コミュニケーション
「生きたかった人が死んでしまうのだから、あなたは精一杯生きろ」という理屈が分からない。生きたい人が死んだという事実を知っても、代わりに死んでやりたいとしか思えないよ。その程度には参ってしまっている。
性別を強調することに何の意味もないので、何の意味も持たずピタピタのニットにショートパンツを合わせ、薄いタイツから素肌を覗かせる。「今日は女の子らしくていいね。そういう服装いつもしたらいいのに。」どうして?どんな私になるか、選べるのが楽しくってしょうがないのに。クローゼットの前において全知全能の神としての、パジャマを着た私。
治療しても進行していく病気を「仕方ない」で済ませるようになって数年が経ちました。全然正しくないけれど、ちっとも悪くないのが私たちでした。私たちは、違いを持つにしては少し似過ぎていたのかもしれません。また少し病気が進みました。意思に反して心は動くけれど、相変わらず「仕方ないよね」と自分を守っています。あなたは健康ですか。
我々は絶対に混ざり合わないのだな、ということを確認する作業を、格好付けてコミュニケーションと呼んだりする。
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