あれは間違いなく娯楽であった。母も父も読書家であったため、家には本がたくさんあった。家にはDSもあって、Wiiもあって、PSPもあった。買ってほしいといえば何だって買ってもらえたのかもしれない。ただ、私にとっての娯楽は壁一面の本だった。どのゲームの主人公も私に似ていないけれど、小説にはたくさん私がいた。私がしていない生き方をしている私。私と違う性別の私。どのマンションにも、どの公園にも、どの教室にもそういう存在はいなかった。私であり、私でない、私。私の”if”。それを探すための冒険としての、読書。娯楽、趣味。自発的読書。フーアーユー?裏庭に住む私。バブル期に踊る私。ダンス・ダンス・ダンス。踊れ、おどれ、オドレ。義務ダンス。義務読書。義務結婚。義務出産。義務人生。義務、私。
『ダンス・ダンス・ダンス』では、古臭いいるかホテルに呼ばれた「僕」が高度資本主義の象徴のようなドルフィン・ホテルの1523号室に宿泊する。1523。素数だ。彼は素数であった。709、1523。私が住むのは215号室。215は素数ではない。215は私ですか?フーアーユー?アーユーミ―?709と1523と215は互いに素である。互いに素。それは何かに似ている。互いに素である、私と、友人と、ゲームの主人公と、家族。
父はよく人を殴る子供であったらしい。そして今は、よく人を殴る大人だ。
母はいじめられる子供であったらしい。そして今は、夫に殴られる大人だ。
私は人との関わりを嫌った子供であったらしい。そして今は、壁を殴り、父に殴られ、人との関わりを嫌う大人だ。
私は間違いなくこの両親の子だ。顔は似ていないけれど、公約数を持っている。本当に?私は自分の部屋の壁を殴るけれど、あなたの頬は殴らない。私は父に殴られるけど、結婚を決意するほど愛した相手に殴られたことはない。私は間違いなくこの両親の子だ。だって、何だか似ている。しかし、公約数を持っていない。2と3は何だか似ているけれど、互いに素である。父と私は、母と私は何だか似ているけれど、互いに素である。理解し合えない。それぞれ素数である5と43が掛け合わさって215になって、そこに私が産まれた。215は私ではない。父と母だ。私は215ではない。私はきっと、709だ。709。5よりは43に似ている気がする。父よりは母に似ている気がする。そんな、私。709は、私だ。
母は、私が215号室を出る機会に父と離婚すると宣言した。私は18歳だった。高校三年生だった。私は父が嫌いだ。大好きな母を殴る父が大嫌いだ。早くあんな奴と離婚してしまえ。けれど私は家から一番近い大学を選んだ。215は父と母の掛け算であって、私はそこに無いような気がしていた。215に居場所はない。ないからこそ孤独を好む私には居心地が良かった。それでも、私はいずれ215号室を出るだろう。その時、母は父と離婚する。家主の父は5の倍数の215に住み続け、母は43の倍数の部屋に住むのかもしれない。私はきっと709号室に住む。誰との掛け算も行わない。素数の部屋に住む。1523号室に泊まる「僕」との共通点。私でない私。私の”if”。自発的読書で愛でた、義務読書では捨てるべき、私という存在。自我を持った、素敵な私。
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